・1-11 第19話 「雨:2」

 脱出艇は、主に五つの区画に別れている。

 先頭にあるコックピット区画。それに続いて、二十人分の座席が用意された客室がある。

 その後方には、付加製造装置(3Dプリンター)や、その使用に必要な資源を取り込むための分解機などがある工作区画。

 そこに付随する形で定員分の冷凍睡眠ポッドが用意された睡眠区画があり、最後尾に動力炉や推進機エンジンなどが配置された機関区が置かれている。


「ほら。まずは、これで髪をきなさい」

「う、うん……。ありがと、人間さん」


 とりあえずコハクを客室の座席のひとつに腰かけさせた穣司は、AIに命じてヒーターを起動して艇内を暖めつつ、生活用品を収納するために利用しているラックから清潔なタオルを取り出して渡す。

 見たこともない機器が並んだ艇内の様子に表情を強張らせていた柴犬耳の少女だったが、おそるおそるタオルを受け取ると、すんすん、とそのにおいを確かめてから、ぎこちない動きで身体を拭き始めた。


 ポタ、ポタ、と水滴が髪の毛先や衣服のすそから落ちるほどにれている。

 やはり相当長い間、この雨の中にいたのだろう。


「まったく。どうしてそんなになるまで外にいたんだ?

 言ってくれれば、雨宿りくらいいくらでもしていって良かったのに」


 その理由は、明白だ。

 人間のことを、まだ信じられないから。

 そんなことは分かっていたが、それでも穣司はそう言わずにはいられなかった。


 人間についての悪い噂ばかりが信じられているのは分かっているが、だからと言って、無理をしてまで雨の中にいるなんて。

 そこまで自分のことを信用できないのか、と、悔しい気持ちだったし、それで体調を崩してしまったらと思うと、心配で仕方がなかった。


「……ごめんなさ……い」


 コハクは、小さな声で謝る。

 穣司が怒っている理由が、自分のことを真剣に心配してくれているからなのだと、よく分かっているからだろう。


「とにかく、きちんと身体をくこと!

 オレはその間に、なにか暖かいものでも用意して来るよ」


 反省してくれている様子なのでそれ以上は何も言わず、追加のタオルを何枚も取り出して彼女の横にドサッと置くと、振り返らずに奥の方へ向かう。

 プライバシーへの配慮、という奴だ。


 そこで穣司は自身のこともタオルで拭きながら、みおいて濾過ろかまで済ませてあった水を使ってお湯を沸かし始める。

 付加製造装置(3Dプリンター)を利用して作った電気コンロに同じ方法で用意した鍋を乗せ、脱出艇の電源の一部を流用して熱していく。

 電力を節約しているため普段は使わないようにしているのだが、雨だと焚火たきびができないので仕方がない。


「あ~。ココアとか、お茶でもあればいいんだけどな~。

 ……いや、ココアって、犬とかには食べさせたらダメなんだっけ? 」


 ただのお湯では味気ないだろうと思って何かないかと辺りをあさり始めたが、すぐに思い直して手を止める。


 コハクは、外見はほとんど人間と変わらない。

 しかしケモミミと尻尾が生えている以上、まったく同じではない。


 犬などの動物は確か、チョコレートは食べさせたらダメだったはずだ。

 一度、養育施設で一緒に暮らしていた柴犬が、子供のおやつに出されたものを盗み食いして、大騒ぎになったことを覚えている。


 どんな食べ物ならば口にしてもらって大丈夫なのか。

 よくわからなかった穣司は、仕方なくお湯をそのまま持っていくことにした。


 付加製造装置(3Dプリンター)で印刷したマグカップを二つ用意し、粗熱を取ったお湯を注いで客室に戻っていく。


「コハクさん、もう、き終わったかい? 」

「うん、終わってるよ。タオル、ありがと~」


 不用意にのぞかないように注意してたずねると、ヒーターが効いて室内が暖まってきたことで少し元気になった様子のコハクの声が返って来る。


「はい、暖かい飲み物。

 悪いけど、な~んもないから、ただのお湯だけどな」

「おゆ? おゆって、な~に? 」

「あ~……。火を使って暖かくした水のこと」


 料理という概念をケモミミたちは知らないらしかったが、そもそも火を使うという発想自体がないのだろう。

 お湯、というものさえ知らないことに少し戸惑いつつ、「熱いかもしれないから、最初は少し口をつけるだけにしておくといい」と注意をしてマグカップを渡す。


「……あっふ。……でも、暖か~い」


 言われた通り少しだけ口をつけたコハクは驚いていたが、すぐに嬉しそうにお湯を飲み始める。


「それで? なんで、あんなところにいたんだい? 」


 隣の座席に腰かけた穣司は、ずっと気になっていたことをたずねる。


「住んでいるところがあるんだろう? だったら、雨が降ってくる前に帰った方が良かったんじゃないのか? 」

「うん。……でも、わたしのおうち、ここからだとけっこう遠くて……。

 実は、往復するのが大変だから、最近はあんまり帰ってなかったの」

「……えっ? もしかして、この辺りで野宿してたってこと!? 」

「うん」


 驚きの余り、言葉を失う。

 いつも気づいたらいるな、とは思っていたが、まさかずっと、この近くで野宿をしていたとは思わなかった。


「そんな……。言ってくれれば、泊まるところくらい用意できたのに。

 見ての通り、この脱出艇はけっこう広々としてるんだぞ? 」

「う、うん……。でも、やっぱり、人間は怖いし……、あんまり近づき過ぎたらダメかな、って」


 人間への興味と、警戒心。

 コハクはずっと、その二つの間で葛藤していたらしい。


 穣司は、深々と溜息をついていた。

 いつも近くにいたのに少女のことに気づかなかった自分に呆れた、というのもあったのだが、筋金入りの人間不信に先行きが思いやられ、不安になったからだ。


「それで? そうまでしてオレのことを観察していて……、やっぱり、人間っていうのは危ないと思うか? 」

「……。思わない」


 視線を向けないままの問いかけに、コハクがはっきりと首を左右に振る気配がする。


 外では相変わらず、勢いよく雨が降り続けている。

 雲が厚くなったのか、それとも日が傾いたのか。

 辺りは段々と薄暗くなりつつあった。


「まぁ、いいさ。

 この調子だと今晩は家に帰れないだろうし、泊って行きなさい。

 食事と、寝る場所くらいは用意するから」

「……うん。お言葉に、甘えちゃうね? 」


 さすがにもう、流布されている噂よりも、実際に自分の目と耳で見聞きし、体験した事柄の方を信じることにしたのだろう。

 コハクは素直にうなずくと、それから、短く礼を言った。


「ありがとう。……ジョウジ」


 その言葉に、穣司は思わず振り返ってしまう。

 なぜなら、今までずっと[人間さん]だったのに、[ジョウジ]と、名前を呼んでくれたからだ。


 自然に、笑みが浮かぶ。


「ああ。どういたしまして、コハク」

「……。えへへ」


 そうして二人はしばらくの間、ただ、にこにことしていた。

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