第4話 幕裏挿話:過保護なのは訳がある
異国で生まれた奇跡の子。
粉雪の白、紅牡丹の赤。
私の黒に、あの人の青。
成長するにつれ見え隠れする面影は、幼い頃の私自身を見ているようだった。
「美しい」ことが罪だと言うならば、かの大陸かの国で、嘗ての私ほど罪深い女はいないだろう。
憂い、妬み、愛憎が募り。純白な恋心ですら、次第に狂気と執着に変貌する。
……それら全てに疲弊して、私は逃げ出した。
生まれ育った祖国から、まだ小娘と呼べる歳の身一つで。
西大陸諸国に比べ、各国の落差が激しい東大陸。
数多くの異民族や異種族が犇くそこで、随一の国家規模を誇る、我が祖国———『
大昔より『龍』を祭った一族を中心に、3000年かけて築きあげられた、【人族国家】。
一族のことは愛していたけれど、私は家出した。
『龍』に対し、『狐』を祭る豪族の一人娘であった私が。
龍の鳥籠で一生飼い殺されるくらいなら、冒険に出て、死んだ方が幾分マシだと思った末の暴挙だった。
元来の性格上、多少の浮気は一々気にしない質ではあるが……世継ぎの為とはいえ、好きでもない男に触られたくもないし、どんな仲の良い姉妹間でもアレの使い回しは一寸無理。
穴兄弟ならぬ、棒姉妹。
例え妓女でなくとも、いつの時代でも性病は怖い上。それら全部ひっくるめて、生理的に受け付けないのだから仕方がない。
『珠よ、珠。我らの宝玉よ』
いくら一人の女として国内最上級の名誉職だとしても、嫌なモノは嫌。
……ただ、いくらそう思うも、思いは思い。それだけ、あの国における『龍』の命令が、余りにも絶対的なものだから。
『わたくし、収監される前だからこそ、旅に出ます。探さないでくださいまし』
『ハイ? いきなり……なッ!?』
熟慮の末、当時。一族の全反対を押し切ってでも、See You Again。祖国自体から逃げ出すのが一番都合よかったのだ。
でなければ、鳥籠からの赤紙をその場で破り捨てた時点で、いずれ不敬罪で殺される身だし……。
そうでなくとも追々何かと難癖付けられ、家族を盾にドナドナ、鳥籠まで一直線な運命だったであろう。
———何より、物事なんて捉え方次第、世の無謀が全て悪い結末を招く訳じゃない。
場合によっては、若者特有の無鉄砲さや蛮勇さこそが、思わぬミラクルを引き起こし、自身の道を切り開く時がある。
「その髪と瞳……東の者だな? どうやら、ここ最近、町の住人とこの森の精霊が煩いのは君のせいか」
但しその様に海を渡り、逃げ延びた森の奥地で一体『ナニ』に出会うのかは……まぁ、流石に、その時になるまでは想像だに出来なかったのだけれども……。
異国の地で一人の男と出会う。
綺麗な青い瞳に真っ先浮かベるのは、毛色の違う生き物への「興味」だった。
突如、捕らえられた手に唇を落される。後の事はもうお察しだろう。
初対面の成人女性に対し許可なく「お嬢さん」と呼ぶ、失礼な男である。
「君は詠竜の後宮に入りたくないから祖国に帰れない。私は君に恋したから、君の全てが欲しい」
……ならば話は簡単だ。
「このまま外ぼ……いや、変にすれ違ったり拗れたりする前に、お互いこれ以上深く考えず。今直ぐ結婚しよう」
これはいわばwin=winの取引。そう謳うように、子供に言い聞かせるように、男は言う。
その事に私が「すっ飛ばされた恋人期間の気持ちを、貴方は考えたことありますか、ノア」と返せば、未来の夫はとても幸せそうに笑った。
「いきなり結婚は嫌か? では帝国の流儀に従い、お互い妥協して婚約から始めよう」
「妥協? これが…この国の男の妥協……??」
今となっても当時の事は鮮明に覚えている。
あの頃はとても戸惑ったものの、一度過去となれば存外いい思い出だ。
出会い当初より今生の夫は、本当に"変な男"であった。
我が身で過ごしてみなければ、世の中、一体何が起こるか分からない。
お互いの出身国や身分も身分で、新婚当初。文化・生活習慣と言った些末事で言い合う事もしばしばあったが、恋は盲目、夫は何だかんだ私に甘かった。
……しかしいくら、そんな完全無欠な男だとしても、愛する妻が自分の知らぬ所で当の実家に連絡しようとするのだけは、眉を大層しかめる節がある。
「スイレン、スイレン、私がこの生で初めて望んだ、恋焦がれた花よ」
「母上」
「お母様」
だから、我慢した。
例え幸福の傍ら、どれほど望郷の念に駆られようと。この身最期の時まで、私は我慢するつもりだった。
———だけど……。
それでも女独り、海を隔てた異国の地で、次第に膨れ上がっていく故郷への恋しさや、漠然とした不安は留まる事を知らない。
『白 睡蓮』も『リリー・アールノヴァ』も確かな私だが、"本当の私"は一体どっちなのか?
同じ意味合いでも同じ響きではない、『名前』。
呼ばれる度、大事に大事に、何より誰より大事に愛情注いで、産み育ててくれた両親や一族への罪悪感が募る。
いくら国・宗教が違えど……結局、人の名とは、親からの祝福であるのと同時に、最も原初的な
「ああ、可哀想に、私の子……、」
だから。
だからこそ、兄達と違い、私そっくりな娘が生まれた時。この心がどれだけ満たされ、救われたのか、この子はきっと知らないだろう。
数日前、最大の峠を越えたとはいえ、一刻も早く元気になって、またその声でお母様と呼んで欲しい。
私の人生そのものを常世の春にしてくれた、私の愛娘。
「げほッ、おか、おかあさん……」
「大丈夫。大丈夫、母はここに居ますから」
小さな体が炎の様に熱い。
少し咳き込むだけで心が、其の度、我が身までもが張り裂けるかのように痛む。
元より新雪の如く白い肌が真っ赤に汗ばみ。花弁だった唇が、血の塊そのモノに見える。
膨大な
そうやって夫の種と自分の腹で産んだ存在でさえ、タダなものは一つとない。
幸福と対価は付き物で。
犠牲に代償。
美人薄命とまで言わずとも、時折、神は残酷までに平等だ。
昔の私が
生れながらの地位や立場を抜きにしても、傾国の美貌は災いの元。
その事を誰より、私自身が一番理解している。
天から賜った祝福の様な容姿は、人の世では諸刃の剣。
惑わし堕とした人間の数だけ、危険に巻き込まれ易い。
「……一度死ねば、物悲しいだけの皮なのに」
どうして生ある人はこればかりを気にするのか。
まだ生きているだけ、奇跡なのだと。
嘗て傾国と謳われた自身を超えるに違いない、今後の娘の姿形、運命は……。
「ごめんなさい、愛しい子」
苦しむ我が子を前に謝る事しかできない、自分が情けない。
鳥籠から逃げるために、私は愛する娘を小さな宝石箱に閉じ込めてしまった。
望郷の寂しさに蝕まれたままでいい。
二度と会えない家族への罪悪感に押しつぶされてもいい。
消えない不安と、眠れぬ夜。
そんなもの、娘を失うかもしれない絶望と比べたら何でもない。……嘗ての私は、ただの自己満足と自己愛に身を委ねた女に過ぎなかった。
でも、今は……
「母は。貴女さえ笑って、泣いて、怒って……何より、誰よりも"自由"に生きてくれれば、それだけでいい」
少なくとも私は、そう思う。
自分の生き写しの様な美貌も、奇跡も、誰もが跪く才能も必要ない。
———生きているだけ。
それこそ、毎日、ただそこで穏やかに息をしているだけで。
夜明けは近い。
咎無き罪。佳人薄命。
「美しい」こと自体が罪だと言うならば、母親である私がどんな犠牲を払おうとも、守ればいい。
……きっと、これは、其れだけの話なのだろう。
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