第二回葉月賞 ソウヤマストライク

 今回私が「ソウヤマストライク」に選んだのはこちらの作品です。


「ヒグラシはもう聞こえない」

山田あとり様


 ヒグラシの記憶。産声をあげずに死んだ赤子。埋めてから一年が経ち、産んだ女は赤子のことを思う。

 赤子の遺体を遺棄した事件というのは日本では毎年必ずといっていいほど起こっており、そのニュースに心痛めた方は多いでしょう。私もその中の一人です。

 忌避されがちな題材を選ばれたことに、まずエールを送ります。選者として私も真摯に向き合おうと思います。

 日本は蝉の種類が多いことで知られる国です。日本に住むほとんどの人は鳴き声で蝉の種類を当てることができるはずと言ってもいいくらい、とても身近で思いをはせやすい虫です。

 中でもヒグラシは、どこか「物悲しさ」を連想させる蝉。鳴くのが薄暗い時間帯だからでしょう。カナカナカナ――そんな切ないヒグラシの記憶がまず描写された後に、力強いミンミンゼミに切り替わります。ここの「過去」と「現在」の繋げ方が美しく、読者は引き込まれます。

 この物語はヒグラシを主題としていくつものテーマを内包する仕組みになっていますが、ミンミンゼミのところも見逃せないポイントです。

 赤子を埋めた後も、生きていかなければならなかった主人公。その生活ぶりが、ミンミンゼミの音と共につぶさに描写されていることで、主人公の輪郭がしっかり浮かび上がっています。

 赤子の「死」が一本の芯になるこの作品においては、主人公の「生」が対比になります。洗濯をする、という何気ない家事のワンシーンは、主人公が「生きている」ことの主張。洗濯物を干すシーンではクマゼミも登場し、夏の盛りと主人公の生を強調します。

 そして、赤子のことを思い返す時に主人公が思い起こすヒグラシ。ここで、産ませた男との顛末も語られます。全体に渡り「音」の描写にじっくりこだわられている本作では、非情な男の声もヒグラシに混じって聞こえてくるかのようです。

 賑やかな蝉の声とは裏腹に、主人公の語り口が淡々としているのもこの作品の魅力でしょう。主人公は下着泥棒を(間接的ですが)二階から落とし、終盤では男を殺して赤子と一緒に埋めたという衝撃的な事実が明かされるのですが、警察に尋ねられても感情を爆発させることはありません。彼女が思うのは死んでしまった「あの子」のこと。

 ヒグラシの鳴き声と赤子の産声を重ね、この物語は終幕となります。自分の身柄がどうなるのか、罪はどう問われるのか、もはや主人公はそんなことを考えていません。ただ、この時点で「狂って」しまっていると断言するには物悲しい終わり方です。

 読者によって解釈の分かれる「ゆらぎ」を持った作品だと言えるでしょう。読者の属性や経験の違いによる、様々な想像の余地を残しています。ここが山田さんの手腕だなと思わされるところです。

 センセーショナルなだけで終わらせない。男と女、罪と贖罪、生と死……短い文章の中にこれだけの要素を滲ませることができるのは、山田さんの培った人生経験から来るのではないかと予測しています。

 今回の葉月賞ではハイレベルな作品が揃い、文体の整い具合や構成の工夫などは他にもいい作品が沢山ありましたが、私が最も「好きだ!」と感じたのがこの作品でした。私の心のピンをなぎ倒してくださりありがとうございました。

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二丁目スナックさいかわ チーママ沙樹編 惣山沙樹 @saki-souyama

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