第34話 飛び出すは蛇か幻か、深夜2時の灰かぶり


『聡明な獣の子たちは、知っていた。

 この地は、最早人間たちの手には負えないということを。そして、この領域一面を覆い被さる雲がある限り、森に住まう自分達すらその干渉者の掌から逃れられないのだと』


ベアウルフなどの肉食獣や幾ばくの魔物と比べようもない、殊更上いく次元の存在ナニカ

男の怒鳴りと女の劈く悲鳴に混じって、鼻を鳴らせば。喰い破られた森の境界から、生々しい、腐った魚のような匂いがした。


メメントmementoモリmori、自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな。

メメントmementoモリmori、人に訪れる死を忘れることなかれ。

最も心に刻むべき風景。腐敗の吐息が肌をくすぐり、死神は常に傍にいる。




暗雲、憎悪、季節の巡りの訪れぬ、夢も希望も光も永遠に失われた地下人たち。

秩序の裏に、正義はない。不正や粛正、血と暴力。

壊れたことにも気づかぬまま、ひとり、またひとり。「この夜がいつまでも明けないから、仕方ないんだ」と言い訳して。


「い、たい、おにいちゃ、ん…いたい、あつい、たす、けて……っ」


耳障りで、耳障りで堪らない、すき間風に乗って届く、星々とのアイの歌。


「マリー? マリア……!!」


痛みを堪え何とか切り抜け、いつもの指定場所まで荷物を届けた。

しかし、相も変わらず卑劣で下品な依頼主は、いつも以上傷だらけの俺に銅貨一つ感謝一つどころか。まるで裏路地に転がる腐った生ゴミを見る様な目つきで、約束の時間に遅れたことを酷く叱責し、それを理由に報酬の半分を自分の懐に戻す。


そして、残った半分を黙って受け取り帰路に着けば、その先に待つのはやはり微塵もの慈悲のない、絶望の底なし沼だった。


どうして?

どうして、俺たちばかり。

俺たちが、俺が、マリアが、一体何をしたと言うんだ?


そう聞くも無論、嗚咽音以上の返事は帰って来ない。

当然だ。

だってここは、貧民区。

誰も彼も、犬も猫も、みんなみんな。勝手に生き、勝手に死に。自分が生き残ることに必死で、他人に手を差し伸べる余裕なんて、はなっから持ち合わせていないのだから。





———人為的な神隠し。それで、やっと気が付いた。略奪、暴力、人の欲望は永遠に満たされないことに。

一つ、二つ、数え。三つ、四つ、間引き。五つ、六つ、捨てた虚構の中で、真実を探し求め。

独り、狂気の饗宴で生きてゆくためには、勝ち続けるしかない。


遊具の中に身を潜め、自分以外「誰もいないはず」の空間に鳴り響く足音、自身の呼吸音を聞いた。


『もういいかい、まあだだよ』

『もういいかい、まあだだよ』

『もういいかい、もういいかい、もう、一回』


一晩中、あくる日も、あくる日も。

当てもなく、意味もなく。

繰り返し、繰り返し。


けれど、どれだけあの仄暗い場所で待てど暮らせど、迎えが来てくれることはなかった。


『さがシています』

『探シています』

『捜シていマス?』

『5時になりました。みなさん、なかよく、おうちにかえりましょう———』


子守唄の中のお巡りさんですら、誰ひとり。

終ぞ、誰も。

そして、次の日も、またその次の日も、あの頃の少女ワタシは独りで。

ひとりで?


「ぼくの部屋にはね、おもちゃの兵隊さんも、絵本も、お菓子も、山のようにあるんだ。場所とるし、別に要らないって言ってるのに、毎度毎度、お母様が勝手に買ってくる」


如何にも鬱陶しそうに呟く少年に、微笑むばかりの少女は何も言わなかった。

「どうして?」を噛み殺し、やがて忘れ。笑顔、笑顔、笑顔は人を強くする。


ここ最近、巷で話題となっている玩具たち。一つ一つがオーダーメイドな手作りゆえに、普通の家庭ならばまず手が出せないほど高価で、おまけに品薄。

今や世界中で、親が無条件で子供を溺愛している最も説得力のある証となった、それら。

どこぞの王族御用達なのか、セレブ御用達なのかは忘れたが、メーカーはかの有名なお伽噺に出て来る職人の名をとって、「ゼペットの玩具」と名付けたそうだ。



100年の眠り、1000年の果て。

何気ない事で「百年の恋も冷める」ならば、些細な言動で「千年続くと思っていた愛」が憎しみに変貌するのも存外、瞬きの様なものである。


いや、この場合。憎しみ、嫌悪染みた感情があった方が未だマシなのかもしれない。


おとうサマ「昨日は、その、よく眠れたか?」

オーロラ?「はい、お陰様で」

おかあサマ「……貴女。この前のコンクールも一等だったらしいわね、先生も大層褒めていらしたわ」

オーロラ?「左様でございますか、ご馳走様でした」


だってどう抗えど結局、どの世界でもいつの世も。愛の反対は憎悪ではなく、「無関心」なのだから。

そう身をもって教えてくれたのは、他でもない王様と王妃様アナタたちなのに。今更そんな被害者みたいな顔して、一体なにがしたいのだろう。


「一度枯れ果て、落ちた花弁を拾い繋ぎ戻したとして、咲き誇るどころか、嘗ての花に戻るハズもないのにね」


迎えに来るなんて無駄で、何の生産性もない夢を見なくなったころ。ゆらゆら揺れていた心は安定し、凜としていながら平坦で、どこか無機質な女の子の声が耳に届く。

一度過ぎてみれば、何ともない。一夜の悪夢の如く呆気なく散った、塵の如く。


でも。

それでも、過ぎて思い返せばあの頃はそればかり考え、何かにつれては、いつも首を傾げていた気がする。


お姫様だろうと、庶民だろうと。すっかり色褪せボロボロになってしまっている『過去かつて』の使い道なんて、ちり紙か、貼り絵ぐらいだろうに。



「オイ見つけたぞ、こっちだ! 早く取り囲めッ!!」


そんな今となっては、心底どうでもいい話ではあるけれども。

今生、特段ここ数日。一世一代の試験を目前に部屋掃除もそこそこ、「ちょいグレしてみようかしら」と心に決めるも束の間、深夜テンションの勢いで飛び出してーの、スーパー現実逃避タイム。


ようよう、カミサマよぉ。

私、何かした??

経験上、企業面接だろうと、異世界横断だろうと、お互いの第一印象というのはとても大切な要素だのに、この世界のジャンルが本当に迷宮染みて訳ワカメなここ最近。


何だこれ。


「チッ、ちょこまかちょこまか、手間かけさせやがって。諦めろ、お前はもう袋のネズミだ!」

「………ッ」


どうすんのこれ。

こういう時、一体どうすれば最適解なの、この時代、この事態。

一応知識としてはあるが、フィクションとリアルは違うし、心積もりもない。

そうやって今宵、何の前振りなくブチ当たった初めての実体験に、アトランティアは途方に暮れた。


月もテッペンに上り詰めようとした、凡そ数分前のことである。

突如、いつもの散歩経路に鳴り響いた夜に似つかわしくない、如何にも意味ありげな怒号とけたたましい足音に、咄嗟に身を木々の影へと滑り込ませたまではよかったものの……。


「ケケケ、なんだ。よく見れば坊ちゃん、男にしては中々に綺麗な顔をしてるじゃねぇか」


そのまま出るに出れない、去るに去れない事態に凸ってしまった次第。さあ大変、どうすんのこれ、である。

息を殺し気配を消し、聞こえて来る台詞だけならば「あ、そっちね」となるのに、月光に煌めくこの世界に来てある種見慣れた銀の光を目の当たりにしてみれば、あばばばばの場。

バッド過ぎて、ただのバッドな予感。

「そろそろ、帰ろうかしら」と思った時に、なんてことでしょう。

運命の神様、ホント嫌い。


『とんでもない場面に居合わせたというより、とんでもないジャンル詐欺にあった気分』


兎にも角にも、その一言に尽きた。

そんな二重三重の意味、タイミングの悪さも相まって、嘗てないほど盛大に顰まる少女の顔。

いつものルーティンで優雅に起床し、のんびり過ごし、実家にいるみたいな顔で寛ぐレイチェルちゃんと遊んでは、鬼形相のオリヴァーニキが迎えという名目の合流を果たすまでがワンセット。


そんな長閑な日々に、要らぬ問題を持ち込まれたような、自身の庭を土足で汚されたような、最悪な気分。

こうしてここ最近のマイブーム、夜の気紛れ散歩にさえ出かけなければ、いつも通り。

そうであった、ハズなのに。


「グッ、誰の……差し金だ」

「もうすぐ死ぬのに、そんなこと知ったところでどうする?」


うん、さーすが異世界。乙女の期待を裏切らない。


皺くちゃな顔のまま、アトランティアは思い馳せた。

元日本在住であった自分の予想と危険意識の範疇を軽々と超えて行く物騒が、あっちこっちに散乱してて逆に草。

人間生きて、普通こんな事ってある?

というかこの世界、この手の事件も夜な夜なそこらで闊歩してるの??

何してんのお巡りさん、流石異世界。


「もう一度聞く、誰の差し金だ」


後、こんな台詞がリアルだなんて、異世界の治安ってすごい。

「誰の差し金だ」ですってよ、奥さん。

最初こそ二度三度眼を擦って驚くも、人間一度死ぬと肝の据わり方が大分違ってくるというもんなので。ここまで来れば、もはや危機感に先んじて映画ロケを覗いてる気分。


「こういう場面ってどうすれば正解なの?」とした困惑から、瞬く間。「そういやここ、銃刀法も防犯カメラもないんだわ」と割とすぐに思い直したアトランティア。

何度も言うが、深夜である。

圧倒的、深夜テンションである。


選択肢もマニュアルもない以上、とりあえず傍観すること。その後のことは、その時に考えるつもり。


「サア? 俺らはお上に依頼されただけだからなァ。誰なのかは、お前の方が心あたりあると思うが??」

「……まぁ、それも、そうか。確認するまでもないことだ。この国この地、ここまでしてまで俺の命を獲ろうとする者など、ただ一人」


息を切らしているのというより、怪我でもしているのか。凛としていながらも、苦し気な声だった。

その声からして恐らく青年、いや、もしかしたら、まさかの未成年かもしれない。何となく、そんな気がして。

なのに、対する取り囲み野郎共は、この場以外の伏兵さえいなければ、ぐるり隙間なく、見るから二桁はいってる。


(ひょっとしなくても異世界暗殺事情、怖すぎない?)


どんな事情かは知らぬが、恐らく婚外子問題か、後継者問題のどちらかなのだろう。貴族・金持ちあたりの痴情のもつれ故の惨状、よくある話だ。

ただ、それでも思うのは、「子どもひとり仕留めるのに、やはり金というのはあるところにあるんだな」で。

だって他でもないレイチェルちゃん曰く、マジモンの刺客は「はした金」でリスクを冒さないモノらしいし?


「はっ、兄上たちにこんな伝手も国外にまで及ぶ力もない。……それほど、そんなに、母上は俺が憎いのか」


非日常過ぎる現実風景は、逆に冷や水を浴びたかのように、———自分ワタシを冷静にしていた。


声しか聞こえないものの、皮肉気に言葉を吐き、諦めすら浮かぶ台詞にアトランティアはとうとう耐え切れず月を仰ぎ、祈りを捧ぐ。

コロコロされて以来初めて、未だ見ぬ神への、感謝の祈りを。

同じ世界に住まい、生きるお貴族様でありながら平和()な家庭にINさせてくださり、誠にありがとうございました、と言わんばかりに。


そして、どんな世の中だとしても「後悔先に立たず」や「覆水盆に返らず」といった言葉があるように。

例え一時の仮初だろうと、深夜テンションだろうと、余裕のある人間というのは、やらかす場合が多々。


「ハハハハハッ! ご名答! 勘の鋭いガキは嫌いじゃねぇが、前金をたんまりもらった以上、仕事は『しっかり』こなさねえとな!!」


わざとらしい、演技染みた男の嘲笑う声に返事はなかった。

が、でも、なぜかその向かいにいるであろう少年(暫定)がどんな顔をしているか、何となく分かって、ちょっとだけ心が痛み、ちょっとした罪悪感が湧く。


前世の記憶というのは良くも悪くも、色々『想像』できてしまうから。時折こうして、心持にも後味にもよろしくない。


「ハァ……。あの頃好きだった徘徊ゲームみたいで楽しかったのに。今後は辞めよう、深夜散歩」


思わず出てしまった大きなため息は、手負いの獲物を前にげらげら下品な声をあげる野郎共の声に打ち消され。

……何とも都合のよいことに、近くを見渡せば廃材置き場らしきところにみんな大好きな「アレ」が某選定の剣みたいな雰囲気で、刺さっていた。


よっこら、しょっと。

———スポッ。


元より羽織っていたマントのフードを殊更深々と被り、アトランティアは胸元に仕込んでいた【スクロール】と【ポーション】を確認し、音なく忍び寄る。


刺客アサシン、しかも問題持ち金持ちに抱えられたプロに関わっていいこともなければ、これをきっかけにどんな「バタフライエフェクト」が起きるか分からないしで、本当は嫌だけれど。

間接的だろうと死の気配は、目覚めに悪い。

このまま見て見ぬフリで帰って、コロコロされて、夢枕に立たれるのはもっと嫌だ。


そんで何より、今や第二の実家とも言える庭の散歩経路が、たかが「こんな理由」で汚れるのはちょっと……いや、考えれば考えるほど、だいぶ嫌だな??


ごめんママ上、貴女の娘は今宵ついに生まれて始めて、この後の経緯次第。場合によっては、人をコロコロしてしまうかもしれません……。

事態が事態。今ヤラナケレば、いつヤルの?

見知らぬボーイが物理的にヤラレてしまいそうで、見てしまったからにはホント、ごめんなさい。


「———一寸。私の庭で許可なく、ナニをなさるおつもりで?」


後、ついでに言っては何だが。

折角の剣と魔法の世界だのに、拾いドロップしたてほやほやが鉄パイプでホント申し訳ないし、カッコも付かないが。


「微力ながら、助太刀致します」


もし、万が一にも負けそうになったら怪我人掴んで、屋敷まで強制ワープするつもり。

そうなれば恐らくしばらくお外に出して貰えない生活を送ることになるだろうが、それはそれで別に困らないし構わないし、ここまできて背に腹は代えられぬので。


確かに、前世の本来ならばビビり散かすハズの場面ではあるものの、普段から何かと世間的に所謂「マジモンのバケモン」と呼ばれる人間に囲まれ相手してもらっていると、いつ間にやら大抵の相手が可愛く見えてしまうから、異世界も、世の中も、ホント不思議だよね。


深夜のノリと勢いって、すごい。


「っ!? な、なんだお前、どこから湧いてきやがった!!」

「湧くだなんて、失敬な方ですね。無論あちらから歩いてきた、ただの通りすがりですが? 何か問題でも??」

「な、ワケあるか!! こんな時間に通り、って、いや、待てよ、子供??」


そして、いくら本当のことでも、言っていい事と悪い事。人を見た目で判断する失礼な奴らである。


突如音もなく、目の前に立ちはだかってきた黒ずくめのチビ助。刺客たちは一斉一瞬困惑するも、次の瞬間には慌てて各々の武器を構える。

流石のプロ根性。その目は相手の姿形というよりかは、手に持つ鉄パイプ、思わぬ打撃兵器に釘付けだった。


フードの下で、アトランティアは「流石は鉄パイプパイセン、そんな怖いのかしら」と目をぱちくりさせるも、息を呑む音だけ。未だ現状について来れていない当事者に振り向く。

そして、


「ワァ……」


と思わずと言った感じで目を見開き、見るからの不審者は小さく鳴いた。

というのが、この時初めて本日の被害者の顔いで立ちを見たアトランティアの感想だった。


傷を負いながらも、倒れまいと気丈に唇を噛み締めるその様。男の子であるはずなのに、歳も相まって近い将来には期待大、今でも相当な美人というのがぴったりな容姿。

仄暗くも、月光に照らされ眩しいほど整った顔パーツ。エメラルドというよりかは、アブサンみたいな緑の瞳。


そして、何より。この……正しくピンチに瀬したお姫様みたいな相手と、私の立ち位置構図まで加味なんてしてしまえば。



「本物のお姫様、初めて見た……」


世の中。その後は、後悔しか残らないでござる。


一度吐いた唾は戻せず、ハッと口を覆うももう遅く。思わず口に出してしまったその言葉は、周囲の空気が一瞬にして凍てつかせるのに、十分すぎる威力を持ち合わせていた。


「あ""?」


瞬く間もなく心に届く、登場失敗のお便り。

湧き出る冷や汗。

今宵における、草木も眠る深夜2時ごろのコト。


ジャジャジャーンと飛び出すは蛇か幻か、星夜の灰かぶり。

例え見るからどんな不審者であろうと、仮にも恩人になる相手に、地獄から舞い戻った様な声に。

言うまでもなく、改めて見るまでもなく。その一音だけで今しがた、少年の額に青筋が浮いたのを感じ取れた。


尤も。もっと早い段階、黙ってすぐさまお巡りさんでも呼んで来ればよかったのに。

余計な時間、余計なことをしてかえって悪い結果になる、いつの時代も藪と蛇はワンセットなのだ。

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