31.怜奈の宣言
コンコン……
その日の夜、ひとりで社員旅行の準備を部屋でしていた詩音はドアをノックする音に気付いて手を止めた。ライムは既にホストクラブに出勤済み。この家に居るのは自分と怜奈だけ。詩音が立ち上がりドアを開ける。
「こんばんは……」
そこには真っ赤な髪をした少女、怜奈が俯きながら立っていた。詩音は笑顔になって言う。
「こんばんは。久しぶり。どうしたのかな?」
こんな夜遅い時間に珍しい。怜奈が言う。
「お久しぶりです。あの、入っていいですか?」
「え? あ、いいよ。でも、ちょっと部屋、きれいじゃないけど……」
社員旅行の荷物の準備をしていた詩音。部屋は旅行の品で散らかっている。怜奈が言う。
「いえ、全然大丈夫ですから」
「そう? じゃあ、入って。どうぞ」
「お邪魔します……」
殺風景な部屋。越して来て日も浅いので当然なのだが、ベッドや数着の服がある程度。とてもお洒落とは程遠い黒のボストンバッグに畳まれた服や化粧品などが入れられている。
怜奈が床に座り周りをきょろきょろ見ながら尋ねる。
「明日、からでしたのよね? 社員旅行」
「そうなの。温泉旅行ね。一晩居ないけど、ライムさんのこと宜しくね」
「はい……」
その男の名前を聞いた瞬間やや暗い表情をする怜奈。荷物を片付ける詩音に言う。
「あの、詩音さん。先日は、どうもありがとうございました」
「え? ああ、うん。いいよ」
詩音のあれからのことはライムから聞いている。酷いことをされたが今は何の影響もなく過ごせている。怜奈が尋ねる。
「痛かったですよね? 本当にごめんなさい……」
「いいって、本当にいいってっば」
謙遜する詩音。助けに行ったのは間違いない。ただライムに救援要請を行ってからは、母親からの電話もあり怜奈どころではなかった。気付いたらライムに介抱されていたのが、彼女を放って置いた罪悪感はないとは言えない。詩音が怜奈の顔を見つめる。
「もうあんな事は起きませんので。うちのお父様がしっかり対処してくれたので……、本当にごめんなさい」
「いいよ、もう。それで、どんな用事だったのかな?」
怜奈よりずっと年上の詩音。そこは大人である。怜奈が尋ねる。
「詩音さんは、ライムさんのことが好きなんですか?」
「え?」
大人の詩音でもさすがにそれは想像していなかった質問。やや戸惑った詩音が答える。
「嫌いじゃ、ないかな。何度も助けてもらったし。最初は変質者とかストーカーとか思っていたけど、どうもそれは私の勘違いとかで……」
「私、好きなんです。ライムさんのこと」
詩音は固まった。じっと怜奈を見つめたまま動きが止まる。怜奈が続ける。
「でも、ダメでした。告ったけどフラれちゃいました」
「怜奈さん……」
そんなことがあったのかという驚きと、フラれて安堵したと言う気持ちが詩音の中で交差する。怜奈が言う。
「だからもし、詩音さんがそれほど彼のことを好きじゃないのなら、きちんとフってください。そうすれば……」
「怜奈さん」
話を遮るように詩音が言う。
「はい」
「うーん、なんて言うか、まだ告っても告られていないのに振るって言うことはできないかな。それは無理」
「……」
当然である。怜奈は興奮していたのは自分だと気付く。
「それから私ね、とても不幸な女なの。多分怜奈さんが思う以上に」
黙り込む怜奈。詩音が続ける。
「ライムさんは確かに魅力的と言うか不思議な人で『私を口説く』みたいなことを言っているけど、こんな女にはこれ以上関わらない方がいいと思うの。彼の為にも」
「どういう意味ですか?」
詩音が助長的な笑みを浮かべて言う。
「私と関わると不幸が
「そんなことは……」
詩音が言う。
「だって、怜奈さんだって攫われちゃったし、私の友達だって酷いDV受けていたし……」
「確かに攫われましたけど、私は今幸せです。そのお友達は今もDVで苦しんでるんですか?」
「え? あ、ううん。今は羨ましいぐらいラブラブで……」
詩音は朋絵から来たメッセージを思い出す。あれから康太と上手くやっているので心配しないでと言う内容のもの。怜奈が言う。
「みんな幸せじゃないですか。どこが不幸にするんですか?」
「だってそれは……」
そこまで言い掛けて詩音は気付いた。
(あ、みんなライムさんに出会ってから好転している……)
怜奈の救出、朋絵と康太の件。少し前に送られて来た母からの謝罪のメール。借金。考えてみればそのすべてにライムと出会ってから事態が良くなっている。暴漢から助けられたりと、実際目に見える形でも何度も救われている。
――俺はお前を幸せにする
不意に蘇るライムの言葉。詩音の心臓の鼓動が速くなる。怜奈が言う。
「ライムって不思議な人ですよね。チャラそうなのに本当は全然チャラくない。あんな人、初めて……」
その顔は完全に恋する乙女の顔。とても中学生とは思えないほど色っぽい表情。
「そうね……」
詩音が小声で言う。
「そうだよね。確かに彼はいい人。間違いないわ。でも、だからってやっぱり……」
自分は前には進めない。こんな不幸な女、本当ならば生きているだけで罪だ。怜奈が言う。
「じゃあ、私がもっと大人になったらライムさん、貰いますね」
「え?」
怜奈が自信に満ち溢れた顔で言う。
「必ず私の魅力で落として見せるから。大きくなったらいい女になるんだもん」
そう話す怜奈を黙って見つめる詩音。怜奈が言う。
「良かった」
「何が……?」
怜奈が笑っている。
「えー、だって詩音さんがライバルじゃなくって」
怜奈が立ち上がって言う。
「それでは失礼します。お話できて良かったわ。おやすみなさい」
「うん、おやすみ……」
詩音はじっと部屋を出て行く怜奈を見つめた。
(私よりずっとしっかりしてる……)
年齢的には妹よりもずっと若い怜奈。
それでも全く前を見ようとしない自分よりもずっと大人に見える。
「私はどうしたいんだよ……」
詩音はベッドに横になり枕に顔を埋めてつぶやいた。
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