29.詩音の気持ち
都心一等地に聳え立つ天財ビル。天界の者が地上で活動する拠点となる天財グループが入るビルなのだが、その高層にある一室でスタッフ達は大物の訪問に緊張の色を浮かべていた。
「それで上級呪魔ウラドについての他の情報は?」
真っ赤な体に四枚の翼を携えた大天使ミカエルは腕を組んだまま天財スタッフに尋ねた。居るだけで発せられる威圧感。神々しいオーラは同じ天使達でも直視できないほど。スタッフが答える。
「はい。その強さは先程説明した通りで、それ以外ですとある堕天使と関わっているようです」
「堕天使?」
「はい。申し上げにくいのですがライム・ミカエルと言うミカエル様に属する堕天使です」
「ライムか……」
無論知っている。知っているどころか地上追放の決断をしたのは自分自身。ミカエルは腕を組みながら言う。
「ライムごときになにができる? 相手は上級呪魔なんだろ?」
「はい。ただ、堕天使ウラドは戦闘以外でウラドと戦っているとか……」
「戦闘以外?」
ミカエルの眉がピクリと動く。
「ええ、何でも『男』としての勝負がどうのこうのとかで……」
スタッフはマリルから聞いた情報をそのまま伝える。天財ビルに出禁のライム。スタッフですら詳しい情報は知らない。ミカエルが言う。
「どちらにしろこの私が来たからには上級呪魔と言えど好き勝手させない。邪は滅びる。我ら天使の務めだ」
ミカエルの言葉にスタッフ達が頷く。
「あと、その、なんだ……」
急にミカエルの歯切れが悪くなる。
「我が娘の、マリルは……、元気でやっているか?」
父ミカエルに無断で地上にやってきたマリル。安全な天界と違いここは凶悪な呪魔が蔓延る無法地帯。父親として娘を心配するのは無理もないことだ。スタッフ達がミカエルから目線を逸らしながら答える。
「ええっと、それは、はい。元気と言うか……」
こちらも歯切れが悪い。マリルは父から逃げている途中。余計なことを話せばマリルに叱られる。ミカエルが真面目な顔で言う。
「ライムだな。分かっている。実は今回、その件で重要な話もあってここに来たんだ……」
ミカエルは天財スタッフ達に説明を始めた。
「体でお支払いします」
ライムから大金を受け取った詩音。無論タダと言訳には行かない。幼少から不幸で、何も持ち合わせていない詩音。ライムに提供できるのは自分の体しかないと覚悟を決めた。
(詩音……)
ライムは強い決意をした詩音の目を見てそれが冗談じゃないということはすぐに分かった。これまで天界で何人もの女と遊んで来た。目の前で体を差し出すと言う彼女を奪い去ることは容易だ。ただ、
(それは俺の美学に反する)
金の対価に女を得る。チャラいが、女の為に命をも掛けるライムにとってそれは外道以外の何物でもなかった。それに『天界の者が無暗に地上の者と交わることを禁ずる』と言う、いわば天界のガイドライン違反にもなる。
覚悟を決めた詩音の目。ただ表情はまるで捨てられた子猫の様に怯えている。
「詩音……」
ライムが詩音の頬に手を当て体を寄せる。それを体を強張らせて詩音が耐える。ライムは腰に回したもう一方の手で、軽く空を斬りながら脳内で唱える。
(
詩音に体を密着させながら次の呪魔の解除法を探るライム。そして頭に解析結果が浮かぶ。
(見えた。次の解呪法は……、『相手からキスされる』って、おいおい、そりゃ……)
耐え切れなくなった詩音がライムを押しのけて言う。
「ご、ごめんなさい!! 今じゃなくて、その……」
「難易度高めだな……」
「え?」
ライムの言葉を聞いた詩音がきょとんとして、すぐにむっとなって言う。
「ライムさん。わ、私と、その、そう言うことをするのが『難易度高め』って一体どういう意味ですか!?」
「ん? あ、いや、そう言う意味じゃなくて……」
女としてのプライドを傷つけられた詩音が激怒しながら言う。
「私はそんなに魅力ない女ですか!! そりゃ毎晩ライムさんがお会いになっているお店の女の人達とは住む世界が違いますけど!!」
ホストクラブに通うライムの客。皆、基本お金持ちだ。詩音が言う。
「だからって、そんな言い方……、やっぱり酷くて……」
怒りの表情から徐々に悲しみ、そして目に光るものが溢れる。ライムの体が自然に動く。
「詩音」
腰に回した手をぐっと自分の方引き引寄せ、顔を近づけ甘い声で言う。
「お前は最高の女だよ。覚悟ができているならすべてを貰う。いいのか?」
まるでドラマの中からできたような美形の主人公のようなライム。想像よりずっと強く抱き寄せられ詩音の体の力が抜けていく。
(私、そんなに嫌じゃないんだ……)
以前なら男にこんなことされたらすぐに拒否反応が出ていた詩音。だがそれが今は嘘のように順応になっている。本気で抱かれてもいい。詩音は無意識にそう思っていた。
チュッ
(え?)
ライムは抱き寄せた詩音の額に軽く口づけする。そして笑みを浮かべて言う。
「キスしたことある?」
顔を真っ赤にした詩音が下を向いて小さく首を振る。ライムが言う。
「じゃあ、これが詩音の初キッス。こんな高価なものを貰っちまったんだぜ。今はこれで十分」
「え、でも……」
詩音がライムを見上げて言う。ライムはそんな彼女を優しく抱きしめて答える。
「今度はちゃんとしたキス、してもいいかな……?」
(あ……)
抱きしめられた詩音は、それまで抱えていた不安が一気に亡くなって行くことに気付いた。震えていた体もいつの間にか蕩けるようにライムの体に反応している。単純に対価だと思っていた。体を差し出すのは大金をくれるその対価。だが今はそう思わない。
(この気持ち、これって本当に……)
詩音を抱きしめたライム。それに呼応するように詩音もその体を優しく抱きしめた。
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