第4話


図書館の司書は、僕の事が分からないようだった。


カウンターに置かれた画集を見て、眉根を顰める。


「お友達に言って下さい。貸出期間は2週間だって。10週間も借りっぱなしにしないで、期間内に返して下さいって、ね」

「ぁ、はい。すみません。どうしても時間が取れなくて………」


勘違いされたままでも良かったが、彼には少々お願いがあった。

だから僕は”本人”として謝った。


「遅くなった事で何かペナルティーがありますか?お金を払わなければならないんでしょうか?」

「ぃえ、お金は必要ありません。ただ返しに来た日には………」


司書は話すのを止めて僕を見上げ、凝視した。

眼鏡をかけ直す。


そして。


「ぁれ?あなた………あなた、あの時この画集を借りた人?」


僕は頷いた。


「はい。あれから色々あって、返すのが遅くなりました。本当に申し訳ありません」

「色々ってまぁ………本当に色々あったようですねぇ」


司書はマジマジと僕を見た後、ほぅっと息を吐いた。


「私は長い事ここで本を貸し出しています。それこそあなたが生まれる前から、ね。同じ時間、私はここに来る人の人生も見て来た。よちよち歩きの子どもが成長する姿など、何度も見た。でも、こんな短い間にあなたほど様子の変わった人はいませんよ」

「はぁ………実はその、今から私に起きた色々を聞いて頂きたいのです。そして、少々手伝って頂きたいと、そう思いまして」

「………まぁ、いいでしょう。聞きましょう」


司書は僕の後ろを見て、誰もそこにいない事を確認してから頷いた。


「但し、短めにして下さい」

「はい。ありがとうございます」


カウンターに用事のありそうな人が来たらすぐに口を閉じる、と約束して、僕は話し始めた。


僕の人生がまるっきり変わった経緯を。

友人と賭けをした所から。

小声で、早口で、そして少し端折りながら。


「………という訳で、本を返しに来るのが遅くなったのです」


幸いな事に、僕の話を遮る様な人は誰もいなかった。


「ふぅむ………何ともはや。では、あなたが先日、ウィルマー出版主催の新人賞をお取りになったルピナスさんですか?」

「はい。ペンネームです」


司書は立ち上がると、右手を差し出した。


「まずは、おめでとう、と言わせて下さい」

「ありがとう」


僕達は握手した。


「あなたの本はまだ図書館には入ってないんです。注文してはいるんですが、すぐには手に入らないほど人気でね」

「そうなんですか?そういうのは僕には良く分からなくて。何しろ書いただけなんです」

「作家とは、そういうモノなんでしょうねぇ。本を売るのは出版社の仕事ですから」


司書は笑顔で手を放した。

そして椅子に座ると、ほんの少し困った様な顔をした。


「で、私は何を手伝えばいいのです?まさか、とは思いますが………個人情報は教えられませんよ」

「そこを何とか。彼女にお礼を言いたいんです。名前だけでも何とか………」


僕はカウンターに手を付いて懇願した。

司書は頭を振る。


「残念ですが、規則なんです」

「そんな………」


僕が落胆の息を吐いた。

以前、彼女は常連だ、と言っていた。


だから朝から晩まで毎日ここで張っていれば、いずれ彼女に会えるだろう。

だが、それでは小説を書く事が出来なくなる。

出版社は、早く次を書いてくれ、と言っているし、僕も書きたい。

次回作の構想はもう出来ているのだから。


あぁ、どうしよう。

彼女には会いたいが、書きたい。

今、ここに彼女が現れてくれれば良いのに。


焦れるような気持ちで、図書館の中を見回す。

司書が僕の注意を引く様に指でカウンターを軽く叩いた。


そして。


「そこの書架の先を曲がって、2つ目の階段を上った、ずぅっと奥の方に行って御覧なさい。歴史小説はそこですよ」

「歴史、ですか?」


僕は司書に、歴史に興味があるとは一言も言っていない。

実際に興味もない。

僕に歴史小説を勧める意味が分からず問い返すと、司書は頷いた。

その口元が笑っていた。


もしかして?


「そこに彼女がいるんですね?!」


僕はその事に思い当たり、司書に確認する。

と、司書は、し~~っと人差し指を立て、口に当てた。


「静かに。ここをどこだと思っているんですか?館内では小声で話して下さいね」


僕は頷くと、司書に、ありがとう、と小さな声で感謝を伝え、足早にカウンターを後にした。

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