第7話


家に招かれて。


彼女はまず、僕を彼女の母親に会わせた。


「母様、この方、ドーソンさんと仰るの。作家さんなのよ」

「あら、そうなの」


母親はソファに座り、刺繍をしていた。

母親は彼女の声におざなりの言葉を発しただけだった。

針を動かす手を止める訳でも、ましてや、顔を上げるでもなく。


そういうものなのだ、と僕は思った。


本来なら僕は、ここにいてはいけない類の人間。

母親にとって、益になるはずのない人間。

だから母親は僕の存在を気に留めないのだ。


その事は彼女も知っている。


だから彼女は居間の中に入っては行かない。


普通なら彼女が母親の傍に寄っていく後に、僕も行った事だろう。

だが、彼女は閉められたドアから1歩入った所から動かなかった。

彼女が動かないので、僕もその隣に立ったまま挨拶するしかなかった。

彼女が借りた本を持ったローラは、当然ドアの外。


ここはそういう世界なのだ、と僕は思った。


僕の存在は母親にとって、目にも入らない小さな虫けらと同じ。

それを理解したうえで、僕は母親に挨拶した。

それ位しか、僕が虫よりも上等なのだ、と示す方法がなかった。


「お初にお目にかかります。ヘンリー・ドーソンです」


僕の声に手元から目を上げた母親は、僕を見て、にっこり微笑んだ。


「アンナの母です。その子と仲良くして下さいね」

「こちらこそ」


僕は笑顔を浮かべた。

微笑んだ母親は彼女同様に美しかったが、そこには、ほんの一欠片の温もりもなかった。

背中に冷たいモノが走ったが、それには気付かぬ振りをした。


「では、母様、失礼します」


彼女の声に促されて、僕は小さく頭を下げ、母親の前を辞した。

母親は一度も立たず、また、僕に手を差し伸べる事もなかった。


大きい分、虫より悪い、と思われたかもしれない。


僕は心の内で白旗を振りながら居間を出た。

ドアを閉めた所で、彼女がくすっと笑う。


「緊張していたの?何だか頬が引きつっていたわ」

「………もちろん緊張しますよ。こんな立派なお屋敷の奥様に挨拶する機会なんて、めったにありません」


相手を値踏みするような母親の冷たい視線に怯まない様に虚勢を張っていたのだ、とは、口が裂けても言いたくはない。

自分の恰好がどんなにみすぼらしいものであるのか………

それは、僕自身が良く分かっている。


最近新調した一張羅は、玄関のドアを開けてくれた執事の服にも見劣りする様なもの。

表情には出さなくても、執事が眉を顰めたのは分かった。

今頃は、預かった僕の帽子をゴミと間違えない様にしようと考えているに違いない。

どんなに頑張っても彼女に釣り合う訳がない。


彼女の隣を歩いてはいけないのだ。


彼女に招待されたからと言って、のこのこ付いてくるなんて。

なんて愚かだったんだろう。

僕はそれを痛感した。


それでも僕は背筋を伸ばし、にこやかに挨拶する事で、その視線を弾く努力をした。

身の程をわきまえろ、と言う彼らの無言に対して、弱みを見せるな、と、僕のプライドが僕を奮い立たせたのだ。

結果、白旗を振る事になってしまったが。

その姿が、彼女には緊張していたように見えたんだろう。


「そうなの?そうは見えなかったけれど………あの母様に堂々と挨拶するなんて、普通、出来ないもの」


アンナはそう言って、僕の前を歩き出した。

その後ろをローラが歩く。


僕は彼女の言葉に、驚いた所為で動けなかった。

彼女の口ぶりは、まるで、僕の過去を知っているかのようだった。

昔は挨拶していたでしょう?と。

あの頃の事を忘れてはいないのでしょう?と。


でもそれは、僕が勘ぐり過ぎているだけかもしれない。


僕がついて来ない事を察したらしいローラが振り向いた。

僕は急ぎ足で二人の後を追った。

ローラに並んだ所で、アンナが口を開いた。


「それにしても、母様の態度に驚いたでしょう?でもあれは私の所為なのよ。あなたが気にする必要はないわ」

「………」


慰められた。

僕の虚勢は“虚勢”として、彼女に伝わっていた。

それを知った上で、自分の所為だと僕を庇うなんて、なんて優しい人だ。


僕は、情けないような、嬉しい様な気分で、彼女の背中について足を進めた。

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