幕裏挿話: 夢の終わり、或いは後悔の果て


『さあみんな、こっちへおいで!

 夢と現が混濁する御伽の国、新たな劇がもうすぐ始まるよ!』


迷子のアリスに木苺のティーパーティー。

大人たちの目を眩まし、輝く星をプレゼントしてくれる王子様。

チェシャ猫が撮った最後の写真と、歪な人影。


今にも滑り落ちそうになる氷の階段を上がってみれば、茨に囲まれた屋敷が見えてきた。




勇敢なる子供たちの椅子取りゲーム。

今はまだ大人たちに従って『知恵』を蓄え、まずは『子供らしく』生きてみよう。

そして相手が『油断』した隙に、ぱくっと喰らい付き。

でないと「単独行動をした者」は真っ先に排除され、「出る杭」はその都度打たれてしまうから。


子供である内は、無知なフリをしているべきだし。

「成長に失敗した出来損ない」と値札タグを着けられたくなければ、今はまだ『大人しく』している方がいいだろう。


可愛い子ほど旅をさせろとは言うけれど。結局、どんな世の中おやでも「馬鹿むじゃきな子ほど可愛い」モノなのだ。





———一度手中に収めたからと言って、安心するべからず。

『諸刃の剣』とは言ったモノ、それだけ鋭き刃ほど危うい物はない。

そんな、さして難しくもない話。

けれど、それを「本当に理解している」者は極僅かだ。


「そして美しかった蝶は生きたまま羽を捥がれ、水底に沈み、『帰らぬ者』となった。何の価値も産まない蠅もどきは消え、後に残ったのは、悪臭漂う屍が一つ」


おとぎの終わり、或いは後悔の果てか。

分不相応な欲望は『惨劇じごく』を産み、ですから、どうかTPOを弁え程ほどに。

『偶然』という名の砂上に建てられた家ほど脆いモノもなければ。一度過ぎた女の美貌というのも、実に一夜の夢如く儚く、脆い。



「俺が留守にしている間、自分の家が随分と汚れてしまった。虫にすら劣る分際で……まぁ、抜け抜けと」


どれだけ大人びても、やはり子供。

愛する女の面影で小動物の様に眠り、菓子を頬張る姿を横で眺めるのが好きだった。

同年代のガキ共どころか普通の大人より機転が利いて、生まれつき利発な所にいつも感心し。「もう少し子供らしくてもいいのに」と思いながらも、事ある毎に喜んでばかりいた。


賛美はただの称賛で、悪意ある噂すらそよ風負け惜しみで。

だからその様な奴らが何とほざこうと、特に気に留めず。今回のことだってあの子に良かれと思っての外出許可だったのに。


「そうやっておやが留守にしている隙を狙って飛んで来て、身の程を弁えず羽音を鳴らし。許可もなければ実力もなく、身勝手な思い上がりで出しゃばって来るのは、どうか早く殺してくれという意思表示か?」


そんな、この世の何より大事な娘は臆病なくらい慎重で。

実際、見た目だけでなく性格も父親よりずっと母親に似ては。生まれ持ったその『絶対的な力』に反し、意味のない暴力や争いを好まない性だった。

だからこそ例え周囲に何と言われようとも、遠ざけた。


いれば居るほど冷たく、蜘蛛巣の様に陰謀蠢く外の世界は……決してあの子にとって生きやすい場所ではないだろうから、と。

娘が望んで声を上げない限り、遠ざけ続けるはずだった。

だのに、


「だから二度と空へ羽ばたけないちょうは、そのまま泡沫となり、誰も気づけず『海』へ消えゆく。

 何の変哲も面白みもないシナリオだ。———なぁ? こんなクソみたいな台本で、観客は喜んで金を出すと思うか、アルトワ伯爵?」

「わ、わ、私は……、」


この感情は『後悔』なのか、それともただの『怒り』なのか、分からなかった。


「今回の礼に、娘がお前への贈り物に絵を描いたんだ。聞けば『虫の虚言病』というタイトルらしい。

 良かったなぁ? 俺の可愛い娘は今も国中で大人気だから、売ればさぞ金の足しになるだろう」

「ッ、」


野良猫以上に警戒心が強く、身内と呼べる人間以外に絶対隙を見せることのない子供だ。

家の中ですら付き人なしでうろつくことは滅多にないし、やらかしていい事と「本当にやってはイケナイ事」を大人以上にきちんと理解している子供。


時折必要以上に、頭の回転が速すぎるきらいはあるが、基本的には甘く。ここ最近の我儘といえば、「免罪符大人買い、という名の未来への投資」とか言って慈善事業に一寸熱心であることくらい、な。


「そう言えばアレ以来、夫人は元気か?」


そんな『我が子こども』に対し、随分とした命要らず自殺願望者が自分の支配下領地に居たものだ。

今や国の至宝とも(不本意ながら)呼ばれている、猛獣ノヴァの子に手を出すなんて、愚かにも程がある。

流石の自分とて、まさか自身の箱入り娘が箱に入れたまま、ここまでの賛美と栄誉に包まれるとは思わなかったものの……。それでも結局、どの世の中だとしても、高い地位につくほど馬鹿になる人間がいちゅうは何処にでも居るということか。


「どうやら俺は教育の仕方を間違えたらしい。大事だからこそ、これまで何よりも大事にまもってきたつもりが、自分の家の中でも虫は湧くものだと忘れていた」


無駄に頑丈な息子達ともかく、娘なんて勝手に可愛がってなんぼと思っていた。

物心ついた頃から何でもできる子だから、好きな事だけをやらせていればいいと、そう思って来た。

その結果がこの様だ。

だからそこに気づかせてくれた点だけ、コイツらに感謝した方がいいかもしれない。


「ならば、その事をこんなにも早い段階で気づかせてくれた夫人には、感謝をしないと」


『後悔』に浸る時間をやる優しさを、元来より持ち合わせていないノヴァの人間ちすじ

これも、今やとなっては西部のみならず、帝国中の誰もが知る『じょうしき』だというのに。

人間、誰しも『本気で』怒っている時ほど優しい声が出るものである。


深い深い水底に誘うような、男の声。


「もっ……申し訳ございませんでしたァ! 弁明もお詫びの言葉もございませんッ!!」


もういっその事この場で、全員殺ししずめてしまおうか?

そうすればこれ以上の馬鹿むしも湧くまい。

と。

そんな今の感情に共鳴し、自分の『権能』がひとりでに漏れだす。

一度蛇口を捻った様なそれを、態々止める気にはどうしてもなれなかった。


「ウッ」

「ウア""ァ"、グアッ」

「カハ……っ」


嗚咽を漏らし、地を這う人間は本当の虫の様で、悍ましい以上に、ただただ鬱陶しい。

そんな分際で、



「2度はない。俺があの子に関するこれまでの噂に何の制裁も加えなかったのは、それが自ずと『良い虫除け』になっていたからだ。そして態々俺が出ずとも、そう言ったヤツは自ら消えていく。これからも猛獣達ノヴァの縄張りで長生きしたければ、特に」


———西部ここが『そういう』土地なのを、ゆめゆめ忘れぬよう。


と、最初にして最後の警告。

そうやって同じ世界、同じ空の下。同じ時刻で詰んだのは一人だけじゃない。

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