25.怜奈の涙
「なあ、マリル……」
「ん? なあに、ライ君??」
郊外にあるお洒落なカフェ。緑に包まれ、天窓から注ぐ日光を受け店内にもハーブ類のプランターがあちこちに置かれている。
その明るい窓際に座るライムとマリル。だがライムとしては当然向かい合わせに座るつもりだったのだが、マリルは当然のように自分のベンチシートに添うように座る。ライムが頭を抱えて言う。
「何じゃないだろ。なぜ隣に座るんだ?」
「えー、だって恋人同士ってこうやって座るんじゃん」
そう言ってピンク色の艶やかな髪を揺らしながらライムを覗き込み答えるマリル。ライムが立ち上がって向かいの席に座り、はあと息を吐いてから言う。
「いつから恋人になったんだ? いいからお前がそっちに座れ。それで、話ってなんだ?」
マリルはややむっとした表情でベンチシートに座り直すと、運ばれて来たカフェオレを口にしながら言う。
「うん。ええっとねえ、今ライ君が関わってる上級呪魔っているでしょ? あれ、やっぱりちょーヤバいんだよ!!」
「分かってるよ、それぐらい」
上級呪魔ウラドの強さはライムもしっかり理解している。今のままではまだ倒せない。もっと強くなる必要がある。マリルが言う。
「うん。それでね、天財さんでも対処できないみたいで、天界から応援を呼ぶってことになって……」
「は? 天界から??」
驚くライム。マリルが答える。
「うん。まだ誰が来るのか分からないけど、もしかしたらパパみたいな大天使クラスが降りて来るかも」
「マジか……」
真っ赤な肢体、美しい四枚の翼。ミカエルファミリーに属しているので名前にその文字が入っているのだが、ライムが最も苦手とするのもまたその大天使ミカエルである。ライムが言う。
「会いたくねえな……」
「ほんと!! 私も会いたくない」
ライムがブラックコーヒーを飲みながら尋ねる。
「なんで? 大好きなパパだろ?」
「うーん、大好きは大好きだけど、私を向こうに連れて帰ろうとしているみたいで」
「向こう? 天界にか?」
「うん」
ライムが首を傾げて聞く。
「なんで? 許可は取ったんだろ。……あ、まさかミカエル様には内緒で?」
マリルがカフェラテのカップを両手で持ちながら頷く。
「そうか。それならミカエル様は無理にでも連れて帰ろうとするな」
マリルがむっとした顔で言う。
「そんな他人事みたいに言わないでよ~、ライ君の為にマリルはこっちに来たんだからね!!」
「誰も呼んでねえぞ。いや、そもそも俺が地上に落とされたのも元はと言えばお前のせい。なぜ俺に怒る!?」
「わ、私は知らないよ~」
ライムから目線を逸らし、首を左右に振って誤魔化すマリル。ライムはコーヒーを一気に飲み終えると席を立ち言う。
「とりあえず俺は俺でウラドと戦う。絶対に負けたくねえんだ、男としても」
「うん……、その気持ちは分かるけど、気を付けてね」
心配そうなマリルにライムが言う。
「ああ、死なねえ程度に頑張るぜ」
そう言ってひとりカフェを出た。
(ど、どうしよう……、勢いでタクシーに乗っちゃったけど……)
一方、黒のミニバンに攫われた怜奈を追ってタクシーに乗り込んだ詩音は、心臓の音が聞こえるほど動揺していた。偶然給料が出た後で借金返済の為に財布にはいくらかお金はあるが、一体どこまで走って行くのか見当もつかない。
(それに、私ひとりで一体何ができるかしら……)
黒服の男達。見つかったら逆にやられるし、そもそも本当に攫われたのかも分からない。もしかしたら怜奈の仲間の人で一緒にお出掛けしたとか?
そんなことを考えているうちに、黒のミニバンは港近くにある寂びれた倉庫へと向かっていく。
「すこしゆっくりで……、あ、ここで止めてください!」
詩音はそのミニバンから少し離れた場所でタクシーを止め、料金を払い静かに下車する。ぎりぎり持ち金で足りたことに安堵するも、古い倉庫へと入って行くミニバンを陰から見つめると全身から汗が噴き出る。
(やっぱりただ事じゃないわ。どうしよう、警察かそれともライムさんに連絡を……)
そこまで考えた詩音はライムの携帯番号を知らないことに気付く。あれだけ付きまとわれ、同じ屋根の下で暮らしているのに連絡先も知らなかったとは。警察に通報しようと思った詩音は状況確認の為、車が完全に入った後にゆっくりと倉庫へ近づく。
(怖い。体が震える。でも怜奈さんが……)
ただ事ではないはず。恐怖に体が震えるが、詩音は冷静にと自分に言い聞かせゆっくりと倉庫の扉の隙間から中を覗く。
「!!」
詩音は思わず出そうになった声を飲み込んだ。
薄暗い倉庫内では車から降りた数名の黒服の男達。そしてその中心にいる白髪の男が、椅子に座って両手足を縛られている怜奈に何か言っている。詩音は涙が出そうになるぐらい恐怖を感じその場を離れようとするが、不意に後ろから掛けられた男の声に体をびくっと震わせる。
「何やってるんだ、お前?」
詩音が振り返る。それは倉庫の中に居る男達と同じ黒服。反射的に逃げ出そうとした詩音の腕を掴み男が言う。
「ずっと付けてたのはお前だろ? 何者だ?」
「は、放してください!!」
抵抗する詩音の脇腹に黒服が拳を打ち込む。
ドフッ
「ぎゃっ!!」
その一撃で完全に詩音は折れた。恐怖と痛み。殺されるかもしれない状況。何の取り柄もない普通の女の子には耐えられるものではなかった。男が言う。
「まあたぶん三上の者だろう? ちょうどいい」
そう言いながら倉庫の扉を開け、詩音の髪を掴み中へと入る。黒服達がそれに気付き声を掛ける。
「そいつがずっと付けていた奴か? 女? 三上の者か?」
黒服が答える。
「分からないっす。ただ関係者であることは間違いないようで」
そう言ってドンと詩音の背中を押し、皆の前へと付き出す。椅子に縛られ俯いていた怜奈が顔を上げ、初めてそれが同居人である詩音だと気付いた。
「ど、どうしてあなたがここへ!?」
思わず出てしまった言葉。知らない振りをしていれば詩音が助かったかもしれないと言うことは、この時点では考えられなかった。詩音が震えながら顔を上げ答える。
「怜奈さん、無事で良かった……」
状況からして無事ではない。ただまだ殴られたり蹴られたりしていないと言う意味。白髪の老人が前に出て詩音に尋ねる。
「お前、誰だ?」
「……」
詩音は目線を合わさず俯く。近くにいた黒服が老人の耳元で告げる。
「旦那様、あれ、多分ですが、三上の娘と一緒に暮らしている女です」
「一緒に暮らしている女? 何者だ」
「分かりません。最近やって来たようで……」
そう答えると黒服が後方に下がる。老人が詩音の前に出て言う。
「貴様、三上の関係者か?」
「……」
黙る詩音。代わりに怜奈が大声で答える。
「その人は関係ないわ!! 解放しなさいよ!!」
詩音が首を振り、笑みを浮かべて怜奈に言う。
「関係あるよ。私、怜奈さんのお友達だから……」
詩音の頬を流れる涙。それを見た怜奈も涙目となる。老人が言う。
「おい、女。お前が三上の者だと言うことは分かった。これからお前を解放するから三上喜一郎に伝えよ。娘が返して欲しければ、例の権利書を持ってここに来いとな」
「権利書……」
詩音には一体何の話か全く分からない。三上喜一郎。聞いたことはないが怜奈の父親だろうか。黒服が言う。
「あーでも、ただじゃ開放しないぜ。俺達を怒らせた、てめえら三上。許さねえから」
「な、なにを……」
恐怖に後ずさりする詩音。男が笑いながら言う。
「な~に、ちょっと三葉の本気を見せてやろうかと思ってな」
そのすぐ後、寂びれた倉庫内に詩音と、それを見た怜奈の叫ぶような泣き声が響いた。
「遅せえなあ~、詩音も怜奈も」
その日の夕方、タワマンのルーフバルコニーでいつまで経っても帰宅しないふたりの女の子をライムは心配していた。沈みゆく夕陽。心地良い風にライムの金色の髪が靡く。
(あれ……?)
そんなライムの目にタワマンのエントランス付近い急ぎつけられる黒塗りの車が映る。どこかのセレブだろうか。だがその彼の考えは、車から捨てるように下ろされた女性を見て一変した。
「詩音っ!?」
真っ黒な長髪。白く透き通るような肌。まるでゴミのように車から捨てられた詩音を見て、ライムは大きな声を上げながらバルコニーから飛び降りる。
「詩音ーーーーーーっ!!!!」
背に伸びる白銀の翼。急降下する天使。沈みかけた夕日を浴びた翼が黄金色に輝く。
「詩音詩音詩音詩音っ!!!」
大きく翼を羽ばたかせ地面に降り立つと同時に、地面に倒れる詩音を抱き上げる。
「ライム、さん……」
「何があったんだ!?」
詩音の美しかった顔は何かで何度もぶたれたのか腫れ上がっており、出血、黒アザがとても痛々しい。詩音が掠れた声で言う。
「怜奈さんが攫われてしまって……、三上喜一郎さんって人に伝えろって……」
ライムの体が一瞬固まる。
「怜奈が攫われた……?」
一瞬、頭が真っ白になる。三上喜一郎は怜奈の父親。ライムが静かに尋ねる。
「怜奈はどこに居る?」
「港の、倉庫に……」
ライムが倒れた怜奈を抱きかかえ小さく言う。
「今、部屋に運ぶ。すまなかった、こんなんにしちまって……」
ライムはそのまま翼を大きく羽ばたかせ上昇。タワマンの部屋に戻り詩音をベッドに寝かすと、再びルーフバルコニーへと出る。そして鬼の形相でつぶやいた。
「下賤な愚民共め。その罪、万死に値する」
そう自らを戒めるように低い声で言うと、翼を大きく広げ暗くなりつつある空へと飛び立った。
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