10 予想外の習い事

 僕の人間としての尊厳か、地球人類のどちらかを選べ、と言われたら、僕はいままで自己肯定感のたいそう低い人間だったので、地球人類のために犠牲になることを選んだかもしれない。犠牲になるとはいえ生きているのだし、とそこに妥協するかもしれない。


 だがいまはそう思えない。僕は僕だ。僕は僕の尊厳を求める。たとえいまの僕と違う人格だとしても、オシメを当てられてトイレトレーニングするなんていやだ。僕はここにいる、間違いのない僕だからだ。僕は今まで悪いことなど何一つしなかった。人間としての尊厳を失う理由などなにもないのだ。


 それに植木さんと谷さんは、地球人類と共存することが宇宙人の目的であると確かに言っていた。それを信じるべきだ。


 それを翻訳AIの追いつかない速度で話す。目の前にいる藤村のおじさんに似た紳士は困った顔をしている。困れ困れ。僕はただじゃやられないぞ。


「なにを言っているか分からないわよ」


 人気声優さんのかわいい声で紳士は言う。


「とにかく僕は人間の尊厳を求めます」


「じゃあ死んでもらうしかないわね」


 ちゃき。


 拳銃が僕に向けられた。

 僕は殺されることを覚悟した。


「ちょーっと待ったぁ!」

 誰かの調子っぱずれの声が聞こえた。見れば廊下の床になにかが張り付いている。


「植木さん!? 谷さん!?」


「それはわたしたちの本体の名前。挿し木からすくすく育ったの」


 現れた植木さんと谷さん、それは腕と肩と頭だけの、なかなかの異形モンスターであった。驚いて紳士は拳銃を落とした。

 僕もビックリしたがそれで気を緩めることはしなかった。


 植木さんと谷さんは手でずるずると床の引っ掛かりを掴んで進んでくる。僕は紳士がビックリしている間に、床に落ちていた拳銃を奪いとった。一体どこでこんなハリウッド映画ばりのアクションを体得したんだ、僕は……。


 紳士は英語(たぶん)でなにやら悪態をついた。

 僕は撃ち方なんて分からないものの拳銃を紳士に向ける。


「僕らを解放しろ。あとレモンさんも。そうしないと撃つ」


 紳士はまた悪態をついた。スマホから人気声優の声で「くそったれ!」と聞こえてきた。

 たぶんこの紳士は戦えば僕より圧倒的に強いのだろう。高校生の花壇委員となにやら謎の組織のエージェントではそりゃ力も技術も違うに決まっている。いやエージェントかどうか知らんけど。


 紳士の腰のあたりに、片腕と頭だけの谷さん植木さんが縋りついて転ばせる。紳士は大音量でまた悪態をついた。またスマホが「くそったれ!」と叫ぶ。AI、意外と語彙が乏しい。


 転んだ紳士に、レモンさんが好きそうな構図だなあと思いつつ近寄っていく。肩を抑えて頭突きを食らわす。紳士は目を回した。

 でもこの程度で放っておいたらきっとすぐ回復して追いかけてくることだろう。しかし拳銃の撃ち方なんて分からない。とりあえず脇腹に押し当てて引き金を引いてみるも安全装置がかかっているらしく、弾丸は出なかった。


「カズトくんは隣の部屋にいるレモンちゃんを助けて。ここはわたしたちに任せて」


 谷さんは大変頼りになる。そうすることにした。撃ち方の分からない拳銃をポケットに押し込む。


 廊下を抜けると隣にも部屋があった。ほかにそれらしい部屋は見当たらないのでここだろう。ドアをバンと開けてみると、レモンさんが恐怖の面持ちでなにやら機械につながっているところだった。


「蓮沼くん!」


 僕に気付いた施設の人たち(全員藤村のおじさんと同じ顔である)は、ばっと振り返った。やばい、このままではレモンさんの人としての尊厳が危ない。

 僕は拳銃を抜く。安全装置がどれか分からないので適当にいじって、引き金を引く。


 ……なんと撃てた。すさまじくでっかい音がして耳がキーンとする。そして腕が思いっきり跳ね上がって痛い。施設の人たちは慌ててなにか武器をこちらに向けてきた。

 と思いきや、その後頭部をレモンさんの鋭い手刀が撃ち抜き、施設の人たちはバッタバッタと倒れた。


「わたし、極真空手習ってるの!」


 予想外の習い事であった。


 とりあえずその部屋を出る。挿し木から増やした植木さんと谷さんを奪還したかったが、脱出したほうがいいだろう。

 そもそもここはどこなんだろう。部屋を出ると狭い廊下が長く続いている。廊下を進むうちに、床や壁がガラス張りになって、僕とレモンさんはとんでもない場所にいることを知った。


 宇宙だ、ここ。


 青い地球を見下ろしつつ、施設の中を走っていく。ときどきレモンさんが止まるので「早く行かなきゃ」と声をかけるも、「万里の長城、スモッグで霞んで見えないね」みたいなのどかなことをのたまう。

 重力があるのはなぜだろう。施設のなかはひたすら無機質で、人のいるところにたどり着ける気配がなかった。


「あっ! ヴィーガンガン●ム!」


 レモンさんが指さすほうを見ると、確かにそこにはメタルビーバーの親玉と戦ったあのヴィーガンガン●ムがいた。なるほど、ここは宇宙人の知識を抽出するための施設であるようだ。さっきの部屋は言うことを聞かない宇宙人を拷問するためのものか。

 とにかく出口を探して急ぐ。植木さんと谷さんもついでに助けられないだろうか、と思ったが、そういう余裕はさっぱりなかった。

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