第30話 知らぬが福、拙者始まってた?


『恐ろしい怪物はみな、悲劇的な過去を持っている。

 赤のウェディングドレスを纏った花嫁は、あくる日もあくる日も薄暗い海岸の砂を踏みしめた』


空想。幻想。形式に捕らわれない、自由な夢。

瑞々しい新芽が若葉を広げ、穏やかな陽射しの中で眠気に抗う傍ら。腹を空かした獣の子は、お腹いっぱいの肉が食べられることを空想した。

スラム街の子どもたちはパンを好み、紳士淑女は美女や美男を好む。


しかしそれら以上に、人々は金貨と紙幣を愛す。




「あなたのシンデレラは、もう死んだのよ」と口遊んだ後は、口角を正し。リボンを結び直して、ワンピースのしわを綺麗に整える。

そして長い髪を巻き上げ、下ろし、また巻き上げてみて…。


口に放り込んだ飴玉を嚙み砕きながら、少女は鏡の中で暮らす自分と、水の中で優しい笑みを浮かべ、揺蕩たゆた妖精オフィーリアの絵画を見比べた。





———これでいい。おまえは、正しい選択をした。

その彼方に、果たして何があるのか知りもしないのに、人々はいつも予言書を読み深け、天啓を今か今かと待ち惚けている。


夢の国ワンダーランドでは主人公が一番つよく、お姫様が最も偉大。

美しい顔に生き生きとした表情を浮かべ、馬に跨り。百戦錬磨な身のこなしと才智をもって、勝利の中で笑う。

すべての生き物が友であり、生まれながらどんな悪役も物としない永遠なる英雄。


そして、そんな彼女の華々しい姿と功績を見た『オトモダチ』は口々に、嘗ての少女だった女の名前を呼ぶ。

女王様アリス女王様アリス! あんなに可愛かった、我らが女王様わたしたちのアリス」、と———。



だから、思うに。妃は人質で、国母は犠牲者。聖女は贄で、英雄は被害者である。

本当は怖い童話、名画に隠された恐ろしい真実ゲンジツ

詐欺師に騙されたジャスミンに、『ストックホルム症候群』に侵されたお嬢さんベル

何処も彼処もモラル皆無でグロ注意……、と。


一文二文の価値にもならない『真実の愛』に踊らされるのは夢見がちのお姫様だけだし、心変わり次第で壊れる関係に縋り、意義を見出そうとするのは「世間知らず」がすることだ。


まぁ、事のつまり、何が言いたいのかというと。世の恋愛や結婚に夢を見るのは勝手だが、「夢見過ぎるなよ」って話。

それも、いわゆる各時代における上流階級ならば、尚のこと。


「婚約、ですか?」

「ん""フッ」


なので、この度の晩餐の席にて突如告げられたその一言に「知らぬ存ぜぬ内、拙者始まってた……?」と思う反面。「やはり、とうとう来やがったか。令嬢系界隈における、原初のフラグが……」と思わざる負えない本人の傍ら。そんな凪り顔の当人以上の反応を示したのは、案の定、彼女の周囲で。


「は? 相手、ダレ? ソイツ殺して、俺が代わりに結婚する……」


となるまでが、お約束。

モチつけ、あんちゃん。鎮まれステイ、シスコン。

今日も我が家の晩餐会は安定安心の平和そのものでした。



「というワケで、兄さん。今宵のヤンデレ選手権優勝おめでとうございます」

「え、マジ? やったぁ~~~」

「ちょっと…あなたの言葉足らずのせいで、わたくしの孫二人が挙って変な遊びを始めちゃったじゃない」

「う、うむ。あい、すまぬ……」


で。思わず「舞踏会か、ホテルのパーティー会場かよ」とツッコみたくなる、シャンデリアの輝きが美しい一室。

じっくりコトコト煮込まれた柔らかいローストビーフを咀嚼するのもほどほどに、アトランティアは祖父———ワイアット・アールノヴァの言葉に大きな目を殊更大きく瞬かせた。


「婚約、ですか?」

「ああ」


テイク2である。

主に光属性のはずの某次男が突然「例のなめこ」みたいな声を上げ、殺意特化型フレンズになって仕舞い、妙な空気になったために始まったお爺様の、お爺様による、お爺様のための、お爺様名誉挽回タイム。

が、

しかし。


「だから、ああ、じゃありませんよ。主語を言いなさい、主語を……。つい先日、ルネが正式に婚約したのです。わたくしの甥であなた達の従兄に当たる、ルネ・グレイスが」

「ああ~なんだ、ルネか。ならば、良し」


だが、しかし。そんな肝心のお爺様以上に言葉の出が早いお婆様と、主張の激しいペカーとした笑みで「ふぅ。良かった、じゃないと可笑しくなるところだった!」と続ける兄、ルーカスに邪魔されお爺様は心なしかショボーンとなったし。その傍ら「一体、ナニが……?」と妥当の疑問を浮かべるも、妹は何も見ず聞こえなかったことにした。


だって。記憶にある限り、知り得る限り。この家における藪と蛇は決して、仮にも食事真っ最中の場で突いてイイ代物ではないので。

だって。その様な現象を、人は総じて闇堕ち、若しくは堕天と呼び。それだけ世の中、安定した闇属性の闇より、光属性から時折まろび出る闇攻撃の方が数倍「あな、恐ろしや」で、質も悪いので。


でもまぁ、今はそんなことより……、


「そのルネ、サン? ルネ兄さん? のことはよく存じあげませんが…また、なんというか……中々に急で、思い切りましたね」

「そればかりは、何も言わないで」


結婚。

それも貴族、しかも閉鎖的な西部なお且つ自身の家門に連なる結婚となると途轍もなくややこしい……というか、相手次第では超絶メンドクサイアレコレがあるのをアトランティアは知っている。

そしてそれゆえの発言に対し、あの祖母がこうも反応するとなると、つまりそういうことなのだろう。とも、10歳児は思った。


女性にとって人生の一大事ともいえるそれは、男方でも存外変わらないのかもしれない。

かの唐代最盛期の後宮何とやらで、良い嫁がもらえるかどうかにより当人たちの公私の生活も大分変って、次期当主ともなれば一族全体に影響してくるというのも事実。

なので、いくら嫁に出たとはいえ、実家のそんな一大事に鎮痛な顔を露にする祖母に、アトランティアは先ほどの一騒動も忘れ、ちょっとした同情を禁じえなかったのだ。


「とは言いましても、お婆様がこの様な反応をなさるなんて。結局、どなたなんです? 相手のお嬢さんは……、」


後、因みに母方の祖国が位置する東大陸に比べ、アトランティアの今いる西大陸のほとんどの国は一夫一妻制。暗黙(?)の浮気愛人愛妾ともかく、公的には一応ほとんどの国が一夫一妻制である。


話題に巻き込まれた以上、アトランティアの妥当な疑問に目頭を揉んだ祖母の代わりに、口を開いたのはこの場の混乱を巻き起こした本人。


「両家の親に隠れて相手を口説き落とし、何の相談もなしに婚約の段階へ持ち込んだグレイスの坊主も坊主だが。真っ当な婚約を挟む意思がある分、うちの馬鹿息子よりはマシだと思いたい……で、その肝心のお嬢さんはな? どうやら平民なんだ、東部では中々に大きい商家生まれの三女らしい」


そして、「ルネからの手紙とグレイス現当主の嘆き事後報告だけで、当人には私もイザベラ(:祖母)も未だ会ったことないんだ」と続けた祖父に言うまでもなく、アトランティア10歳児の感想は「ふーん」だけだった。


だって、昔々の自分ならばいざ知らず、元パンピーの人生記録がINした今の人格では「平民」と聞いたところで「だからぁ?」って感じで。寧ろ前世で嗜んでいた小説でよくある下手な貧乏貴族より、商家のお嬢さんの方が真面な可能性が高いとすら思うので。


「……まぁ、当の本人や家同士が妥当な妥協点さえ押さえていれば、身分うんぬんに関する問題は一先ず置いておいていいのではないでしょうか? お爺様の言うように今はまだ婚約であって、今すぐに籍を入れる訳でもないですし、」

「それは、そうだけれど。いくら東部きっての商家の娘でも、いや、商家生れだからこそ然るべき家柄の血を持ってない子の社交界や茶会での立場は……と考えると、先達としてはどうもねぇ」


祖母のその台詞を、アトランティアは「ああ、なるほど」と聞いて冷めかけのシチューを突っついた。「そういう展開」って本当にあるんだなぁ、と考えて。

あらゆるところか特殊な西部に比べ、この時代の普遍的なお貴族様は金儲けを美徳としないから、何だかんだツンツンしながらも心優しい祖母はその辺りを心配しているようだった。



「お金にこだわるのは貴族の品位に欠ける行為、ですか……大昔ならばいざ知らず、貨幣経済の浸透したこのご時世では、お貴族様でもお金がなければ何もできませんのに。時代の流れって言うのは残酷ですね」

「そしてさっきから思ってたけど、うちのティアちゃんは一体何の立場視点でリプしてんの? 俺の可愛い10歳の妹が、またこの世の真理みたいなこと言ってる……」


だから、そうやって「なんか、ちょっとヤダ」みたいな顔をするルーカスお兄さんに、ちょっと大人ぶって「そんな年頃なんです、諦めてください」とジト目返す妹。

そんな微笑ましい兄妹の一幕を目の当たりにしたお爺様や使用人は無論ほっこりしたが、必然的の流れでその傍ら、お婆様は「門外不出であろうと、折角これだけ賢いのだから新しい家庭教師数人見繕ってこようかしら」と企てた。


勿論、マジガチ3000%である。

育てるヤルからには「テッペン」目指せは母の教え、獲るからには「最高」をお獲り申し上げろとは祖母の考え。

男性陣が激ゲロ甘な分、あの母にしてこの祖母ありて、お嬢様暫定過労死のお知らせ。


知らぬが内が、マジの福。

拙者ヒキコモリが気づかぬうちに英才教育プロジェクトが始まっていた件について。

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