第8話 始まらないから、終わることもない


愛も夢も星ではなく、海に願った。

明けない夜はないと。

絵本の代わりに、泡沫を見て。

さざ波の音が、子守唄だった。


怠い人生の拠り所を見つけただけ。

世界と逸れるその時まで。

海が私の安寧だった。


抗う程、無意味で。

求める度、奪われてしまう。

届きやしない、星や月ではなく。

泣きたくなる時、海を見る。


涙の枯れた私の代わり、波が泣いてくれる気がしたから。




光のない世界。真っ暗な箱庭。

あの家の中で見た"誰かの面影"。


『赤い表紙の本』


どこにも行かないって、言ったのに。

それが本能なのだと、受け入れてしまえば。誰も、何も、傷つかずに済んだのか。


凍った心に愛の言葉は届かない。

本当は、アイしていたのだと。

破られた"約束"。

引き裂かれた……"約束"。


本当の『嘘つき』は、『私』だった。





———すれ違いも、勘違いも、結局は『運命』だ。

人間。良くも、悪く。

そうやって、独りよがりではじき出した『答え』の全てが、『正しい』とは限らない。

それだけ世の中、何かにつれ、報連相が大事だという話である。


ありふれた、贈り物に対するお礼から始まり……。

お茶の話。

お菓子の話。

後は……一寸した、今後の話。


全私のお兄様。

全オタク夢女待望のF産イケメン。

僕の妹。

僕の何より可愛い、女の子……。


この子が寝込んでからと言うものの。こんなふうに一息入れたのは、本当、何時ぶりだろう。

耳を打つ、小鳥の囀る様な愛らしい声。

お茶と、お菓子と、花の様な甘い香り。

感慨深い事だ。

赤子の頃こそ、ミルクの匂いを纏わせていた子が。こうして成長するにつれ、言葉に言い表せないほど、"心地よい香り"を放つようになった。


「———では、お兄様。私はこれで、」


……しかし、いくら世の女児と言うモノが男よりずっと早く、成熟するとは言え。これは流石に早すぎではなかろうか?


「アトラ……」

「また後日」

「……アトランティア?」

「無理は禁物ですが、この後のお仕事も頑張ってください!!」


そうニッコニコ、踵を返す。

この度「いくらシスコンでも忙しい中、大した用もないのに時間潰されたら嫌だよな……。言いたいことも何とか言えたし、そろそろ退散しよっ」と、アトランティアがそう思う一方。

そんな妹事情を良く知っている様で、実の所、何も知らないお兄様は嘗てないほど、物凄く悲しい気持ちになった。


その言葉のまま、ルンルンニコニコ退室した妹に対し。途端、途轍もない大きなため息が部屋に響いたのが何よりもの証拠である。

それこそ、熱で暫く見ぬ間……何時の間に東洋的な茶を極めたのかも知らぬ存ぜぬコト、どころか、プレゼント代わり。今後、これ習いたい、あれ習いたい。


と。

アレコレ言うだけ言って、直ぐ「別の男」の元へ行ってしまった我が最愛……。


「……アラン」

「はい、なんでしょう」


妹が妹なら、兄も兄。結局は血の争えない、違うベクトルでの変貌と豹変。

瞬く間。

ほんの僅か数分前までとは打って変わって、お兄様の声はとても低かった。


故に。


「アラン・ティンバーレイク。一応聞くが、土地を身内相手に譲渡するのに、どれだけ時間がかかる?」

「え? 突然何を……いや、でもしかし、例え譲渡するにしても、お嬢様も何時かはご結婚して別の家門に、」

「あの子は、このまま一生。どこの馬の骨とも結婚しないし、させないつもりだが?」

「は? えっええ? また、そんな無茶な……」


アランは至極真っ当な反応をしているが……こう宣言するリアムもリアムで大真面目だ。

例え聖人君子だとしても世の中、古今東西、誰だって愛する人を余所へやりたくないし、やりたくもならない。

シスコンならば、尚更で。

頑固拒否どころか、普通に、生理的に受け付けない。


考えるだけ無駄。

頭も心も、理性も本能も、受け付けなかった。


真面目に。


「だから、生涯……。僕の妹が余所と結婚することはない。他の有象無象な貴族と違い、結婚による助け合いなぞ必要ないからな」


……寧ろ、した所で邪魔になるだけだ。


取り付く島もなく、言い放つその口ぶり。

傲慢、自信。

でも、強ち否定できないのだから、どうしようもない。

少なくとも、この時。そんな主人の姿、発言に。長い付き合いとなる侍従でも、肩をすくめることしかできなかった。


立場は違えども、本来なら同じ貴族である大人として嗜めるべき場面ではあるが……。

それでも経験としての、現実。どうせ言った所で聞き入れる相手ではないし。

まぁ、それ以上に……ここでの一寸した本音を言えば、アランだってお嬢様が可愛い。


例え元祖社畜大国だろうと、F世界だろうと真実はいつも一つ。

「可愛い」即ち正義。

何もせずとも。世のkawaiiは、そこに居る分だけ得られる栄養がある。

それも、上から下まで。基本、どこを見渡しても……猛獣尽くしな家城での話なら、尚更。


マジで。


「それも…そうですね」


即堕ち二コマならぬ、即諦め二コマ。

貴族としての常識を捨て、秒で、アランは掌を返した。

その様子に。リアムは分かり難くも、満足げに頷く。


……けれども。


「いや、しかし…お嬢様ぐらいになるお歳頃の女の子は普通、王子様に憧れるものですよね? お互いの家柄も家柄ですし。今後、もし実際に皇族の方と会ってみれば……アールノヴァに控えたアトランティア様はいざ知らず、向こうの方から寄って来るかも知れませんよ?」


なんせ三代前から、現在の皇室も……と。


アランは、始めこそ言葉を続けようとしたものの……。然し、それでも瞬く間、室温が物理的急降下し始めたものだから。本能ゆえ、侍従は口を噤む。

刺し殺すような眼光は、主だって直視せずとも、一瞬、目が合うだけで五感全て止められてしまいそうだ。

例えどれだけ顰めようと、造形の良い顔は美しいまま、


「……いいだろう。仮にも僕と父上がいる以上、その様な事態になる筈もないが、万が一の事もある。そうなれば相手が皇室だろうと、その他の有象無象だろうと、喜んで決闘でも戦争でもしてやろう」


あの子のためなら、どれだけの屍山血河を積もうと、犠牲を払おうと厭わない。

一族、領地全域、西部における全てを投げ打ってでも守りきる。


「なんせ、あの子こそ、僕の全てなのだから」


相も変わらず低い声。

リアムは最後に、フンと鼻を鳴らした。


ここまでくると最早、宣言ではなく『予言』である。

自信満々に、一糸の迷いなく。

この時ばかり、そう予言したお兄様の目はマジのガチであった。


(と、後の侍従は語る……)



本人不在の場ですら始まらないのだから、終わる以前の問題だ。

楊貴妃然り、マタ・ハリ然り、以下略然り……。古今東西、『傾国』と付く美人が薄命となり易いのは、主にこうした男共のせいのもあるだろう。

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