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 アネゴに向かい合う形で、教育実習に来ている先生が座っている。二学期からの実習だが、予行演習を兼ねて補修を見学している。アネゴが積極的に質問するから、空き教室で教えたりしてる。色白で眼鏡が似合う、イイトコのおぼっちゃん、って感じの人。専門は化学だ。

「アネゴ、変わったよなあ」ボクは呟く。

 二年生の冬休みあたりから彼女は猛然と勉強を始めた。素行不良で遅れていた分を、同じ中学出身の雪ちゃんが惜しみなくフォローした。

 三学期の期末試験で、中の下だった順位はいきなり上位に躍り出る。先生たちを驚かせた。

 人は変われるんだ──ある先生が思わず洩らした言葉は、ちょっとした流行語になった。

 三年生のクラス編成は成績順になる。ボク、雪ちゃん、辰則、アネゴは同じクラスになった。三年一組。暗黙のだ。

「オレ、あっさり抜かれちまった。アネゴ、地頭じあたまいいんだな」辰則は言う。「あー、オレには何も無い。むなしい」

「帰って勉強しようぜ、アネゴに負けないように。あ、参考書、置いてきた」

 アネゴの居る教室へ取りに戻らなきゃいけない。

 廊下から回って教室の引き戸をノックする。「お邪魔しま~す」

 二人はチラとこちらに目を向けるが、ボクなんか眼中にない。勉強に目覚めた生徒と教える歓びに目覚めた先生という絵図だ。

 机の下棚から取り出した参考書をバッグに詰める。そのとき──

「できたじゃないかあ!」先生が声をあげた。「そうだよ。それでいいんだ」

 腕を伸ばし肩を抱くように背中をたたいた。

 セクハラではない。生徒が難問を解けて無邪気に喜んでいる。サヨナラヒットを打った打者をチームメイトが抱きしめるみたいな。

 ただ、ボクが驚いたのは、アネゴが顔を真っ赤にしてうつむいたことだ。

 彼女はさっとボクを窺う。

 とっさに視線を逃がした。

 見てない、何も見てないよ、と知らんぷり。

「さよなら」蚊が鳴くように挨拶して廊下へ出た。

 待っていた辰則が、ボクの表情に怪訝な顔をした。「どした?」

「何でもない。さあさあ帰ろうぜ、ダンナ」友人の背を押して教室から遠ざける。

 アネゴが赤くなるなんて。

 スケバンはたぶん先生に恋をして、真っ逆さまに乙女になってしまったのだ──

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