応援コメント

第22話 問いかけ」への応援コメント

  • 純文学は芸術性を重んじる、でいいんですよ。
    きれいなものでも汚いものでも何でも、読み手に何を想像させるのか、その手腕が問われる作品ってことで。

    モネの睡蓮見て、「へぇ、こういう池なんだ」と思うだけじゃなくて、水紋もないつるりとした水面に映るもので周囲がどんな様子なのか想像するとか、そもそも水紋がないってことは無風なんだなとわかるとか、興味持って睡蓮の連作を見て、「ああ、ああいう太鼓橋みたいなブリッジがかかった池なんだな」とか「太鼓橋ということはモネは日本や中国の文化が好きなのかな」とか、ちょっと考えればそこまで想像できるわけです。

    文章で読み手にそうやって想像させるためには、言葉が多すぎても少なすぎてもいけないと思います。
    現に私は顧問にこっぴどくやられた(大げさ表現)ので、「ビートルズ~」に軍艦マーチについての文言を付け足しました。
    指摘されて、ちょっと少なかったなと思ったのでね。
    過不足なく書けていれば、純文学として成り立っているといえるのでは。
    文字数2000文字で悪かったなー!むきーっ!
    2000文字だろうが200000万文字だろうが、芸術性に重点を置いていればOK、行間を読ませろってことです。

    ……知らんけど……(保険)

    作者からの返信

    気にしてるの意外www


  • 編集済

    >書記長

    そうそう、純文学という字面がよくないんですよ! 日本の中のニッチなジャンル(みんな大好きガラパゴス!٩( ᐛ )و)なのに、これが文学の最高峰! 真髄! みたいなね、勘違いさせる人を発生させるというのが。
    まあ、とはいえ、純文学を名乗り始めた人たちは、そのぐらいの気概はあったと思いますよ?

    まあ今は情報も行き渡ってるというか、調べる気になりゃ簡単に調べられるので、そんなこともないと思いますが、純文学新人賞投稿作の八割は、なんてことはない恋愛小説(もどき)ばかりだという話もありました。まあおっさんの説教で若い娘心酔とか、おばさんのよろめきとか、まあ詳細はそれなりに違うんでしょうが。少なくとも純文学とはこういうものかな、と純文学とされる作品をある程度読んで自分なりに把握できてない人の作品は、おそらく純文学ではなくて、ジャンル小説たる特徴の何もない、なんかわかんないしエラソーだから純文学でいっか、でしょう、きっと。
    まあ大江健三郎が好きで、とかいう人はおそらく自覚的に選択してるんだと思いますが。

    >作品の強度
     また定義もせず、テキトーほざいちゃって申し訳ないw
     いや、私が気にしたのは(うっかりそう書いちゃったけど)作品としての強度ではなく、作品の体裁の強度でした。掌編小説レベルの枚数で純文学書きました、とかいわれても、あ、あるよね、そういうの洒落てるよね、ぐらいで終わりかねないな、という。最低でも80枚〜いや50枚、つまり二万字ぐらいは書いてもらわないと評価しょうもないよな、と。ほんと急いで書いてたとはいえ、申し訳ないです🙇‍♂️

    まあ、じゃあカクヨムで2万字オーバーの短編がぽんぽん出されても、読めねえよ!💦となりかねないですが、私などはw

    しかもいま調べたら芥川賞受賞作ですら通して大体読んでるといえるの、平成元年から十五年ぐらいまでだった! 偉そうにするだけ恥ずかしいですね、これ////
    しかも20年前か……🤔

    >部長
     ダメなんだよ、タメにならないんだよ……主流文学からのラノベへのアプローチというかキャラ文芸が若頭やるようになった今だと、おそらく十年で結構色々変わってきちゃってるというか。
    ハンチバックの人がコバルト落選常連だったとか、そういう面白話は面白話として、今年の芥川賞なんて四十で文壇デビュー組のおっさん二人同時受賞じゃないですか!
    作品すら読まず、なんなんですけど、自論として文学は若者のためのものだって思ってたんですが、もはや文学なんて、違うな、純文学なんて、若者にも見放された何かなのかもしれません……

    更なる追記:
    >部長
     あ、いやいや、その態度は正しいかと。正しいんだけど、相手にいうなや! いや、私にはいいけどw
     使えるとこだけ使うが一番健全。なんかみんな真剣に捉えすぎて、そこで病まれてもなあ、と常に考えてます。あ、私がいーかげんな人間だから、でなく、世間に評価されてる立派な先生相手でも、ですよ。まあ、師匠をぶったぎる部長にはいわずもがなでしょうがw

    >会計さん
     あー、でもそれで正解かと。結局芸術に奉仕してるかなんですよねえ、じゃあ芸術ってなんなんだよ、となると泥沼なんだけどw
     軍艦マーチについては、単なるリアリティラインの設定の話で。ああいう話こそ、リアルなディテール重要なんだって。嘘でもいいから当時を知る人が「まあ、そんなこともあるのかな?」と思えるぐらいのリアリティ。当時を知らない人間に突っ込まれてるようじゃ、ダメなんですー🙅‍♂️
     二千字云々は、それだと純文学としてなりたたないとかいう話ではないです。とゆーか、芥川なんか短ぇのしか書いてないw
     純文学なんでしょうかどうでしょうか、とか、これが純文学なんだー、とかいうなら最低でもそれぐらい書いてもらわないと判断すらつかねえぜ、って話でw
     なお、私の見立てでは、祐里さんの作品は純文学というよりは、中間小説ですw

    作者からの返信

    ためになる話ー!
    そして最後の文の「記憶は鮮明だけどかなり時は流れている体験」あるあるw

    追記
    いや、タメになってますよ!
    なぜなら、私は人の話を半分しか聞いておらず、かつ都合の良いところだけをとってるので、血肉になる過程でだいぶ原形留めてないんですよ!www
    (だから返答が薄い。もう自分の中で話変わってるから)
    これは、なんかそういう装置が組み込まれてるみたいなんで、悪気ないんですけどw
    ぜひ、これからも語ってください!

    編集済

  • 編集済

    部活外の人間より…(しかも知識もない)
    私の勝手な感覚ですが、書き手の思想、記録をフィクションにしたものが純文学かな…と感じてました。ノンフィクションであればこれが哲学書や自己啓発…自伝になる…。

    エンタメにも入ってくる事柄だけど行動の方がフューチャーされる感じ…?

    芸術性ってなによ!

    作者からの返信

    さっこさんが、部室のドアから顔を覗かせている!✨✨
    来たからには、粘着コメント残しに行きますね!www

    自分は、自分の思う純文学を意識したとき、転の強さは一番いらなくなりました。

    ただ、最初に書いていた転の弱い作品は、純文学寄りか……と言われると、作りが下手だっただけの可能性大www

    それを面白いと言ってくださった方々は、自分の中で転を膨らませてくれたんじゃないかな、と思いました。

  • ノートより転載で失礼致します✨

    顧問の解説で、だいぶ分かってきました。
    少なくとも私が狙って書くものではなさそうだということも理解できます。
    時代時代で、その要素や定義も変化したり曖昧になったり……


    お話を聞いていると、時々でその定義も要素も変化するし、好きに使えばいいものなのになぜか寄った離れたで非難の的にもなったり────。その定義をめぐって論争が起こったり、純文学の定義で殴ったり殴り返したり。

    なんとなくですけど「純文学」という字面がよろしくないのではないかな、と思ったりもします。
    なんか、純文学こそが小説、或いは小説の本流で原点、みたいな印象を勝手に持って、そうじゃないよ! と言い合ってるというかw
    人名を冠して○○文学みたいに言っておけば、あとは好き嫌いで済む話のような気もします✨

    寧ろ気になったのは、『作品の強度があるかどうかはまた別』という部分。
    結局、完璧な純文学であったとしても作品としてヘロヘロだったらやはり駄作ということだし、純文学意識しすぎて物語として面白くなかったら読みにくいだけとも受けとれますし。
    現状、自分の作品で気にするならそっちかなぁ、と思った次第です✨
    顧問!ありがとうございます✨