第2話 何事にも限度はある


夢を見た。

美しい海の夢を。

名も知らない人魚たちが歌い、イルカたちも踊っていた。


絵本で見る、お伽噺の様な世界。

幼い頃から海は好きだけど、一度も行ったことのない場所なのに。

何故か、すごく懐かしい気がした。


【魔力暴走】後も一週間ほど、生死の境を彷徨さまよった。

生まれつき頑丈とは到底言えない体で、ひどい熱だった。




今日も真夏の様に茹だつ頭で、夢を見る。

光のない真っ暗な部屋で、小さな女の子が泣いている夢を。

最後の記憶。

最期の記憶?


『ああ、そうか』


と思いだす。

———「前世の『私』は、車にひかれて死んだのか」と。


熱でグラグラする頭の中。

まだ、死にたくない。今も『私』が泣いていた。


———『私』が?

それとも、『彼女』が?


雪崩れ込む前世の記憶。

思いだした? 前世での記憶……。


『何だか、私が出て来る本を読んでいる気分だ』


そこで知る前世の私、『九条雪乃』がどんな人間だったのか。


それからは、よくある小説的な話。

今も知識熱で死にかけている今生の体に……あの日、死んでしまった前世の人格や、アレコレとした記憶が一発入魂してしまった件について。

二重の意味で嘗ての私は二人とも死んだし、神も死んだ。





———この世界における『彼女』の役割は、一体何なのか?

世の中、何事にも限度はある。

"事実は小説より奇なり"と、皆は言うけれど。

……元大人でも、未知ほど怖いものはないし。誰もここまでやれとは言っていない。


夢、浪漫、信仰、冒険。


貴族に平民。

確かな神はいれど、基本的にいない世界で。

はっきり線引きされた身分差の激しい、社会。


中世ヨーロッパ的な西大陸と、在りし日の東洋的な東大陸。

果てのない雄大な海、険しい神々の山稜。

神話時代の終幕と共に、世界各地に散りばめられたダンジョンや禁足地……。


神と人間、獣人や人魚。

精霊に魔物、魔法にオーラ……等と。

前世からすればただの夢物語でしかない、そんな摩訶不思議パワーと生物が蔓延る世界で、私———『アトランティア・ピオニー・アールノヴァ』は生まれた様だ。


それも現段階の世界観からして、世にも珍しい東大陸出身の母×西大陸で生まれ育つ父から爆誕したハーフ娘。

西大陸二大帝国うちの一つ、アースガレイシア帝国四大公爵家・西部アールノヴァのご令嬢。

実の兄が二人ほどいる末っ子で、マジモンのお嬢様……。


生れながらにして親ガチャ家ガチャSSR、不動の地位、尽きぬ財産。美貌の母によく似た色味の、類まれなる顔面偏差値を誇る、『公爵令嬢』……。



とどのつまり、何が言いたいのかといえば———フラグである。



……少なくともアトランティアが、この度取り戻した前世感覚からして……原作不明だろうと、不明でなかろうと、俗に定義された『公爵令嬢』とは、基本的にファンタジー異世界物における最大級のフラグ身分である。

前世が前世で色々あって庶民な分。すごいと思う以前に、普通にヤバ。

日本産、元平凡オタク女子大生からすれば、もっとヤバ。


今生の実家、未来の王子様うんぬんいざ知らず。婚約破棄、国外追放、娼館オチ、断頭台……数えるだけ無駄で、指が足りない。

いくら原作不明な段階でのモブ令嬢ポジでも、油断すれば明日の我が身となるのがファンタジーなのだから。

もはや奇跡とか、心底どうでもいい。


あんな前世の最期に引き続き、今生の身までもがご臨終しなかったのは喜ばしいが。

……良くも悪くも同時に『九条雪乃』であった頃の人格や記憶等が、この身体にInしてしまったが故に。色々素直に喜べない、今日この頃。



その様な、今生。

爆誕した時から約束されし、勝ち組のはずなのに……死の淵で昨今が巡り会い、出会い、そのまま融合を果たした今の全『私』は泣いた。



どれほど前世の記憶を弄っても、知らない世界。

巷で有名な俺TUEEEどころか、こうしてこの世界の原作を知らぬ存ぜぬ以上、今後何かにつれ攻略・回避・介入のしようがないし、出来もしない。


その分の自由度はあれ、コレはない。


七つまでは神の子だろうと、コレばかりはひどい。


———彼女は思った。


「咳がひどく、熱も更に上がったようです。夜が明けたら、直ぐにでも主治医を……」


朦朧とした意識の中、心配そうな誰かの声がする。

こんな頭では『今』が夢か、現実なのか区別が付かない。

七年付き添った自分の体が、自分の体じゃないみたいで……ここ数日を境に、まだ幼い脳に一気に押し寄せた情報量の多さで又もや熱が上がる。


そんな、夢と現実の落差。

どんな世界でも、世の中知らない方が幸せな時分は多々あるのに。要らぬところまで、前世を知った時点で色々気づいてしまう事がある。


世界への違和感、現状への不快感。

胃も頭も途轍もなく気持ち悪く、しんど過ぎて今にも、又もや死にそうだ。

体中が重く、ひどく眠い……。


「ああ、可哀想に、私の子……、」


耳元で囁かれる誰かの声。

キーンと鳴りやまない、耳鳴り。

咽喉が渇き、水が飲みたい。

海の夢。

新たな現実。

……でも、このまま深い深い眠りについて、次に目覚めた時。果たして『私』は『何』になって、どこに居るのだろうか。


殆ど寝たきり状態のまま、アトランティアはぼんやり考える。

相変わらずこのままの姿形なのか。

それとも今回を期に思いだした前世が終わった、あの世界に戻っているのか。


———そのどちらでもないのなら、今度こそ。


「もう、少し……」



あの夏の日から、今日も全身が沸騰しているように熱かった。

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