23.ルーフバルコニーの約束

 三上グループ本社、社長室。

 そこにある来賓用のソファーに座った品のある白髪の老女を前に、この部屋の主は正座をしてうな垂れていた。白髪の老女、三上絹子が手にした扇子で正座する三上グループ社長の喜一郎の頭をポンと叩いて呆れた顔で言う。


「それで怜ちゃんを無理やり攫おうとしたのかい?」


「はい……、ごめんなさい……」


 怜奈からの連絡で息子である喜一郎の暴挙を知った絹子は、すぐに怒りの形相でここへやってきた。喜一郎が怜奈との関係に悩んでいたのは知っている。だがそこは親子。絹子はこれまであまり干渉せず見守る姿勢を続けていた。しかしさすがに今回の蛮行は許せない。


「そんな事だから怜ちゃんに嫌われるんですよ!!」


「はい。反省しています……」


 母であり、三上グループ総裁の絹子には逆立ちしても敵わない。


「あなたが怜ちゃんと仲良くやりたいのは知ってます。じゃあなぜ、彼女があなたの元を去ったのかそこをきちんと考えなさい」


「はい……」


 喜一郎はうな垂れたまま小さく返事をする。親子ふたりだけの部屋。絹子が喜一郎にソファに座るよう促して言う。



「怜ちゃんに怪我がなくて良かったわ」


「はい。一緒に居た金髪の男と共に逃げました。母さん、あの男は一体誰なんですか?」


「金髪の男? ああ、あれね」


 絹子が手を口に当てて初めて笑う。


「怜奈と一体どういう関係で?」


「心配することないよ。とってもいい男。一緒にタワマンに住ませて面倒を見て貰っているだけ」


「信頼できるのですか?」


「もちろんよ。じゃなきゃ、私があの部屋を貸す訳ないでしょ?」


「はあ……」


 喜一郎に畏怖すべき存在があの金髪の男と言う記憶はない。神々しさに後光。ライムの顔を直視できないでいる。絹子が尋ねる。



「それよりももう二度とあんな馬鹿げたことをするんじゃないよ」


「分かっています。私もなぜあんな強硬手段を取ったのか、今になっては不思議で……」


 そう話す喜一郎の顔は本当に反省している様だった。無論、彼に憑りついていた呪魔がライムによって祓われたことなど知る由もない。絹子が答える。



「分かったわ。あなたを信じる」


「ありがとう、母さん。で、お願いがあるんだけど」


「何かしら?」


 喜一郎が真面目な顔をして言う。



「実は、一度怜奈と……」


 絹子はそれを黙って聞いた。






「よお、おかえり!! 詩音」


 土曜の夜、いつもより遅く帰って来た詩音をリビングに居たライムと怜奈が迎えた。やつれた顔。何故だか元気がない。


「ただいま。遅くなってごめんなさい……」


 そう話す詩音の声に生気がないのは明らか。心配そうな顔をしたライムが尋ねる。


「どうした、詩音。何かあったのか?」


 詩音が首を左右に振って答える。


「何もないわ。大丈夫よ……」


 明らかに大丈夫じゃない。その様子を横眼で見ていた怜奈尋ねる。



「詩音さん。お食事は?」


「ごめんね。今日はなんだか食欲がなくて……」


「遅かったんで私達はもう食べちゃったんだけど、詩音さんの分は冷蔵庫にありますのでお腹減ったら食べて下さい」


 言葉は優しいが感情がこもっていない口調。それでも詩音はできるだけの笑みでそれに答える。


「ありがとう、怜奈さん」


「いえ……」


 怜奈が前を向いたままそっけなく返事をする。詩音が疲れた表情でふたりに言う。



「私、ちょっとこのまま部屋で休みます。おやすみなさい」


「え? ああ、おやすみ」


 少し驚いたライムが詩音に答える。彼女が去った後、ライムが怜奈に尋ねる。



「なあ、詩音の奴。様子が変じゃなかったか?」


「そうね。少し疲れていたような気がするわ」


 そう話す怜奈の顔も心配そうである。ライムが立ち上がり言う。


「じゃあ、俺は仕事行って来るんであいつに何かあったらよろしくな」


「私も自分の部屋に行って寝るわよ」


「そうだな。子供は寝る時間だ」


「子供じゃないもん!!」


 ライムはそう言って頬を膨らます怜奈に言葉をかけ、ホストの仕事へと向かう。






 カチャ……


(ただいま~)


 夜中の一時過ぎ。ホストの仕事を終えてタワマンに帰って来たライムは音を立てないように部屋へと上がる。中学生の怜奈はもちろん、この時間帯は社会人の詩音も眠っている。


(あれ?)


 そんなライムがリビングに小さな明かりが点いていることに気付いた。音を立てずに部屋に入るライム。テーブルの前にひとり座る詩音に気付いて声を掛ける。



「詩音?」


 テーブルの上には幾つものビールの缶に半分以上減ったウィスキーのボトル。振り返った詩音の顔を見てライムが驚く。


「大丈夫か!?」


 真っ赤な顔。かなり酩酊しているようだ。詩音が言う。


「あれ、ライムさん。お帰り……」


 薄暗い部屋。近付いてみて分かる赤い顔に赤い目。泣いていたのだろうか。ライムが尋ねる。



「どうしたんだよ? 珍しい」


 普段は酒など飲まない詩音。すべてライムが飲む為に買ってあるお酒だ。詩音が答える。


「ごめんなさい。ごめんなさい、私勝手に……」


 そう言って涙ぐむ詩音。ライムが横に座りその頭を撫でながら言う。



「いいってことよ。付き合おうか?」


「うん……」


 ライムはキッチンからグラスを持って来てウィスキーを注ぎ、口に運ぶ。



「で、どうしたんだい?」


 ライムが優しい口調で尋ねる。詩音が少し笑って答える。


「今さあ、そう言う言い方するのは卑怯だよ」


「なんで?」


「なんでも」


 そう答えて詩音もグラスを口にする。そして尋ねる。



「ライムさんはさ、私のことが好きなの?」


 酔ってるな、と思いつつライムが答える。


「もちろん好きだよ」


「それ、会うひとみんなに言ってるでしょ?」


「そんなことは……、どうかな……??」


「ほら~」


 ライムが苦笑して答える。


「だって俺はすべての女性の味方だぜ」


「そうね。不思議な人よね、あなたって」


 そう言ってグラスを揺らす詩音は何故かとても色っぽい。



「私をさ、幸せにしてくれるって言ったでしょ?」


「ああ、言った」


「本気なの~?」


「本気だよ。どうして?」



――それが俺の仕事だから


 ライムが言った言葉を思い出す。詩音が自虐的に言う。


「私ってすっごく不幸な女だよ。知ってる?」


「知ってるよ」


「じゃあどうやって幸せにするの?」


 ライムが頷いて答える。



「だって俺、天使だぜ。それが俺の務め」


 仕事。意味はよく分からないが自分を幸せにするのは彼の仕事。詩音が呆れた顔で答える。


「まだそんな天使ネタ言うの? ねえ、ちょっと聞きたかったんだけどさ」


「なに?」


「ライムさんって、私のこと馬鹿にしてるよね、絶対」


「はあ? そんなことないぜ。大切な彼女だし」


 そう言って指を詩音の顎に乗せて囁く。


「本気で言ってるの?」


「もちろん」


 それも仕事。分かっている。詩音が少し悲しそうな顔で尋ねる。



「じゃあ、もし私が殺されそうになっても助けてくれる?」


「当たり前。絶対そんなことさせない」


 そう答えつつもライムは想像していなかった言葉にやや驚く。詩音が立ち上がってテラス窓の方へ向かって歩き出す。そしてルーフバルコニーへ出ると生暖かい風を大きく吸って言う。



「気持ちいいね~、風が気持ちいい」


「ああ、そうだな」


 一緒にバルコニーへ出て来たライムがそう答える。詩音はゆっくりとバルコニーの柵の方へ向かって歩き、眼下に広がる夜景を見ながらライムに言う。



「ねえ」


「なに?」


 詩音の視線が暗闇に染まる街へと向けられる。夜風に靡く黒髪。少し間を置いてから尋ねる。



「じゃあさ。私がここから飛び降りても、ライムさんは助けてくれるの?」


 そう言いながら振り返った詩音。その姿は天使のライムでさえ、天界に住む美しい天使と見間違えるほど艶やか。

 ライムは自然と詩音の前に歩み出て、片膝をついて彼女の手を取る。そしてその手に口づけをして言う。



「無論でございます。姫様」


「約束よ」


「はい」


 詩音は少しだけ笑うと再び背を向けて深夜の夜景を見つめる。



(天使の俺が約束したんだ。必ずお前を幸せにするよ)


 ライムは立ち上がり無言で詩音の隣に立ち、一緒に夜景を眺めた。

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