第8話
彼女の部屋で、彼女のお気に入りの本を見る。
「………まるで図書館だ」
僕の新しい部屋の寝室と居間を合わせたよりも広い部屋のほとんどが、書架に占領されていた。
壁のほとんども書架。
本が日に焼けないように窓も潰して、書架を置いてある。
たくさんの本が置けるように、という理由もあるかもしれないが。
おかげで部屋の中は電気がないと、昼でも暗い。
もちろん書架には、床から天井近くまで本が詰まっている。
上の本も取れるよう、梯子もある。
書架の他にあるのは、小さなテーブルと椅子が2脚だけ。
一つしかない窓の傍に置いてあった。
これは、部屋ではなく書庫と言っても間違いではない。
奥の方にあるドアは寝室に繋がっているのだろう。
彼女はローラから受け取った本を窓辺にテーブルに置いた。
ローラは部屋には入って来なかった。
ぃや、正確には入ってこようとしたが、彼女が入れなかった。
ドアを少し開けておく、という妥協案を出して。
だから部屋には二人きり。
だけど僕は、心躍らんばかりの状況よりも、部屋から溢れんばかりの蔵書の多さに、圧倒されていた。
「そんな事ないわ。ジャンルに偏りがあるから………」
確かにこの部屋の書架には地図や図鑑、小難しい哲学書などはなさそうだった。
でも小説だけでもこれだけ集めれば、それはもう図書館と言って差し支えない、と僕は思った。
彼女は僕の脇をすり抜け、棚の奥まで歩き、一冊の本を抜いた。
「ほら、これ」
差し出された本のタイトルを見て、僕は驚いた。
「これ、あの画家の?」
「そうよ。彼の伝記。図書館では閉架中の本だからすぐに見られないけれど、私は持っているの」
僕は本をパラパラと捲った。
イタリア語で書かれたそれがとても古いものだ、と気付いて奥付を見れば、200年ほど前に出版された初版物だった。
何気に棚を見れば、どれもこれも時を経ていると思しき本ばかりだった。
「あの時は、私がそれを貸してもいい、と思う程、あなたの事を知らなかったから。だから画集を勧めたの」
「………この伝記もお気に入りなんですか?」
素性の分からない僕に、この本を貸す事を躊躇った事は理解できる。
本当の所までは分からないが、それでもこの本の価値が相当のものであろうと想像できるから。
彼女がこの本を持っていたかどうかも、どうでも良かった。
賭けに勝ったのだから。
ただ、どうしてこの本がここにあるのかが知りたかった。
彼女は小さく肩を竦めた。
「言ったでしょう?この部屋にはお気に入りのものしかないわ」
僕は頷いた。
”お気に入り”だ、と彼女が言うのなら、そうなのだろう。
ただ、何を気に入ったのか?という疑問は残る。
それを知りたい。
彼女の全てを知りたい。
僕は本を閉じた。
「今なら……」
「なに?」
「今ならこの本を僕に貸してくれますか?僕が望めば、ここにある本を貸してくれますか?」
我ながらずうずうしい、と思う。
僕と彼女はついさっき知り合った、と言っても間違いではない。
今だって、お互いの事など、ほとんど知らないも同じだ。
友達、どころか、知り合いでさえないかもしれない。
なのに、貸してくれないか?とは。
でも僕は分かっていた。
彼女が僕をこの部屋にいれてくれたから。
きっと僕は彼女に”気に入られた”。
それが思い込みだ、と言われれば、それに反論する術はない。
彼女はにっこりと笑った。
「えぇ、いいわ。その本でも、どの本でも。好きなだけ持って帰ればいいし、ここで読んでも構わない」
僕は心が沸き立つのを感じた。
「ありがとう。ではお言葉に甘えて、この本を貸して下さい」
僕は僕達が知り合うきっかけになった本を借りて、その日は帰った。
机に着くと、すぐに表紙を開いた。
そして愕然とする。
表紙を開いたそこには、出版された年の日付と著者のサインがあった。
著者のサイン入り初版本。
それがどんなに本の価値を高めるのか?
僕は借りた本の価値を見誤っていた。
だが、彼女がこれを簡単に貸してくれた事で、より一層確信した。
僕は彼女の“お気に入り”になったのだ、と。
だが、自分の何が気に入られたのかは分からないままだ。
それを読み解く為にも、この本を精読しなければならない。
僕はページをそっと捲った。
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