最終章「忘れもの」

28.ライムさんってお金持ち?

「どうだ怜奈。美味しいか?」


「うん……」


 都会の中央にある見上げる様なホテル。その最上階にある高級レストランの窓際の席に、白髪交じりの三上喜一郎とその娘の怜奈が座る。

 青く晴れた空。その空が手に掴めるほど近い天空レストラン。数多の食事会を経験してきた喜一郎だが、今日のこの席ほど緊張するものはなかった。



(楽しんでくれているのかな……)


 ひとり娘の怜奈。三上グループの跡を担う者として教育してきたつもりだが、親子の信頼と言う肝心なものを置き去りにしてきた。怜奈が家を出て数か月。熱望した久しぶりの親子水入らずの食事だ。喜一郎が尋ねる。



「怖い思いをさせてしまってすまなかった」


 三葉に誘拐された件。電話で知らされた喜一郎は、すぐに都市開発の権利書を持って駆け付けた。だが娘は無事。彼を助けてくれたのは、それは喜一郎自身も会ったことのある人物であった。怜奈が答える。


「うん、もう大丈夫」


 小さな声。怜奈の脳裏にも喜一郎と同じ人物が浮かぶ。


「三葉にはしっかり反省して貰うから。もうこんなことはないと思うから安心してくれな」


「うん……」


 静かな怜奈。喜一郎は一体どんな話題を振れば娘が反応してくれるのだろうと悩んだ。実の娘。だが会わなかった時間に比例するようにその心は離れてしまっている。



「あのさ……」


 怜奈の声に喜一郎が少し驚いたような顔で答える。


「何かな?」


「私を助けてくれた人、お父様は知っているの?」


 後光を放つ畏怖すべき存在。喜一郎が答える。


「一度、お会いした。いや、お叱りを受けたと言った方がいいかな」


「お叱り……」


 三上グループ責任者である父。そんな人を叱ることができる人物など数えるほどしかない。怜奈が尋ねる。


「ねえ、その人ってさ、もしかして……」


 喜一郎が答える。



「ああ、天使様。私はそう思っている」


(!!)


 怜奈も感じた特別な存在。三葉達から救ってくれた特別な人。



「天使、様……?」


 あの堅物な父親が真剣な顔でそう言っている。



(ライム……)


 怜奈の頭に自分を天使だと言っていた金髪のチャラい男の顔が浮かぶ。だが即座にそれを打ち消す。


(そんな訳ないよね……、でも本当に一体誰だったんだろう……)


 怜奈がテーブルに置かれたオレンジジュースを口にしてから言う。



「ねえ、お父様」


「ん?」


 食事をしようとフォークを手にした喜一郎が動きを止め怜奈を見つめる。



「私、あのタワマンに住んでもいい?」


「ああ、いいよ」


 笑顔の喜一郎。少し前なら激怒して否定された父親の面影はもうない。



「本当にいいの?」


「いいよ。ただ、時々家にも帰って来てくれないかな。ひとりで食べる食事は、なんと言うか美味しくないんだ」


 そう話す父親の顔はやや寂しそう。何があったか知らない。あの厳しかった父親がこれほどまで変わるとは。怜奈が言う。


「うん。時々帰る。私がご飯作るね」


「本当か!? それは楽しみだ!!」


 目にうっすらと光るものを我慢して喜一郎が答える。

 妻と離婚してから数年。仕事一筋で家庭を顧みず、怜奈からも距離を置かれ孤独だった喜一郎。ようやくその冷たくて硬い氷が少しだけ溶け始めた。






「詩音さん」


 昼休み前、会社のPCの前で仕事をしていた詩音に上司のウラドが声を掛けた。銀色の髪が美しさを感じ程のイケメン。いるだけで華がある存在。爽やかな笑みを浮かべるウラドに詩音が答える。


「あ、はい。何でしょうか?」


 手を休め答える詩音にウラドが尋ねる。


「来週の社員旅行、もう準備終わったのかな?」


「あっ……」


 すっかり忘れていた。来週に会社の温泉旅行がある。ウラドが尋ねる。



「その顔は忘れていたのかな?」


「はい、すっかり……」


 ここ数日で起きた出来事を思い出し、それどころではなかったと詩音が思う。ウラドがぐっと詩音の顔に近付いて言う。


「とても楽しみにしてるよ。詩音さん」


「え? あ、はい……」


 これが海外の人の当たり前なのだろうか。詩音はやや戸惑いながらもそれに応えた。






「ただいま」


「お、詩音。おかえり!!」


 夕方過ぎ、仕事を終えてタワマンに帰って来た詩音をライムが迎える。来週からの社員旅行の準備をしなきゃいけないと思いつつ、詩音が部屋へ上がる。


「あれ? 怜奈さんはまだなの?」


 先日、父親と一緒に食事に出かけたきりまだ帰っていない。実家に戻ったのだろうか。ライムが答える。


「うん、まだ帰ってないな。親父さんのところだろ?」


「そうだね」


 疎遠と聞いていた父親と和解したのだろうか。上着を脱ぎながらキッチンへ向かう詩音にライムが言う。



「詩音、お腹減ったよ。何か作って~」


 まるで子供。詩音はくすっと笑いながら答える。


「いいわよ。何が食べたい?」


「詩音」


「殺すわよ」


 キッチンに置いてあった包丁を手に詩音が振り返って言う。ライムが慌てて首を振って答える。


「ごめんごめん。冗談。何でもいいよ!」


 詩音もそれに笑顔で答え、髪を後ろで縛りながらあることを思い出して言う。



「あ、そうだ。ねえ、ライムさん。スマホの連絡先教えてください」


 未だ彼の電話番号すら知らないことに気付いた詩音。ライムが答える。


「あー、俺、スマホ持ってないんだ」


「え? 持ってないの?」


 驚いた表情で振り返って尋ねる詩音。ライムが頭を掻きながら答える。


「持ってない」


「どうして? どうやって生きてるの??」


「え? とりあえず詩音の作ってくれる飯を食べて生きるよ」


「そう言う意味じゃなくて!!」


 むっとする詩音にライムが答える。



「ええっと、まあ一度作りに行ったんだけど、その……、身分証明書とか持っていなくて、できなくて……」


「身分証明書がない……、の?」


「うん……」


 笑みを浮かべて頷くライムを見て詩音が考える。


(身分証明書がないって、どういうこと?? やっぱり何か裏の人間だとか……)



「なあ、詩音。今度一緒に作るの付き合ってくれないか?」


「え? 私が?」


 驚く詩音。ライムが言う。


「ああ、頼むよ~」


 両手を合わせて頼むライムを見て詩音が言う。


「でも、身分証明書がないんでしょ? 私が行ったところでできないですよ……」


「そうなの?」


「そうですよ。そもそもなんで身分証明書がないんですか?」


 少し驚いた顔でライムが答える。


「なんでって、俺、天使だもん」


「はあ、また天使ネタですか……」


 天使でも正当な手続きを踏んで降りて来た者は、天財グループより公的な身分証明書が発行される。だがライムは追放された堕天使。そのようなものは与えられない。ライムが困った顔で言う。



「うーん、どうしたらいいのかな~、結構みんなに連絡先聞かれるんだけど……」


 少し考えた詩音がライムに言う。


「まあ、どうして持って言うのならば、私の名義でもう一台作ってもいいですけど……」


 作ってもいいけど立て替える金はない。最近のスマホは結構高い。そもそもライムはお金を持っているのだろうか。ライムが言う。


「そうか!! それは助かる。是非そうしてくれ!!」


「ライムさん、スマホ買うって結構お金かかりますよ?」


「そうなの? 幾ら?」


「幾らって、それは機種にもよりますけど……」


 ライムがポケットから財布を取り出し、中を開けて見せて尋ねる。



「これぐらいあれば足りる?」


「え……?」


 詩音は目が点になった。ライムの長財布の中には溢れんばかりの札束が入っている。軽く車が買えるほどはありそうだ。固まったままの詩音にライムが尋ねる。


「まさか、足りないとか……」


 中高生でも持っているスマホ。そんなに高額なはずはないと思いつつライムが尋ねる。詩音が首を大きく左右に振って答える。


「い、いえいえ!! 全然足りますよ!! 全然……」


 そう言いながら、ライムの財布の札束に視線が固定される詩音。同時に思う。



(あれだけあれば、私の借金も……)


 詩音が大きく首を振る。



(何を考えているのよ!! あれはライムさんのお金、人様のお金……)


 自分の財布を見て首を大きく振る詩音を見てライムが尋ねる。



「なあ、詩音。ちょっと聞いていいか?」


「な、なに?」


「もしかして、お金に困っていないか……?」


 最強不幸女子の詩音。考えてみればお金に困っていない方がおかしい。詩音がすぐに否定留守る。



「こ、困っていないです!! 全然、困ってなんか……」


 そう言いながら自然と目に涙が溢れて来る詩音。ずっと続く借金返済のメールや電話。母親からも保険金を掛けられて狙われた命。正直、お金など見たくもないほど嫌いだが、必要ではある。



「ほらよ」


「え?」


 ライムが手にしていた財布をそのまま詩音に預ける。ずっしりと重い財布を持った詩音にライムが言う。


「やるよ。スマホ作ってくれるお礼」


「は、はあ!? い、幾らなんでも多すぎます!!!」


 そう言って財布を返そうとする詩音を押し返してライムが言う。


「いいって。俺、今衣食住には困っていないし。ホストの給料も結構いいから」


 トップ売り上げを誇るライム。収入は上場企業の役員クラスを誇る。


「でも……」


「いいってば。金なんてあっても使い道ないし、スマホ代ってことで」


 実際天界の住人であるライムにとって、地上のお金などに全く興味がない。普通に生活ができればそれでいい。財布を持ったままの詩音がある決意をして言う。


「分かりました。じゃあ有難く頂きます……」



(これだけあれば……)


 幾らあるのか知らない。だがこれだけの大金ならほとんどの借金は返済できる。借金に追われ、気が狂いそうになっていた彼女にこれだけのお金を前に冷静な判断などできない。詩音がライムを見つめて言う。



「本当にありがとうございます。ライムさん。このお礼は……」


 ライムが困った顔で言う。


「いや、だからお礼なんて……」



「体でお支払いします」


「へ……?」


 真剣な詩音の顔。それを見たライムは驚きの表情で固まった。

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