19.三上怜奈のジレンマ

「旦那様、これが怜奈様と一緒に暮らしている男です」


 三上グループ社長。三上喜一郎の社長室にやって来た黒服の男が、数枚の書類と共に金髪の男の写った写真を手渡す。部屋に置かれた重厚な机と大きなチェアーにどっしりと腰掛ける喜一郎。眼鏡をずらし、手渡された書類をじっと見つめてから言う。


「なんだ、このチャラい男は?」


 黒服の男が佇立したまま答える。


「ホストとのことです。総裁が通われている店で働いているようです」


「うちの母だと?」


「ええ。それゆえ総裁のタワマンで怜奈様と暮らしているようです」


「何でそんなことに……」


 あからさまに不満そうな表情を浮かべる喜一郎。書類を机に置き、黒服に尋ねる。



「あっちの計画はいつだ?」


「はっ。今日を予定しています」


「分かった。私も行こう」


 黒服が驚いた顔で尋ねる。


「旦那様もですか?」


「そうだ。このバカ男にしっかりと教えてやらんとな。怜奈に手を出したことの意味を」


「はっ」


 黒服が頭を下げる。そして手にしていたもうひとつの書類を机に置き、喜一郎に尋ねる。



「それからこちらの件、都市開発計画のことですが……」


 喜一郎の眉間に皺が寄る。


「その権利はうちが落札したはずだろう。まだぐだぐだと訳の分からぬことを抜かしておるのか、三葉は?」


「はい。落札は違法だ。権利を譲渡せよと言ってきております」


「断れ。馬鹿どもに付き合っている時間はない」


「はっ。承知しました」


 三上グループが手掛ける都市開発。その落札が違法だとして同業者である三葉グループがケチをつけて来ていた。グレーな手段を使った喜一郎。だが仕事の為なら些細なことなど気にしない。机の上に置かれた湯飲みを口にして黒服へ言う。



「今日こそは怜奈と食事ができるかな」


「可能かと」


 黒服はそう答えると頭を下げ部屋を出る。だがその表情は決して明るいものではなかった。






「み、三上っ!!」


 怜奈の通う中学校。彼女の希望で一般の公立中学に通っている。

 昼食を終え廊下を歩く怜奈。鮮やかな赤髪は彼女のトレードマークで、可愛らしい顔によく映える。そんな怜奈は学校中で注目される美少女。家柄も良く美しい彼女は、常に男子生徒の視線を集める。


「何かしら?」


 だからこうやって男子から声を掛けられることはよくあることだ。相手は同級生の男の子。サッカー部のキャプテンで顔立ちが良く女性との間でも人気のある生徒。

 赤髪を掻き上げながら答える怜奈の前に男子生徒が立つ。


「おい、あれ早瀬だろ?」

「まさかの告白!?」


 突然始まったサッカー部キャプテンと学校随一の美少女の会話。その場に居合わせた生徒達が足を止めふたりをじっと見つめる。早瀬が言う。


「あ、あのさ。今度の夏祭り、良かったら一緒に行かない?」


「……」


 告白ではない。だがそれにかなり近いものであった。静まる廊下。怜奈は早瀬をちらりと見てから言う。



「遠慮しとくわ。じゃあね」


 そう言って立ち去ろうとする怜奈に早瀬が近付いて言う。


「ま、待てよ、三上!! 俺となら……」


 怜奈が振り返ってじっと早瀬を睨んで言う。



「断ったでしょ?」


「いや、それぐらいいいだろ?」


「ふざけないで。私はが嫌いなの。じゃあね」


 早瀬の顔が怒りで真っ赤になる。


「お、お前だって子供だろ!! なに言ってるんだよ」


 怜奈がちらりと早瀬を見て言う。


「バッカじゃないの。ガキのくせに」


 怜奈はそう言うとカツカツと廊下を歩いて行く。




「何あれ? 早瀬君、可哀そう……」

「ほんと。ちょっと可愛いからって勘違いしてるでしょ」


 廊下に居合わせた女子生徒達が去り行く怜奈の後姿を見ながら小声で言う。

 家柄も良く可愛い怜奈。ただ決して学校での評判は良いとは言えなかった。






「よお、おかえり~、怜奈」


「……ただいま」


 夕方、タワマンに帰って来た怜奈を部屋に居たライムが迎える。

 今日一日もやもやした気持ちに包まれていた怜奈。その理由は学校でのくだらない出来事や、目の前の金髪のチャラい男のせいだとは分かっている。だがどうしていいのかは分からない。


「ねえ。今日、何してたの?」


「今日? 寝てたよ」


 怜奈がため息をつきながら言う。


「仕事しなさいよ、ちゃんと」


「してるよ」


「ホストじゃなくて。ちゃんとした仕事」


「ホストだってちゃんとした仕事だろ?」


 怜奈が腕を組んでむっとしながら言う。



「綺麗な女の人とお酒を飲むだけでしょ? それのどこが仕事なのよ」


「そんな簡単に言うなよ~、結構神経すり減らして大変なんだぜ~」


 そう言う割には楽しそうな表情のライム。怜奈が尋ねる。



「あのさ……」


「なに?」


「あの昨晩の女の人って、ライムの何なの?」


 目を合わせて話そうとしない怜奈。ライムが即答する。



「え? 詩音のこと? 彼女だよ」


「は!? 彼女……」


 驚く怜奈。目を何度もパチパチさせながらライムを見つめる。


「と、俺は思ってる」


「何それ? 彼女は認めてないってこと?」


「うーん、残念だけどまだかな……」


 ライムが改めて詩音攻略の難しさを思う。怜奈が安心したような表情を浮かべて言う。



「そ、そう。それは残念だったわね。つまりあなたが勝手にそう思い込んでるって訳でしょ?」


「え? う~ん、まあそうかな」


 珍しくライムが怜奈の言葉に頷く。怜奈が顔を赤くして尋ねる。


「ね、ねえ、好きなの? 彼女のこと」


「好きだよ」


「そ、そう……」


 下を向いて小さく答える怜奈。それを見たライムが彼女の頬に手を当てながら言う。



「怜奈。前にも言ったろ? 俺は全ての女が好きだ。もちろんお前のことも好きだぜ」


 かあああぁ……


 怜奈の顔が真っ赤に染まる。同時に頬に当てられた手を叩いて顔を背けて言う。


「ば、馬鹿にしないでよね!! 私は別にあなたのことなんかどうでもいいんだから」


「そうか。それは悲しいな……」


 そう言って本当に悲しそうな表情を浮かべるライム。怜奈がやや動揺しながら言う。



「そ、そんなことよりさっさと買い物に行くわよ!! おばあちゃんとの約束でしょ」


「そうだな。じゃあ行くか」


 ライムはそう言って小さくウィンクをしてから怜奈と共に外へと向かう。



(本当に何なのよ、この男は……)


 そう思いながらも怜奈は長身のライムの後に続いて歩き出した。





「ね、ねえ!! ちょっと待ってよ!!」


 外を歩くライム。何か考え事をしているのか少し上を向いたままひとり先を歩く。ライムが怜奈の声に気付いて振り向いて言う。


「あ、ああ。悪い」


 着崩した白のジャケット。金色の髪が風に靡き、それを見た怜奈が一瞬どきっとする。ライムが怜奈の隣に来て腕を動かし言う。


「さ、行くぞ」


「え……」


 それは怜奈に対して『腕を組め』という意味。どぎまぎする怜奈にライムが言う。


「こうすれば一緒に歩けるだろ?」


(きゃっ!)


 そう言いながらライムが怜奈の手を掴み、自分の腕へと絡める。一瞬の出来事に驚いた怜奈が顔を赤くして言う。



「ちょ、ちょっとなに勝手なことしてんのよ!!」


「嫌か?」


「い、嫌と言うか……、その……」


 急に大人しくなる怜奈。ライムが言う。


「こうすればずっと一緒に歩けるだろ? 行くぞ」


「あっ、ちょ、ちょっと!?」


 怜奈のことなどお構いなしに歩き始めるライム。動揺していた怜奈もゆっくり歩いてくれるライムに合わせて隣を歩く。



(お、おばあちゃんが一緒に行けって言ったから。仕方ないんだから!!)


 そう理由をつけてライムを腕を組んで歩く怜奈。長身のライムに普通の中二の女の子。どうやってもその姿は目立つ。





「あれです。旦那様」


 そんなふたりを少し離れた場所に止めた車の中から見つめる男達。黒服の男が言う。


「行きますか?」


 旦那様と呼ばれた白髪交じりの男が、腕を組んで歩くふたりを見て苛ついた表情で答える。


「無論だ。この三上喜一郎を怒らせたことを後悔させてやる。怜奈には怪我をさせるなよ」


「はっ。それでは開始します」


 三上喜一郎は数台に分かれて乗車した黒服の男達が降りて行くのを見てから、自分もゆっくりと車を出た。

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