27.詩音の笑顔

 ライムが怜奈の救助に向かってからずっと、詩音は彼の治療スキルを受けタワマンにある自室のベッドで眠りについていた。とは言えまだ力が完全に戻っていないライム。怪我が治りきっていない詩音はその痛みで目を覚ました。



「ライムさん……」


 車を下ろされたところで彼に助けられたのは覚えている。どうやって運ばれたのかは分からないが彼に助けられたのは間違いない。



「痛たたたっ……」


 詩音は痛む体に力を入れベッドから立ち上がる。



 ブルっ


 体が震えた。

 急に先程怜奈を攫った黒服達のことを思い出し体を震わす。間違いなく反社会的勢力の者。怜奈の家がお金持ちだとは分かっているが、そんな雲の上の人達の世界に無暗に首を突っ込んでしまったことに体が震える。



(私、殺されるのかな……)


 怜奈誘拐を知ってしまった詩音。否が応でも後程自分に牙が向くであろう。



 ブルルルル……


 マナーモードにしてあるスマホが震える。借金をした消費者金融からだ。もうメールを見るのも疲れた。詩音はスマホを手にしたままリビングへ行き、棚に置いてあるライムの洋酒を取り出す。



「ごめんなさい、ライムさん。また頂きますね……」


 そう小さく言うとテーブルにあったグラスに洋酒を並々に注ぎ、それを次々と一気飲みしていく。アルコール度数の高い洋酒。元々酒に強くない詩音。疲れもあって一気に酔って行く。



「怜奈さん、大丈夫かな……」


 テーブルに頭を乗せ小さくつぶやく詩音。怜奈のことも心配だったが、そもそも喜一郎などという人物は知らない。混乱と酔いで警察への通報すら思いつかない。様々なことが起こり頭の整理がつかない。やらなければならないことはあるのだが、体が動くことを拒む。

 詩音が洋酒の入ったグラスをじっと見つめ言う。


「なんだか、疲れちゃったな……」


 自然と零れ落ちる涙。それがテーブルの上に落ち小さな水たまりを作る。



 トゥルルル……


 電話。着信音で分かる母親からのもの。もう出ることはないと思った詩音だが、酔いが彼女の判断を鈍らせる。



「はい……」


 テーブルに頭を乗せたまま答える詩音。スマホから大きな声が響く。


『はいじゃないだろ!! どうして帰って来ないの!!』


『お母さん……』


 最後の最後で母親にすがりたかった。だが次の言葉でそれが叶わぬ希望だと知らされた。



『詩音、お前に大事な話がある。すぐに帰って来なさい!!』



 ――後は詩音をやるだけ


 同時に思い出される母親の言葉。保険金を掛けて自分を殺す悍ましい計画。詩音はまだ大声で騒ぐ母親からの通話を無言で切り、グラスに残っていた洋酒を一気に飲み干す。



「うっ、ううっ……」


 涙。我慢していても滝のように溢れ出す涙。詩音はひとりテラス窓を開けルーフバルコニーに出ると、暗くなった夜空を見て言った。



「もう無理だよ。もう……」


 自然とバルコニーの柵の方へと歩み寄る。そしてその柵をよじ登り下を見て言う。



「ごめんなさい、こんな私で……」


 最後の言葉。なぜだが脳裏に金髪男の顔が浮かぶ。そして詩音は夜風に黒髪を靡かせながら、その体がふわっと宙に舞った。




「詩音ーーーーーーーーっ!!!!」


 地面へと吸い込まれるように落下する詩音。その彼女に向かって銀色に光る弾丸が近付く。



 ガバッ!!


 地面からわずか数メートル。直撃寸前のところでその銀色の弾丸は詩音の体を抱き上げた。



「馬鹿馬鹿っ!! なにやってんだよ!!!!」


 詩音を抱きながら上昇するライム。その目には涙。ぎゅっと抱きしめて言う。


「お前は、本当にちょっと目を離しただけで、こんなことを……」


 そう言いながら詩音を抱きしめる腕に力が入る。



(誰……、とても温かい……)


 酔いと混乱で状況判断ができない詩音。ただ自分を抱きしめるその何かを感じ体の全てを任せる。



(天国、なのかな……、とても居心地がいい……)


 ライムの腕の中。暖かい風。そのすべてが詩音にとっては心地良かった。




「あ、いる。見えた……」


 次の呪魔解放条件『詩音を抱いたまま空を飛ぶ』が発動。ライムの感覚に強い呪魔の気配が触れる。ライムは宙に浮いたまま指を二本立て、小さくつぶやく。


天域展開ユニヴァース


 詩音を抱いたままのライムの周りに発現する光の波。周囲を回転しながら四方に広がり、空の上で音のない天域を形成する。



「てめえか……」


 そこに現れたのはまるで巨大なカラスのような呪魔。大きなくちばし、赤い目。長い爪は触れただけで何でも切り裂くように鋭い。



「グギャアアアア!!!!」


 カラスの呪魔が奇声を上げてライムに突撃する。詩音を抱えたままのライム。すぐに防御障壁を張る。



天聖障壁ヘブンズシールド!!」


 バリン!!!


 発現と同時に破壊される障壁。だがライムは素早くカラスの後方へ回り込み、発現させた天使の剣エンジェルブレードでその体を一刀両断にした。



「はあ、はあ、よしこれで……、!!」


 呪魔を浄化したライム。これで終わりと思いきや未だ消えぬ邪なる気配。ライムが目を閉じその元を探る。



「……あっちか!!」


 気配を感じ取ったライムが詩音を抱えたまま向かう。





 タワマンから遠く離れたとある安アパート。

 その一階の一室で、詩音の母親花水正子はいつまでも電話に出ない娘に苛立っていた。


「ああ、くそっ!! なんで出ないんだよ、あのバカ娘が!!」


 飲んでいたビール缶が空になるとそれを壁に投げつけて怒声を上げる。一緒に居た男が不満そうな顔で言う。


「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」


「ああ? 当たり前でしょ!? 計画は完璧。後はあの親不孝者の馬鹿娘が死ねば、黙ってても保険金ががっさり入るんだよ!!」


「分かってるけどな……」


 とても上手くいきそうにはない。段々恐ろしくなってきた男が虚勢ばかり張る正子を見てため息をつく。




(なるほど、そういう事か……)


 その会話を外から聞いていたライム。詩音が抱える心の闇のひとつを理解した。


(実の母親に殺されかけていたなんて……、お前ってやつは……)


 腕の中でぐっすり眠る詩音を見てライムの目に涙が溜まる。思わずぎゅっと抱きしめる。そして小さく何かを彼女の耳元でつぶやいてから地面に下ろし、指をコキコキ鳴らして言う。



天域展開ユニヴァース


 止まる時間。静寂の中、ライムは翼を広げそのアパートの上空に浮く呪魔を睨みつける。


「てめえか。詩音の母親に憑りついてんのは?」


 それは大きな鎌を持ったまるで死神のような呪魔。中級以上の相手。死神が答える。



「天使? いや、堕天使か。そのようなカスが我を炙り出すとは身の程知らずめ」


 ライムが天使の剣エンジェルブレードを発現させて答える。


「黙れ、三下。てめえは超えちゃいけねえラインを越えた。俺が綺麗に消してやる」


 ライムは地面に座らされたまま眠る詩音を見て剣を持つ手に力を入れる。死神が言う。



「愚かな。この我をただのあやかしか何かと勘違いしておるのか?」


「なに?」


 死神が大きな鎌を手前に突き出し言う。


「物理戦闘においても優秀な我。さあ、行くぞ!!」


 同時にライムへ突撃する死神。大きな鎌を振り上げて斬りかかる。



 ガン、ガンガン!!!


 ぶつかり合う大鎌と光の剣。静寂の世界に大きな衝撃音が響く。ライムが思う。



(強ええな。でも……)


 死神に振り下ろされた光の剣。それが大鎌諸共一刀両断にする。



「でも、てめえだけは絶対に許せねえんだよ」


 消える死神。ライムはそのまま正子の部屋に入りその体に触れて小さく言う。



部分解除パートリリース


 正子の目に激怒した天使の姿が映し出された。






「……あれ?」


 詩音は自室のベットの上で目が覚めた。

 いつもの天井。軽い体。先程まで起こっていたはずの辛い出来事が嘘のように柔らかく感じる。



「あ、ライムさん?」


 ベッドの横にある椅子に座って眠るライム。詩音の言葉で目覚めたライムが尋ねる。


「お、起きたか? どうだ、怪我の具合は??」


「え、怪我……」


 そう言えば黒服の男達に捕まって殴られたり蹴られたりした。だが不思議なことに今は痛みも全くなく顔の腫れも引いている。


「あの、全然痛くないです……」


 それを聞いたライムが笑顔で言う。


「良かった。怜奈の家にちょー効く薬があってな。処置しておいた」


「そう、それはありが……、ああ!? そう、怜奈さんは!!」


 詩音が思い出したように尋ねる。ライムが少し真面目な表情で答える。



「ああ、大丈夫だ。警察が助けてくれたよ」


「え、警察?」


 事件は表に公表されることはなかったが、喜一郎と昵懇の警察の手によって裁かれることとなった。安堵した詩音が尋ねる。


「それで怜奈さんは?」


「ああ、少し前までここに居たけど今は出掛けて行った」


 時刻は昼少し前。ライムが言う。



「親父さんと食事に行くんだってさ」


 ライムの嬉しそうな顔。詩音も笑顔でそれに答える。



「ねえ」


「なに?」


 詩音はベッドに横になって尋ねる。



「私ね、天使みたいな人に助けられたの」


「そうか」


 そう答えるライム。



「ライムさんって天使だったよね?」


「ああ」



「じゃあ、天使になったライムさんに助けられたのかな」


「そうだよ」


 詩音が起き上がって頬を膨らませて言う。



「もお、また私を馬鹿にする!!」


「いや、だからしてねえって……」


 詩音の笑顔。ライムはそれが見られて思わず目頭が熱くなった。

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