22.母親

 都市の一等地にある点を貫くようなビル。エントラスに『天財』と書かれたその建物は表向きは『天財グループ本社ビル』であるが、実は天界に住む者達の地上の拠点。人間に扮した天使達が、地上で修業を積む者のサポートや情報管理を行っている。

 そのビルの一室。大きなパソコンの画面の前に集まった複数の天使達が、険しい表情でそのモニターを見つめていた。ピンク髪の露出の高い服装の天使、マリルが言う。


「これが上級呪魔ウラドのデータなの……?」


「ええ……」


 モニターには呪魔の中でも最強と恐れられる何体もの上級種のデータが映っている。その中で先日マリルが遭遇した呪魔ウラド・ヴァンピーアに皆の視線が集まる。


「吸血魔の上位呪魔でこれまでほとんど存在が確認されていませんでしたが、初めてその姿を捕らえられました。お手柄です、マリルさん」


 情報管理責任者の天使がマリルに礼を言う。マリルが答える。


「ううん。私は偶然よ。これを引き出したのはライムなんだから」


「……」


 ライム・ミカエル。天界での悪行が故に堕とされた堕天使。天財の者は堕天使に対しては厳しい態度を取る。別の天使が言う。



「とは言え、これほどの呪魔が現れたとなるととてもここの戦力では対処できないですね」


「はい。天界から応援を頂かないと大変なことになると思います」


 眼鏡を掛けた別の天使がマリルに尋ねる。


「それでどうして呪魔ウラドはすぐに人を襲わないのですか?」


「ええっとねえ、それはウラドがライ君と決闘してるからだよ」


「決闘?」


 意味が分からない天使達。マリルが言う。


「そう。私も良く分からないけど、ライ君が戦って負けない限り大丈夫なんだって」


「……」


 首を傾げて見つめ合う天使達。危険な上級呪魔。それが一介の天使、天界を追放された堕天使ごときに対処できるはずがない。責任者の天使が言う。



「分かった。それでは当面は天界に応援を求めつつ、上級呪魔ウラドの監視を我々で行おう。それからマリル殿」


「はい?」


 マリルがくるりと天使の方を向いて答える。


「お父上のミカエル様より即時天界へ戻るよう命令が来ております」


「げっ……」


 父親である大天使ミカエルにはこの地上での修行のことは内密にしてやって来ていた。いずれはバレると思っていたが予想よりも早い。マリルが顔を引きつらせながら答える。


「だ、大丈夫ですって~、わ、私はここで頑張るから……」


 天使がやや呆れたような顔で言う。


「ミカエル様に無許可で来ていらしたのですね。まあそれはあなた方の問題。天財としてはお伝えしましたからね」


「はい……」


 マリルがうな垂れて答える。彼女にとっては上級呪魔よりも父親である大天使ミカエルの方がずっと厄介な存在であった。






 週末、土曜の朝。

 詩音が支度を整えキッチンへ行くと、既に怜奈が起きて朝ご飯を準備していた。ライムは居ない。まだ寝ているようだ。詩音が挨拶をする。


「おはようございます、怜奈さん」


「おはようございます……」


 目線を合わせず答える怜奈。手際よくひとり分の朝食をテーブルに並べて行く。詩音が少し驚いて言う。


「あ、私も手伝い……」


「終わりましたから。これ、詩音さんの分です。どうぞ」


「あ、うん……」


 詩音がそう返事すると怜奈はつけていたエプロンを脱ぎ、キッチンを出ようとする。


「怜奈さん、一緒にご飯を……」


 怜奈が歩きながら答える。


「私はまだ食べませんので。では」


 そう言ってキッチンのドアを閉め出て行く怜奈。詩音は小さくため息をつきひとりで食事。後片付けをしてからタワマンを出た。






(行きたくないな……)


 詩音は黒髪を風に靡かせながら駅改札へと向かう。ここ数日の健康的な食事にベッド。体調も随分回復してきている。部屋の心配は当面なくなったが、未だスマホに届く借金返済のメールや電話。すべて出ないようにしているが、こんなことをいつまで続けていいのか分からない。そして母親。


(絶対良くない話に違いない……)


 詩音の母親、花水かすい正子まさこは買い物依存症であった。

 夫である詩音の父親とは彼女が若い頃に離婚。その原因は極度の買い物依存であり、他人のクレジットカードを無断で使用するほか、夫の親族に金の無心をするなど手の付けようがない状態であった。

 そんな母親の元から大学卒業と共に逃げるようにしてきた詩音。無一文で生粋の不幸体質の彼女は母親の元を去っても苦しんでいるのだが、そんな母親はやはり娘を簡単には手放さない。『会いに来い』と言われれば心優しい詩音は無条件で従ってしまう。



(久しぶりだな……)


 電車に揺られること数時間。詩音が逃げ出した、ある意味懐かしい風景が広がる。中学から高校、そして大学。親の金の為にバイトに明け暮れた毎日。青春なんて言葉は彼女には無縁のものであった。



「何も変わらないな……」


 大学を出て二年。全く帰っていなかった母親の住むボロアパート。母子家庭だった詩音にとってはそこはある意味生家。だが楽しかった思い出はほぼない。

 首筋に流れる汗を感じながら母親の部屋へと近付く。一階の角部屋。塗装が剥げかけたスチール製の扉の前に立った詩音の耳に、壁にある少し開いたままの小窓から母親の声が聞こえた。



「だから心配ないって」


(え?)


 詩音の足が止まる。



(誰かと話してる!?)


 母親は部屋の中にいる誰かと会話をしていた。続いて男の声が聞こえる。


「捕まったりしねえのか?」


「心配性だね~、方法なんて幾らでもあるんだよ。任せときなって」



(何の話? 誰と話しているの??)


 詩音はドアに隠れじっと話し声に耳を傾ける。男が言う。



「だけどよお、警察が動いたらマジやべえぞ」


についてはあの馬鹿の外交員がきちんと処理してくれるから問題ない。あとは……」



(警察? 保険金!? 一体何の話をしているの!!??)


 詩音の顔に汗が一気に噴き出す。母親が言う。



「あとは手筈通りに詩音を、だけだよ」



「!!」


 詩音は持っていたカバンを落としそうになるのを必死に堪えた。顔面蒼白。噴き出す汗。震える体に力を入れ、音を立てないようにその場からゆっくり立ち去る。



(私、私……)


 母親のアパートから離れた詩音。道の途中にある民家の壁にもたれ掛かって体を震わせる。溢れる涙。自分自身を抱きしめるようにして言う。



「私、お母さんに、殺されるんだ……」


 そのまま脱力して座り込む。声を立てないよう嗚咽した。

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