第5話
教えられた書架の先を曲がり、奥を目指し歩く。
流石、街一番の図書館だけある。
この前は気付かなかったが、とにかく広い。
階段を上って、更に奥を目指す。
歴史小説、と書いてある書架を探し歩く。
と、いた!
彼女だ!!
踏み台に乗り、書架の高い所にある本に手を伸ばすメイドの傍で、棚を見上げている。
「ほら、もう少しよ」
メイドは爪先立ち、手を懸命に伸ばしているが、目当ての本には届かない。
「お……嬢様………私には…ムリです………」
メイドは手を下ろし、踏み台から下りた。
「どなたか人を呼んで参ります」
「そうねぇ。そうしてもらおうかしら」
「カウンターにいたの方はどうです?」
「マクラガンさんはあなたより背が低いもの。それに立派なお腹をしていらっしゃるし………ハンスを呼んできて」
「ハンスですか?でもあの人は馬の世話をしなけりゃ………」
二人は、僕に気付いていない。
僕は驚かさない様に、書架の入り口から、あの、と声をかけた。
二人がこっちを向いた。
僕は帽子をとって、笑顔を作った。
「ぁの、僕が取りましょうか?どの本なんですか?」
メイドは彼女の前に立ち、探る様な目で僕を見た。
が、その後ろで彼女が、あら、と声を出した。
「あなたの顔、知っているわ。ずぅっと前に本を探していた人ね?」
彼女はそう言ってメイドの前に出た。
メイドが何か言いかけたが、彼女は、しっと唇に人差し指を当てた。
そしてその耳元で二言三言、話す。
メイドは彼女の後ろに下がった。
僕はそれを見て、彼女の方に足を踏み出した。
「はい、そうです。こんなに服が変わっていたのに良く分かりましたね。覚えていて下さったんですか?」
「服?そんなの覚えてないわ。ただ、あなたの顔色が悪かったのを覚えていたの。この人は図書館で本を探すより、病院に行った方がいいのにって、そう思ったのよ」
「そうですか………どの本ですか?」
僕は彼女の横をすり抜け、メイドにも笑顔を見せると、足踏みを上り、尋ねた。
彼女が僕の服装ではなく、僕の顔を覚えていてくれた事が嬉しかった。
たとえそれが、朝から何も食べていなくて、賭けに焦って青くなっていた顔だとしても。
「ぁ、その棚の右から6冊目。………そう、それよ」
僕は彼女の指示通り本を抜きだすと、足踏みに乗ったまま彼女に差し出した。
「ありがとう」
「他に何かありますか?」
「いいえ、結構よ。その棚で興味があるのはこの本だけだから」
彼女はそう言って、本をメイドに渡した。
メイドはそれを大事そうに胸の前で抱えた。
僕は足踏みから降りた。
「それで?あなたの求める本はアレで良かったのかしら?」
僕は頷いた。
「今日はそのお礼を言いに来たんです。あなたのおかげで、僕は大変な幸運に恵まれました」
「どういう事?」
彼女が首を傾げた。
「実はあの時、僕は友人と賭けをしていました。友人は、ある本を持ってくれば金を貸してくれる、と言う。僕は何としても金が必要だったんです。それで、あなたに助けて頂いて、僕は賭けに勝った」
「あら、そうなの。随分大金を賭けたのね?」
「その時彼に借りたのは金貨5枚。それでも、あの時の僕にとっては大金で……その金で僕は食事をし、汽車に乗り、仕事を得ました」
「仕事?」
「はい。僕の書いたものが、出版されました」
まぁ、と彼女は目を見開いた。
「じゃぁ、あなたは作家なのね?」
僕が頷くと、彼女の目が煌めいた。
「素敵!お名前は何とおっしゃるの?その本、図書館にある?」
「ぁ、ヘンリーです。ヘンリー・ドーソン。ペンネームは、ルピナス。まだ出版されたばかりで、図書館にはないそうです」
そんなに沢山刷ってもいないだろうから、と続ければ、彼女は頭を振った。
「私、知っているわ。先日、新人賞を取ったでしょう?ウィルマー出版の………確かタイトルは………」
「「『ショコラ・デ・ショコラ』」」
二人の声がハモリ、楽しい気分になった。
彼女も同じらしい。
驚いた様に一拍置くと、くすくす笑い始めた。
「書評を読んだわ。とても素敵なお話だって書いてあった。とても切ないラブ・ミステリだって」
ひとしきり笑ったあと、彼女はそう言った。
「ありがとう。そんな風に評して貰えるきっかけを作ってくれたのは、あなたです。だから僕は、どうしてもあなたに会いたかった。会って、礼を言いたかったんです。本当に、ありがとう。あなたは僕の幸運の女神です」
「ぁら、そんな。女神だなんて、大袈裟だわ。だってあなたが賞を取ったのは、あなたが素晴らしい才能の持ち主だったからでしょう?」
僕は頭を振った。
「あなたのおかげで賭けに勝つ事が出来た。あの時から良い事ばかりが起るんです。温かい部屋で眠り、美味しいものを口にして。ほら、こうして新しい服を着て、磨かれた靴も履いて………そして、あなたにまた会えた。本当に、何から何まで夢の様だ」
彼女はしばらく黙って、僕を見ていた。
そして息を吐く。
「ごめんなさい。やっぱり私にはあなたの才能の素晴らしさが、その幸運を呼び込んだとしか思えないわ。でも、もしそれでも私のおかげだ、と仰って下さるのなら、一つお願いがあるのだけれど」
「何ですか?僕に出来る事なら何でもします」
彼女は、そう難しい事ではない、と前置きして僕から離れた。
メイドが彼女についていく。
僕は何をお願いされるのか想像出来なくて、ドキドキした。
彼女は2つ隣の書架の前で止まった。
「この棚の一番上の本を取って欲しいの」
「喜んで!」
僕は足踏みを持って彼女の傍に行き、指示された本を抜き取って渡した。
彼女はにっこり笑って、ありがとう、と言った。
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