第3話 異世界の住人たち

「猫耳美女に親切にされてしまった……」


 地味な俺の人生の中では、猫耳花魁コスプレ美女との関わりはちょっとした一大イベントだった。汚れてしまった手ぬぐいをあらためて見てみる。端のほうに「ネコの旅籠屋はたごや 夜鳴よなき」と刺繍されていた。旅籠屋はたごや…宿屋や旅館の意味だったはず。状況の整理がついて、無事に家に帰ったら、お礼も兼ねて今度はかならず正式なお客さんとして利用させてもらおう。



 いくらか身なりもマシになり、コスプレ美女と短いながらも会話が出来たことで、単純だがやる気のようなものがでてきた。

この場所や、森の扉について聞き込みをして情報を集めよう。できるだけ現地のことに詳しい地元民を探したい。



「すみません!ちょっとお伺いしたいのですが」


 はじめに、商店の前にある木製のベンチに腰掛けていた初老の男性に声をかけた。少し汚れた白いシャツに、作業ズボン、ポケットには軍手と手ぬぐいが引っ掛けられている。いかにも野良仕事をした帰りという雰囲気で、旅行客には見えなかったからだ。


「なんだい」


「つかぬ事をお伺いしたいのですが……ここは何県のなんという町でしょうか?」


「んん……? ここはリョクフウマチだよ」


 リョクフウマチ……緑風町リョクフウマチかな? 町に入ってきたときに看板があったかもしれないな。あとで確認してみよう。


「県は……?」


「ケン?」


 男性は首をかしげた。たしかに気持ちはわかる。他県に来ておいてそこがどこか把握していないのは俺でもおかしいと思う。


「ああ、ケンか。ケンならあそこの店に行くといい」


 男性がなにかを察したようにうなづき、指さした先には大量の剣や斧や槍のような武器がディスプレイされた店があった。コスプレの小道具を探していると勘違いされたのかもしれない。


「あ、ありがとうございます!えっと、もう一つだけ良いでしょうか? 向こうをずーっと行った先にある、森のことなんですが……」


 さきほど通ってきた道と森の方向を指さして尋ねると、いままで和やかに俺の相手をしてくれていた男性が一瞬だけ顔をしかめた。


「あの森の話はやめてくれ。あそこには何もいいことなんかないんだよ……」


「え……、あ、俺、あの森から――」


「兄さん、冒険者かい? なんの目的か知らないが、あの森に近づくのはやめとくんだ」


「……はい。ありがとうございました」


 なんだろう、いまの反応は……。

あまり幸先が良くなさそうだけど「緑風町リョクフウマチ」という地名はわかった。気を取り直して次に行こう。


 こんどは広場で遊んでいた子どもたちに同じ質問をしてみた。トカゲの被りものをした気の弱そうな少年と、元気な女の子が応えてくれたが、その表情はやはり険しい。


「あの森には入っちゃいけないって、みんなに言われてるんだ。行方不明になった人もたくさんいるって……」


「お爺ちゃんもお婆ちゃんも、あの森は呪われてるって言ってたわ! 悪いものが住んでるんだって! あたしは、怖くないけどね!」


 その後も、何人かの人に尋ねてまわった。ほとんどの人が話を聞いてくれたが、森の話題になったとたんに、不安そうな表情をしたり冷たい反応になってしまう。


「聞かない方がいい。あの森には不吉な言い伝えしかない。近づくな。」


「入ったら祟られるとか、そういう森じゃなかったか? 度胸試しに行くやつがたまにいるけど、どうなってもしらないよ」


「わたしの祖母がねえ、あそこには何かがあると言っていたんじゃが、なんだったかねえ」


「定期的に行方不明者がでるんで、みんな迷惑してるよ。深いだけで、なんにもない森のはずなんだが……行こうなんて思うなよ?」




 なんなんだ、この反応。まるで日本むかしばなしだ。呪われている、祟られている、良くないものがいる、親が子供に近づいて欲しくない場所に「おばけが出る」「妖怪がいる」と、恐怖心を利用してしつけるやり方と似ている。

あの森にはずいぶん昔から、誰にも近づいて欲しくない何か、もしくは、近づいてきて欲しくない何かがいるんだろう。それは理解できた。でも肝心の「何か」のヒントがまるでわからない。


 あの金色の扉のことが頭をよぎる。たしかに不気味で異様な物体だけど、人々を数世代に渡っておびやかす脅威のあるものには思えなかった。

森の情報集めは難航そうだ、もっといろいろな人に聞いて回らなくちゃいけない。


 それに、みんな一様にして「県」や「都道府県」の質問には不思議そうな顔をする。武器屋を指さしたり、自分の持ってる剣を見せてきたり、意味が通じていないようだった。「都道府県」は日本全国どこでも同じ意味で通じる共通語だと思っていたが、ここには独特の方言でもあるんだろうか。



「あ、雨……?」


 鼻の頭にかすかな水気を感じて空を見上げた。輝くランタンの奥、ゆっくりと厚い雲が広がりはじめている。


 空。そうだ、この景色もおかしい。

どこを見渡しても、「電線」も「電柱」もない。

日本で無電柱化が進んでいる地域は、一部のニュータウンを除いてほとんどないはずだった。

テレビで見たことのある信号もない小さな離島や、インフラが見捨てられた限界集落の可能性も捨てきれなくはないが、この賑わいでそれはないように思えた。 綺麗な旅館や商店だらけ、若者も子供も数え切れないほどいる。どこも限界を迎えているきざしはない。



 違和感だらけだ。

頭の中で「これ以上、考えるのをやめろ」と危険信号が鳴っているのに、心で生じた疑問が思考の連鎖を引きおこす。



 広場で話を聞いた元気な女の子は、両方の首筋に大きな切れ込みがあった。これは致命傷だとギョッとしたが、かすかに閉じたり開いたりしているそこはまるで魚の「エラ」だった。耳と腕と背中からはヒレらしきものが生えているし、よく見ると肌は虹色に光る透明なウロコに覆われていた。


 一緒にいたトカゲの被りものをした男の子の方もそうだ。全身を覆う緑色のウロコは一列一列がしっかりと硬く組み合わさって服の中にまで続き、あきらかに子供のするコスプレや特殊メイクの域を超えていた。口の中を覗いてみると、被りものならそこにあるはずの子供の顔がなかった。細く尖った歯が並ぶ生々しい爬虫類の口内。背中から伸びる太くて長い尾を踏まれないよう、大事そうに抱きしめていた。


 おでこからツノの生えたお婆さんや、鷹のような翼をもつ青年もいた。よくあるベルトで背負うタイプじゃない。彼は上半身が裸だったのでよく見ることができた、あの羽は背中から「生えて」いた。



 俺はひとつの答えにたどり着きはじめている。あまりに非現実的で、そしてこの状況を納得させる答えだ。それをまだ認めたくない。

でももう、コスプレイベントだと決めつけて現実逃避するには無理があった。認めるしかないんだろう。ここは人間以外の種族が当たり前に存在し、友好な関係を築きながら生活している。


 現代とは少しずれた時代設定。冒険者という存在が身近な存在として認知されている。「ケン」が通じないのは「都道府県」の概念が存在しないから。


 思考が猛スピードで加速し、力強く心を打つ。

ここはいわゆる、異世界なんだ。


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