第60話 僕の歌を聴け

 僕はふと、とある作家の受賞インタビューのことを思い出した。ずっと目に焼きついているあの姿。たまたま知人が受賞したのだ。作家になりたくて書いていた人だったから、良かったな、と思った。

 僕にとって作家になることや受賞することはその程度のことだった。さらに、”知人”が受賞したことで随分身近な出来事として記憶され、作品が書籍化されてそれを読んだ時、「なんだ、結構さっぱりと書かれているな」と、ちょっと拍子抜けしたくらいだった。


 あれからかなりの年月が経ち、僕がこのように(趣味レベルであっても)小説なんかを書いているなんて、当時の自分は夢にも思わなかった。


 一時期はPVや星の数、受賞への憧れもあったが、ある時からその気持ちは急激に萎んでいった。

 それは、受賞スピードを書いた時だ。降って沸いたアイデアとして冗談で書き上げたアレ。天川書記との出会いから今までのこと。本当は祐里会計や🐖顧問のことも書きたかった。豆はは様やT博士のことも僕たちを見守ってくれる頼れる人として大切に思っている。ただ、書き始めたらキリがないので辞めた。どうせ冗談なんだから、と。


 そう、冗談のはずだったのだ。

 それなのに、僕はスピーチがあまりに締めくくりのような内容だったので、このまま部を解散してしまおうかなと想像した。むしろ、自身のカクヨムも一度辞めようかと思うくらいに。


 この二ヶ月で僕たちはとんでもない自己開示をした。昔の近況ノートや作品のコメントを見ると、ただの一人のカクヨムユーザーに過ぎなかったのに、今や書いても語っても変態だ。

 だが、僕はそれで良かったと思っている。だから、そうなった今はもう部活の役割は終わりで、あとは各自の活動でいいかな、と思ったのだ。


 仮面を被って生きるのは辛い。

 人に理解されないのは辛い。

 厳しい未来を予言されるのは辛い。


 ありのままで生きてはいけないのか。ありのままの自分は駄目なのか。そういう戦いをずっとしてきて、僕は行きついた。


 僕は、賞を取らなくても大丈夫なのだ。

 僕は、本当は小説すら書かなくても大丈夫なのだ。

 僕には、自分の価値を証明するためにやらなくてはならないことは、一切ない。


 そう思えた。

 その上で、なお何がやりたいかと考えたら、やっぱり小説が書きたかった。

 今までとは小説の定義が変わった。僕は、似て非なる僕に似合わない、相応しくない、必要のない定義を見つけて、変えていけるようになっていたのだ。そのために小説を書いてきたのかもしれない。言葉の吟味。その集中力と繊細さと感度を持ってして、内的世界の変容を加速度的に行った。


 その勢いの中で、僕はとある言霊を手に入れた。”本当の自分”に返るための言霊だ。



「それ、クソつまんねぇ」



 僕がえらい目に遭う時、それは僕が僕を弱い人間だと誤認するときだ。僕の人生は、そういう僕の甘えを一瞬も許してくれない。クソつまんねぇ思考や生活や環境を自分でブチ壊していくのが”僕”である。



 僕は僕に目覚めた。

 部活は面白いので続けることにした。

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