第10話 幕裏挿話:だから旅に出れない、可愛い子
本当に壊れていたのは『私』だったのか。
それとも、初めから間違っていたのが『彼女』だったのか。
開かずの本。
覚めない夢。
もう一度時が戻れば、なんて考えながら。
もう二度と帰りたくない、と思った。
『私』があの日までの思い出を壊したのだし、
あの時までの記憶を捨てたのも『私』だ。
———本当に?
これが一夜限りの『夢』であるのなら、二度と覚めないでと願う。
私でありながら、私ではない『あなた』。
読めない『
一度瞼を開ければ、身も蓋もない現実で。
これからの『私たち』は、『共犯者』となるのだから。
「ちゃんッだ、ダメ、ねちゃ、だ、だめ、ねぇ……」
ねぇ、私と。
友達の子はそう言うけれど、本当はもっと早くに眠りたかった。
「……本当に、ありがとう。私たちの××××」
本当の私は自己愛の塊で、こうして誰かに感謝されるほどの器ではなかった。
「咳がひどく、熱も更に上がったようです。夜が明けたら、直ぐにでも主治医を……」
大人になっても熱を出せば誰かに心配して欲しいし、
「ああ、可哀想に、私の子……、」
辛い時に頭を撫でてくれる手を、幼い頃、誰よりも焦がれていた。
「ごめんなさい、愛しい子」
と、あの世界でも、誰かに愛して欲しかったのに。
「母は。貴女さえ笑って、泣いて、怒って……何より、誰よりも自由に生きてくれれば、それだけでいい」
何時でも、何があっても自分の味方になってくれる存在が、私も欲しかったのに。
「本当に昔から、ご兄妹仲が大層よろしくて、微笑ましい限りです」
こんな、見返りを望まない優しさも。
「お気を確かに!」
いつも気にかけてくれる周囲も。
「後、どうか私がそのティーセットを運ぶことをお許しください」
時に値踏みされたとしても、
「共に参りましょうか」
最後には、一緒に歩いてくれて。
「この家の人間として『価値』を生み出せぬのならば、今すぐ出て行け」
そう、突き放すのではなく。
「アトランティア!」
そこに居るだけで抱きしてくれる人が、私もずっと欲しかった。
まだ子供だった頃。さざ波ではない、母の子守唄を。
たった一度でもいいから、私も聞いてみたかった。
幼い頃。
あの家で、あの部屋で、私も……
「ねぇ、お嬢様はまだ、お眠りに……?」
本当の『嘘つき』は、一体誰だったのか。
「ようやく峠を越え、元気になったと言うのに……。本当、どうして私たちのお嬢様ばかり、」
矛盾だらけの人生に、果たして意味はあったのか。
「帝都にいらっしゃる公爵様も、共にいらっしゃるリアム様達も、さぞご心痛でしょうね」
あやふやな自己、チグハグな心。
常に表の仮面を被ってまで……あの頃の私は、一体『誰に』愛されたかったのだろう?
「よく頑張りました」
幼かった時の私は、一体『誰に』認めてもらいたかったのか。
「お嬢様、起きてください。アトランティアお嬢様?」
一体『誰に』名前を呼んで欲しかったのか。
お母様?
お父様?
それとも……
『×××の嘘吐き』
それとも、他の"何か"だったのか。
「もう、仕方ないですね……本当に眠ているだけで、何とも愛らしい方」
涙が枯れてしまうほど泣いた、子供時代。
冷たい感触のベッドで、私はいつも独り。
「……どれだけ大人びても、こうしてみるとやはり子供だな。僕の可愛い妹は、」
あの頃の私は、いつも、最後まで、一体何を探していたのか。
今となっては昔の話。
遠い、遠い、それこそもう二度と帰ることのないだろう世界での、昔話……。
「今日だけで、今までどのくらい眠っている?」
夜が怖い時の『おまじない』を教えてあげるよ、そう『誰か』と『約束』までしたはずなのに。
仄暗い思い出の中にある『赤い表紙の本』。
『私も』開けようとする度、頭がジクジク痛んで、ひどい耳鳴りまでし始める。
「アトランティア、アトラ、僕たちの妖精。愛しの天使、……なんて愛らしい寝顔なんだろう。もう少し、もう少しだけ、寝かせて……」
「いえ、いけませんわ、リアム様。ただでさえお嬢様は少食ですのに、食事の時間がもう大分過ぎております……。今朝も果物だけで、まともに召し上がっていらっしゃらない、これでは流石に、」
……でも貴女の言う様に、こうして忘れてしまうくらいなのだから。態々、無理してまで見なくても問題ないよね。
今回の事故でところどころ、記憶に空洞ができてしまったけれど。それでもきっと『コレ』は、そこまで大事なモノではなかったはず……。
———ならば、よかった。
「体のこともあって……昔から同年代に比べ落ち着いた子ではあったが、ここ最近、特に大人びて見える。今回の魔力暴走で家族や、周囲に迷惑をかけたと思い込んで、無理して大人になろうとしているではないかと心配だ。
……さり気なく探りを入れても微笑むばかりで、僕にすら、何も教えてくれない……」
「年齢の割に、本当に隙がありません。私たちのお嬢様は」
そんな猛烈な睡魔に呑まれつつも、揺蕩う意識の中、すぐ傍でお兄様たちの声がする。
一体何の話?
ここ最近の『私が』可笑しくなった、って言う話。
……なんか、ごめん。
昔の私も『今の私』も私だし、あなたも私なのに、まったく可笑しな話だよね。
人は何時だって、意味のない比較をしようとする。
そして後になってから失ったモノを探して、後悔するんだ。
……だから『あなた』も後悔しているから、今でも『苦しい』の?
うーん?
よく、分かんないや。
マ、世の中。分からない方がいい事も沢山あるからね、分からないままでも大丈夫だよ、きっと。
だといいな……。
にしても、
「元から過ぎた我儘を言う子ではなかったものの、あの熱から、より一層甘えることがなくなった。僕に対しても、周囲に対しても……甘えるのではなく、ただそこで笑っている。
僕も忙しい身だし、まだ数日しか共に過ごしてはいないが、その年齢不相応な妹の落ち着き方が…兄として、僕は少し怖い……」
現実世界での現在。お兄様はビビっているが、ここまで来ては流石に、こればかりはどうしようもない。
始めて見た時、今生のお兄様たちの顔が良すぎて、普通にのけぞったから。
私も、あなたを『取り戻した』ここ最近になって、ようやく自覚した。それこそ他にも、自他共々、色々と……
「……だから、エイダン。大事な妹のことで、お前に聞くのは本当に不本意極まりないが、お前からしたこのところのアトランティアは、一体目にどう映る? 男ではなく、幼馴染でもなく、仮にも名医の孫としての見解で言ってくれ」
もう、お兄様って昔から、本当に心配性なんだから。
「はぁ……、それは、まぁ。僕からすれば昔と、そんなに変わっていないかと?」
に比べお前は、マジお前な。
ここ、笑う所じゃないから!
「何故疑問形なんだ」
ホント、そう。
ホント、失礼なヤツ。
「そう心配にならずとも。それだけ、一回でも死の淵を彷徨った人間の性格が変わってしまうのは、別段、可笑しくも珍しくもない話ですよ。現実的に」
ただ、それは違いない。
「それは…確かにそうだが、不吉なことをこれ以上言うなよ? 今のまま、五体満足で明日の朝日を拝みたければ、な」
そして、お兄様ェ……。
「何ですか、この理不尽さは……。態々祖父の代わりに僕を呼び出しておいて、嘘偽りなく答えたのに、脅迫?」
でも、これはこれで楽しい
本当に、あの
他人事だと思って……。
それでも、そうやって一寸困ったように笑う『私』は、本当に幸福そのものだった。
私であり、私ではない、今生の『貴女』。
違う世界にはなるけれど、時が戻らずとも……『私は』ずっとここにいるから、と。
今度は独りではなく、私と一緒に海を見に行こうよ。とまで、言ってくれた。
これが、違う世界での『私』の話。
明けない夜はないからと。
———『あなた』の夜が明けるまで、私も、ずっとここに居てあげる。
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