第9話 『夢』見た分だけ、子は育つ


矛盾だらけの人生だった。

優柔不断な性だった。

どこにでもいる様な、平凡の子。


あやふやな『自己』を持ちながら、

チグハグな『こころ』を捨てて。

それでも『表の仮面』を被る度、

身体の中で、何かがすり減っていく様な気がした。


この夜が何時までも明けないから、『私は』まだここにいて。

未だここから歩き出せないから、『彼女が』まだここにいる。

一度失われたモノは、二度と帰って来ず。

「苦しみ」に対する最大の妙薬は、『諦め』と『忘却』だった。


壊れていることにも気づけぬまま、夜に溺れる。

壊れたことすら知らぬまま、海に溺れた。

春も夏も秋も冬も、朝昼晩、晴れや雨すら永遠に失われた世界で、

今も『あなた』を苦しめているのは、果たして何なのか。




醒めない思考。開かない瞼。

足を引きずり込む暗闇と、海に呑み込まれてしまった『白』。

ありがとう、と。

大好きだったよ、と。

誰が書いたのかも分からない歌詞。

今日も母の代わりに、さざ波が歌っている。


耳元で劈く男の慟哭。

心を引き裂く女の嘆き。

どうして今更となって『ソレ』はこちらに手を伸ばし、『私』の頬を拭うのだろう。


枯れた涙。冷たい感触。

夜が怖い時の『呪いまじない』を、教えてあげるよ。

そう、嘗ての誰かが言った。

明けない夜はないからねと、口ずさみながら。

これからもずっと一緒にいようと、指切りまでして。


揺蕩う意識。閉じるまなこ

明らむ空。

光だす青。

「ほら、おいで」と、何かに引っ張られる。


———何か?

ならば、それまで私と『約束ゆびきり』していた相手は、誰だっけ……?


記憶喪失にしては鮮明に覚えていて、それでもよくある『事故』での話。

虫に食われた記憶の空洞で、何か、とても大事なモノを落した気がする。

おいで、おいで。そう、光の指す方へ引っ張られる度。

置き去りにされていく、『赤い表紙の本』。


無理に開こうとすれば、頭がひどく痛んだ。

でも、こうして何かと忘れるくらいなのだから。

……『コレ』は、きっと、そこまで重要なモノではなかったはず。





———物心ついた頃から、『苦い』ものは嫌いだ。

どれだけ好みのコーヒーでも、ミルクを入れなければ飲めやしない。

誰しも、決して、好きになれないモノは存在する。

子供の体と言うのは素直な分、時として何より無慈悲だった。


前世のタブレット錠剤が恋しい。

子供の味覚は大人より繊細で、敏感で。

苦くて、苦くて……独特な匂いまでもが、鼻奥を攻撃する。

良薬、口苦しとは言え……。なんだ、コレは……


「……今日は一段と騒がしいですね、顔が。冷めてしまう前、早く飲んでください」


F世界にまで中薬かんぽうを持ち込んだバカタレは、一体どこの、どの医師だ?

FがFな分……ここまで来ればもはや、中薬ではなく劇薬である。

(個人的に)見る分には愛らしいものの、どれだけ栄養価が高けれ、食べると苦々しいマンドラゴラ。


「ほら、早く」

「うっ」


……のスープ状薬。


前世が前世で思考回路こそ元大人でも、この身体自体がまだまだ幼いし……。こうして薬を持って来た今生の幼馴染と呼べるF産男子も、仮にもこんな美少女を前にして余りに無遠慮かつ無慈悲。

……だが今この時ばかり、その様な幼馴染ともかく。この度の脳内文明開化と、本日、扉の開く音と共に匂ったマンドラゴラ感を認知しただけで、アトランティアの顔がしわくちゃとなった。


未だ一寸ムズムズする、圧倒的お嬢様体勢と待遇。

でもそうやってベッド上のまま、呑気に読書している場合じゃないし、場合じゃなくなった、今日この頃。

幼馴染の登場。

手に持つそれにネコ科の如く反射して、一刻も速く逃げなければと、頭の中で警報が鳴る。


元より中々の虚弱体質であるアトランティアは知っていた。

それだけ値段と効能に比例して不味いのだ、と。

これだから、世のマンドラゴラってヤツは……


「ほら、早く」

「そう、せかさないで……」


後は、エイダン・クロー。お前お前、マジでお前。

にしても今日も今日とて、元祖ツンデレ幼馴染が全然デレてくれない件について。

医者の孫。

未来の伯爵。

クロー家、次期御当主様よぉ?

年老いた祖父の代わり、一族秘伝のやり方でメイク・ザ・漢方するにしても、せめて高麗人参あたりにしてモロテ……。


「ほら! 早く」

「大事なことだからって、三回もいらな、うっ…うぅ……ッ」


でなければ。若しくは、薬ついでに「おくすり飲めたね」も作ってくれよ。

頼むから。

アールノヴァが青なら、クローはシルバー紫。

出会い当初から見た目だけでも超絶クール系なのに、コイツときたら、何故性格までこんなに冷たいのか。


「……全部飲めました? うん、宜しい。よく頑張りました」


そうやって。嘗て無いほどのゲッソリ顔を晒すアトランティアに対し、エイダンはどこまでも通常運転だった。

そこまで燦々輝かずとも、美しいバイオレッドの瞳が流石の今では恨めしい……。

「小さな炎、聡明な、助け」と願われた名すら、豚に真珠だ。

お互いの前世いざ知らず。たかが数か月お兄さんだからと言って、何故こうも子供扱いされないといけないのか。


「おのれエイダン、貴様、今日の恨み。何時か絶対、訴えてやる……」

「ご自由に」


そんな七歳児の深刻な悩み。

大人扱いし過ぎても駄目だし、見下ろされても駄目な乙女の性。

元大人として自立、人並みになる以前の問題であり……。


このような招かざる客がセルフInしてしまった、本日の、お嬢様の寝室にて。

言葉と共に猫の如く、キリッ、と吊り上げられた藍の瞳。

それでもどこ吹き風で……シルバー紫少年は淡々「今日も馬鹿なこと言ってないで。薬飲んだら、早く寝ろ」と言わんばかりに本を取り上げ、乙女の体をベッドに押し倒す。


……が、場所が場所なはずなのに。傍から見て、類が友を呼ぶ現象というか、実にお互い、性もクソも感じられない仕草である。

なので、中身ともかく。こんなハーフ系美少女を前にして、医者の血ってホント凄い。

そして、子供の体と言うのも、ホントに神秘でいっぱいだな。とも、アトランティアは思った。



其れより、あの日から、特にここ最近。


普段何かと常飲している薬の副作用なのかは、定かではないが。それでも、こうして病み上がりの体は時折、朝昼問わず猛烈な睡魔に襲われる。

うつらうつら、揺蕩う意識。

冷たい手で前髪を一回撫でられ、そのまま意識が飛ぶ寸前。……耳元で、知らないはずの男の声がした。

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