真夏のスワン

菊池昭仁

第1話

 白い病室で俺はサクラにプリンを食べさせていた。

 会津若松の総合病院にサクラが入院して、1ヶ月が過ぎていた。

 病状はかんばしくなかった。

 サクラは日を追うごとに衰弱していった。



 「どうだ? 旨いか? 『ル・フィン』のプリン。サクラ、好きだったよな? このプリン」

 「うん、美味しい。ありがとう、圭太」


 その時、シルクグレーの空を白鳥が群れをなして飛んで行くのが窓から見えた。



 「あっ、白鳥・・・」

 「猪苗代湖に行くのかもしれねえな?」

 「ねえ? どうして白鳥はもっと南に飛んで行かないのかしら?

 九州とか沖縄の方がもっと暖かくて住み易いはずなのに」

 「そうだよなあ? ハワイとかグアムだともっといいかもな? 常夏とこなつだし。

 でももしかすると観光客から美味い餌を沢山もらって、デブになって空を飛べなくなるからかもしれねえぞ?

 猪苗代湖じゃ、せいぜいパンの耳しかもらえねえからな?」

 「白鳥は寒いところから飛んで来るんでしょう? シベリアとかから。

 どうしてわざわざ遠い寒いところから飛んで来て、また寒い冬の間を猪苗代湖で過ごして、そして暖かくなるとまた寒いところへ帰って行くんだろうね? そのまま猪苗代にいるか? ツバメみたいに南の島でのんびり暮らせばいいのに・・・」

 「白鳥は適度に寒いところが好きなんじゃねえかなあ。それにデブになって空を自由に飛べなくなるかもしれねえしな?」

 「別に飛べなくてもいいじゃない? 暖かいお日様と美味しいご飯もあるんだよ、恋人やお友だちとも一緒だし。

 ペンギンだって昔は空を飛んでいたんだよね?」

 「そうなのか? ペンギンが空をねえ? ペンギンのあのヒラヒラした小さいヒレは羽根だったというわけか?」

 「私はイヤだなあ、寒いところは苦手。

 暖かいところがいい。雪も降らない沖縄とか」

 「行こうぜ、沖縄に。早く治して一緒に沖縄へ。

 サクラの股に食い込むようなビキニ、買ってやるからよ。

 だから早く治せ。いっぱい食って元気になれ」

 「うん、そうだね? ありがとう圭太」



 それがサクラとの最期の会話になった。

 あれから5年、今でも俺はサクラを忘れることが出来ない。



 

 「圭太、今日は金曜日だから仕込みは多めにな?」

 「親方、海老はどうします?」

 「天ぷら用に背ワタと尻尾の処理をしておいてくれ、後は俺がやる」

 「じゃあ俺、茶碗蒸しを仕込んでおきます」

 「おう、頼んだぞ」



 俺は地元のこの小さな割烹料理屋で板前をしていた。

 中学の時は地元では名の知れた不良だった。

 親父は県庁職員、母親は銀行員というお堅い家に生まれ、何不自由のない生活を送っていた。


 そんなある日、俺のクラスの太田が飛び降り自殺を図った。

 幸い未遂だったが、太田をいじめたのは俺だと言われ、みんなから非難され、無視されるようになった。

 俺は学校へも行かず、悪い連中とつるみ、大抵の悪さはやった。

 何度も警察の世話になり、そのたびに母親を泣かせた。



 「どうしてわかってくれないの!」


 母親はそう言って泣き崩れた。

 わかってねえのは親の方だと俺は思っていた。


 俺は中学を出ると、親父の知り合いの紹介で、大きな料亭の板前見習になった。

 厄介者の俺がいなくなって、親父とおふくろは安堵あんどしていた。

 俺には優秀な兄貴がいた。

 兄貴は京都大学の医学部に現役で入り、研修医になっていた。

 同じ兄弟でも雲泥の差だった。

 俺は兄貴とよく比較されて育った。

 親は兄貴さえいればそれで良かったのだ。

 俺のような出来損できそこないは家のお荷物だった。 



 俺は板前になるとすぐ、中学から付き合っていたサクラと同棲を始めた。

 サクラは高校を中退した。

 サクラは母子家庭で育った。その頃、サクラの母親は男と暮らすようになり、再婚した。

 そしてサクラは家を出て、俺の六畳一間の狭いアパートにやって来たのだった。

 サクラは義理の父親も母親も嫌いだった。


 俺は板前として、そしてサクラはファミレスで懸命に働いた。

 貧しかったが、まるで尾崎豊の『I love you』のような生活に、俺たちは満足していた。

 お互いにやさしさだけを持ち寄って、ままごとみたいな暮らしをしていた。

 俺たちはそれでも十分にしあわせだった。



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真夏のスワン 菊池昭仁 @landfall0810

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