第3話 幕裏挿話:美人は本当に薄命なのか?
まったく可笑しな話だ。
何時だって人は、後になってから魂を失った体を抱きしめ、涙を流す。
「———姉さん! ……ッ、嘘だ、全部うそだ!! い、いやだ、姉さん、姉さん姉さん、姉さんッ!!」
では、何故生きている間にもっと大事にしないのか。
……では、一体何故生きている間に、もっと素直に愛せなかったのか?
「ねぇ、さん……っ」
こうして嘆き悲しむぐらいなら、本当は愛していたというのならば。
……一体何故、今となってようやく死者を恋しがるのだろうか。
「雪乃姉さん……ッ!! う、ああ、嘘だ。姉さんが死ぬ訳ッ、」
今の場に唯一残るのは散骨を待つだけの、白い粉に過ぎないというのに。
失った後になってから後悔に浸る奴らが余りにも馬鹿々々しいし、憎らしい。
突如やって来た『有名人』に反吐が出そうだ。
火葬も、葬式もとうに終えた今。
———そんな"今更"となってやって来て、一体何になる?
雲の陰り一つない快晴。
普段以上に穏やかな海。
荒れ狂う男に反比例して物静かなさざ波は、寧ろ、友人の死を喜んでいるようだった。
「姉さん……ッ」
そう何度も何度も、飽きもせず。
長らく海を隔ててまで疎遠にしていた姉の遺骨を抱く弟の姿。
この時ばかり、何だか……憐れみというよりは滑稽にすら見えてくる。
手に入れるのが簡単すぎて、気づけなかったのだろう。
何があっても自分の味方になってくれる人が、あんなにも近くにいたというのに。
「うっ、ぐす、雪乃ちゃんっ」
なら対し、ひとり、若くして命を落とした姉の方は何と哀れなことか。
幼い頃に焦がれた愛は与えられず、どれだけ努力を重ねようと見向きもされず、最後の光すらも周囲の都合だけで引き千切られた……姉の方は。
それがどれだけ哀れで惨めなことか、お前たちは知る由もないだろう。
「好きだ、好きなんだ、愛してる、こどものころからずっとすき、すきだった、大好きだった、あいしてる、本当に、姉さん、俺の姉さん、雪乃、雪、ゆき、あいしてる、あい、してるんだッ、ゆき、どうして、どうしてっ」
お前にそんなことを言う資格はない、そう怒り任せ、このまま海に突き飛ばしてやりたい。
泣きじゃくる姿が滑稽過ぎて、今この場で嘲笑ってやりたかった。
血の繋がりがない他人だからこそ、良く見えることもある。
好きの反対が無関心であるかのように、子供にとって無関心ほどの暴力はない。
ただそれだけの話だ。
「……姉さん姉さん、帰ろう、戻ろう、姉さん、俺たちの家に」
これは、あの子の人生は、ただそれだけの話だった。
だからなのか。やはり悲しみより先に、怒りが沸きだつ。
真夏だけではない熱が、体中を茹る。
お前たちが先に捨てたくせに、なぜ今となって連れ戻そうとするのか。
目の前の男が一体何を言っているのか、まるで理解できなかった。
思いだす、出会ったばかりの頃の少女の姿。
外は綺麗でも、中身がボロボロな女の子。
いつも独りぼっちで微笑んで、いつも一人で海を眺めていた……私の
奪うだけ奪って、何も与えないまま捨てて、これまで置き去りにしてきたくせに。
———なのに、今更?
家に帰ろう?
寂しそうな目で、いつも海の向こうを眺めていたあの子を連れて……?
「ねえさん……」
「ッ」
昔から美人薄命とは言うが、流石に、死後も尚コレはないだろう。
コレだけはない。
コレだけは絶対あってはいけないし、友人として絶対、許せない。
「……ちょっと待ちなさいよ、アンタ。今更になって、一体何様のつもり?」
「あ?」
そう考えるだけ目と頭にカッと、血が上る感覚がした。
先の事を考えるより早く、反射的に、乱暴に男の肩を掴む。
口から吐き出されたのは、到底自分の声とは思えない、呪詛の様な音色だった。
———お前
大声で叫んで、今すぐ目の前の男をなりふり構わず、殴り飛ばしたい。
でも、一重にそうしないのは、こんなのでも一応あの子の家族であるから。
家柄を表すのが人間の『性』ならば、親の望みと期待が詰るのが『名』と言うモノ。
そんな人の世の『名前』とは、人が、この世で一番初めに他人から与えられる『呪い』。
……だから、あの友人にとって『呪い』そのものであろうあの家に、この男の意一つで、連れて帰らせる訳にはいかない。
「お前、誰? そっちこそ、雪乃姉さんの……何?」
それがあの日失った友人に対し、今の私が、私として最後にしてやれる手向け。
不自由な自由で縛られ生きてきたあの子が、せめて死後は自由にと……"あの家"から完全に解放されるための、海洋散骨。
『雪も好きだけどね……。でもね、私……もし次生まれ変われるなら貴女の様な、海を感じられる名前を付けて欲しいな』
暗闇を照らす月と、行きつく果てがなくとも、どこまでも自由な海があの子は好きだと言っていた。
笑いながらもし死んだら一族の墓ではなく、海に帰りたいとも。
『だって、私にとって海は大好きな貴女で。子供の頃から、辛い時、唯一寄り添ってくれた大好きな場所』
だから、と。
最後の願い。
もしもの遺言。
「……もう誰でもいいから、離してくれ。今すぐ俺は、俺たちは、帰らないといけないんだ」
"俺は忙しい"
だから、これ以上、お前たちの仲良しこよし茶番に付き合う時間はない。
「……今度こそ帰るんだ、雪乃と一緒に、な」
だから、私も守らなければ。
今も大好きで、何より大切な
……でなければ。今の私もこの男の様に、一体何のためにあの子が奪われたのか、分からなくなる。
「もし? そこの御二方、お時間です」
その後、暫くして。ようやく到着した住職の声に混じって聞こえてくる、緩やかな波の囁き。
泣きたくなるほど美しい夏の青空が、まるで天上から、こんな私たちを嘲笑っているようだった。
「どうか、帰らせてくれ。返してくれ、俺の愛する人をこうも簡単に、」
———連れて行かないで。
……今更、何をしたとしても無駄だというのに。
本当に往生際が悪いこの男も、夏も、嫌いだ。
あの日から一生、二度と、この季節を好きになることはないだろう。
茹だる様な熱が今この瞬間も、身体を侵食していく。
結局。あの子を失った日も、この日も、全身が沸騰しそうになるほど暑苦しい、真夏日だった。
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