第5話 リアル『源氏物語』異世界版
『人生』とは、こんなにも喜びが溢れるものだったのか。
美人な姉が欲しい、可愛い妹が欲しい。
不幸よりは更なる幸福を。
始めこそは純粋とした人の本能、この世にありふれた、感情だった。
家柄、地位、容姿に才覚。
それら全て生まれ持ったとしても、満たされることのない、枯渇。
美しくも感情性が希薄で。優秀でありながら、その分人間味のない性だった。
『リアム・アールノヴァ』
次期当主としては大変素晴らしい。
でも人間としては、欠落だらけ。
好きも嫌いもなければ、何事にも執着・関心のない、空っぽの器だった。
家族のことは大事に思うも、ただそれだけで。
愛おしくも、心揺さぶる程ではない。
……全てを持っているはずなのに、何も持っていない、そんな人生だった。
一度そう自覚してしまえば、もう戻れない。
父も、母も、弟や、屋敷の使用人たちでさえ。
傲慢な被害妄想と言えばそれまでだけれど……それでも自分以外の人間が、みんな幸せそうに見えた。
「執着」という感情が人に充実と幸福感を与えるのならば、執着できるものがない自分は不幸なのか。
父や自分によく似た弟はもういるから、と。
今度は母にそっくりな妹が欲しい、と。
"始めの動機"は、それだけの話だった。
———だった、はずなのに……。
「リアムお兄様」
と呼ばれ始めた、あの日から。
そう呼ばれる度、心が擽られ、空っぽの器に命が吹き込まれていく感覚に捕らわれる。
物心ついた頃から、あれだけ灰色に見えていた世界が……気付けば、同じ腹から産まれた
『人生』とは、こんなにも幸福が溢れるものだったのか。
と。
そして、理解する。
本能的に、理解した。
この子は、自分———リアム・アールノヴァに愛されるために生まれてきたのだ、と。
母の黒に、父の青。
弟の柔らかさに、自分の冷たさ。
妹、
妹、
血の繋がった可愛い、この世の何よりも大切な女の子。
一目一声だけで、心の底から、誰よりも愛そうと思った、唯一の存在。
我が半身。
我が運命。
執着と愛の境界線は曖昧だ。
こうしてお前が生まれて来なければ、一生、知ることはなかったであろう。
昔からお前のことで知らないことがあるだけ、気が狂いそうになる時がある。
———これを『愛』と呼ばずして、一体何を愛と呼ぶのだろうか。
「リアム様、失礼しま……あっ、申し訳ございません。お休み中でしたか……」
……だから、守らねば。
「いや。……それより、アトランティアは何をしている?」
「お嬢様でしたら庭で、少し前まで散歩した後、日差しも強いですし…今は、部屋に戻ってお休みになっているかと思いますが……」
「そうか。庭に出歩けるまで回復したのなら、それでいい」
例えそれが本当の自由を奪い、美しい蝶の羽を生きたまま毟ることになるとしても。
兄であるリアム・アールノヴァが己のすべてを懸けてでも、守らなければ。
一人で地に足を付けて、走って、こけて、掠り傷一つつかぬよう大事に、大事に、真綿でいっぱいにした宝石箱の中で。
『猛獣』の腕に抱かれていることも気づけず、知らぬまま。
大事なモノは、最も安全な場所で囲っていなければならない。
気づかぬうちに優しく、羽根も翼も折って。
それこそ、この腕の外へ出ようとも、出たいとも思わぬくらい……。
だから。
「可愛い妹が、ようやく元気になったんだ。盛大にお祝いしないとな。
次期当主権限で、これからあの子に費やす予算を増やそうと思う。———そう3倍、いや……6倍ほどが妥当か?」
「……。……流石にやり過ぎでは?」
「僕もあの子も生まれながらのアールノヴァ、これでも少ないくらいだ。文句あるなら、少なくとも父上よりマシだと思え」
僕が誰よりも、あの子を愛そう。
僕の世界に初めての春を与えてくれた、妹を。
同じ母の腹から生まれ落ちた血肉。
あの冬の日から、『アトランティア』と言う少女だけが、
□
———古き良き日本の誇る『源氏物語』と言う作品を知っているか?
現代を生きる日本人で、そう聞かれて否と答えるのは、恐らく生まれたての赤子か、余程世離れした限界集落在住の者だけであろう。
それだけ日本……いや、それどころか世界中で『源氏物語』とは、海の先まで知れ渡った文学作品である。
恋愛や偏愛。繁栄と没落。
よくある権力闘争などを始めとし、赤裸々に、平安時代の貴族社会を描いた日本初の長編物語で、作者は紫式部、主人公は光源氏。
詳しい小説内容を知らずとも、義務教育を終えた一介の日本人ならば。少なくともこれだけは、誰でも知っているはずの設定と話だ。
「ご覧ください、お嬢様!!」
そしてそんな『源氏物語』の中、数ある女性キャラの中で随一に有名な人と言えば、生霊インパクトの強い六条御息所か、源氏ロリコン説を世に叩きだした紫の上が真っ先に思い浮かべられる(はず)。
「これって……」
少なくとも元日本人であった前世を取り戻したアトランティアが、現段階で真っ先、脳裏に浮かんだのは後者の紫たんであった。
在りし日のアリババが洞窟で見つけた金銀財宝までいかずとも、見るからにえげつない金額であろうアクセサリーの数々。
子供の身に到底相応しくない宝石があしらわれた象牙の櫛に、お高そうな白狐のガウン。
出掛けもしないのに贈られた、レースの美しいボンネット帽。
大量のドレスと言う名目の普段着。
金箔が付いた絵本。
たくさんの色鉛筆や、色とりどりの絵の具。
極めつけに、この…アールノヴァの領地でしか取れない(はずの)真珠を星屑の如く散りばめられたネックレスまで……。
「はい! これら全て!! 本日、お嬢様がお休みになっている間、リアム様が回復祝いにと送ってくださったプレゼントですわ!!」
なので、それらを見たメイド達は大層興奮しているが……。その分冷静になった張本人は、普通にドン引きだった。
本日昼寝から目覚めると、自分の部屋がバビロニア宝物庫になっていた件について。
(今生のお兄様へ)
いくら生まれながらの身分的に一寸稼いでいるからと言って、仮にも未成年でありながら、人としての限度と常識は一体どこに置いてきた?
この度の事故と熱で、前世で培った常識と、庶民感覚が身体にInした妹。
……今この時ばかり、目の前一面に置かれたキラキラ品々に喜ぶどころか、思わずドン引きである。
世の中、何事につれ限度や常識概念は必要だし。見舞い品を送るにしても、誰もここまでやれとは言っていないどころか、良識的にやるな。
(贈るな)
ついでに、金銭感覚と正気も取り戻せ。
……綺麗で凄いとは思うけど……流石に、七つの妹相手にやり過ぎだ。
(どれだけ厳選された子供ラインナップだとしても、コレは一寸……)
アトランティアは思った。
「お嬢様? お嬢様!! そのようにボーとして、若しやまたお身体が……??」
「あ、ああ、いえ。ただ少し感動して……」
色んな意味で。
「お嬢様、早く触ってみてください。これ等全てリアム様が直にお選びしただけ、手触りがとてもいいんですよ?」
「アトランティアお嬢様! ホラこれも!!」
「ふふふ、あのリアム様がお選びしたのにしては、なんて可愛らしんでしょう。……本当に昔から、ご兄妹仲が大層よろしくて、微笑ましい限りです」
後は、何だか私より嬉しそうだな、お姉さん達……。
等とも思いつつ。
ここまで来れば逆にこの度の節度ないバビロニア化に対し、ドン引き反面。「お兄様、気を確かに……!!」と怖気づいた自分の感覚の方が「可笑しいのかしら??」と思えてきたアトランティアお嬢様。
終始関係のない第三の目からすれば、ただの集団洗脳である。
頭ではイケナイと分かっていても、体が言う事を聞かなくなる、あの現象……。
幼少期の紫たんもきっとこうして好みの赴くまま、源氏お兄さんに育成されたに違いない。
後に正気を取り戻した、公爵令嬢の「方」はそう語った。
そんな中……。メイドの一人に勧められるがまま、馬鹿デカいベアを抱きしめたアトランティアは「おや?」と小首を傾げる。
その視線の先に前世で見慣れたシルエットが、一つ。
見間違うはずのない、それは……
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