第四章「詩音の笑顔」

18.新生活スタート!!

「おはよ、怜奈。ふわ~ぁ」


 翌朝、ライムが起きてキッチンに行くと、既に怜奈が起きて朝食の準備をしていた。中学の制服に、赤い髪を後ろで縛ったエプロン姿。まだ中学生だが妙に色っぽい。怜奈が言う。


「ふん!!」


 敢えてライムに答えないように前を向いたまま料理を続ける。ライムがテーブルの椅子を怜奈の後ろに置き、それに跨るように座って尋ねる。



「な~に? ご機嫌斜めなの??」


「し、知らないわよ!! 勝手に話し掛けないで!!」


 頑なに顔を合わせようとしない怜奈。ライムが尋ねる。


「やっぱ詩音のこと、まだ怒ってんの?」


「う、うるさいわよ!!」


 怜奈のフライパンを持つ手に力が入る。



 昨夜、突然連れて来られた黒髪の美女。少しやつれていて幸薄そうな女性だったが、自分とは違ったタイプの美人を見て怜奈は泣きそうになった。ライムが女好きだとは分かっていたが、こんなに早く女を連れ込むとは。中学生の怜奈にとっては想像もできなかった。



 トゥルルル……


 テーブルの上に置いてあった怜奈のスマホが鳴る。


「あ、おばあちゃんだ!!」


 ガスの火を止め、スマホを手に怜奈が電話に出る。もちろん昨夜のことはメールで報告済み。


「でもね、おばあちゃん。うん、うん、だけどぉ……」


 途中から何か納得いかない顔で会話する怜奈。しばらく話してからスマホをライムに差し出して言う。


「はい。おばあちゃんが話したいんだって」


「絹子が? 分かった」


 怜奈からスマホを受け取るライム。



『もしもし?』


『ライムかい?』


『ああ。詩音のことは勝手に悪かったと思ってる』


『別にいいんだよ。あんたに貸した部屋だから誰を連れてこようともね』


 絹子の言葉に胸をなでおろすライム。


『まあでも怜ちゃんのことも考えてやっておくれ』


『どういう意味だ?』


『あら? それ、本気で聞いているのかしら?』


『俺はいつだって誰にだって本気だぜ』


『うふふっ、いいわ。そのうち分かるから。あと、怜ちゃんはまだ中学生。あの子に見せられないようなことだけはしないでおくれ』


『あはははっ、分かってる。さすがに俺も見境ない男じゃねえからな』


『あら、そうなの? 知らなかったわ』


『絹子ぉ~』


 ライムはしばらく絹子との会話を楽しみスマホを置く。それをむっとした顔で見つめていた怜奈が尋ねる。



「おばあちゃんなんだって?」


「ああ、詩音はここに住んでもいいんだって」


 怜奈がプイと顔を背けて言う。


「ふん!! みんな勝手なことばかり」


 勝手にこのタワマンに住み着いている自分はどうなんだ、と思いつつライムが尋ねる。



「あ、あと、今日買い出しだから。学校帰ってきたら一緒に行こうぜ」


 怜奈が少しだけ笑みを浮かべ、すぐにそれを無理やり消し去って言う。


「し、仕方ないから一緒に行ってあげるわ。何せおばあちゃんのお願いだからね!!」


「はいはい」


 そう言いながら笑うライムに、怜奈が改めて強い口調で言う。



「だからって私はまだ認めていなんだからね!!」


「何を?」


 怜奈が腕を組んで答える。


「あんな女が一緒にここで暮らすってことよ!!」


(怜奈……)


 その顔は真剣。今の彼女にどんなことを言っても無駄のようだ。



 ふたりが会話をするその少し前。久しぶりに足の延ばせるベッドで眠りについた詩音が目を覚ました。



「う~ん……」


 柔らかいベッドで全身を伸ばす詩音。ここ数日続いていたネットカフェでの宿泊を考えるとまさにここは極楽。だけど同時に思い出されるライムへの借り、そして三上怜奈という女の子の冷たい視線。詩音が天井を見つめながら思う。


(早くお金を何とかしてここを出なきゃ。でもしばらくは無理か……)


 山のように積もった借金。毎日返済を求める電話やメールが来る中、とても新しい部屋を自分で借りること等できやしない。詩音がベッドから起き上がり、鏡に映る自分を見て言う。



「何があってもしばらくはここに居させて貰おう。頑張れ、自分!!」


 そう言って簡単に身支度をしてキッチンへと歩き出す。



『……私は認めてないんだからね!! あんな女がここで暮らすこと!!』


 キッチンのドアノブに触れようとした詩音の耳に、中でそう叫ぶ怜奈の声が響いた。固まる体。一瞬目から熱いものが溢れ出そうになったのを必死に耐え、無理やり笑顔を作ってドアを開ける。



「おはようございます!!」


 元気に、全てを吹き飛ばすために気丈に振舞う。ライムが言う。


「おう、おはよ。詩音」


「はい、ライムさん。あっ、怜奈さん、おはようございます」


 社会人の詩音がずっと若い中学生の怜奈に深く頭を下げて挨拶をする。怜奈はわざとフライパンの音を立て、それが聞こえないようなふりをして料理を続ける。



「怜奈~」


 ライムがやや困った顔でそう言うと、怜奈は焼いたばかりの目玉焼きをテーブルの上の皿に乗せていく。


「さ、食べるわよ!!」


 不満そうな表情ながらテーブルの上には三人分の朝食。ライムはそれを見てにっこり笑って怜奈に言う。


「怜奈。お前、本当に可愛いやつだな」


「は、はあ!? な、なに言ってるの!? 訳わかんない!!」


 そう言いながらも縛っていた髪のリボンを解き、それで赤くなった顔を隠す。



「怜奈さん、ライムさん」


 そんなふたりに詩音が改まった表情で言う。


「私、昨晩も話しましたけど本当に住む所が無くて、こうしてここに泊めて頂けて心から感謝しています」


 今はこの女の子が一体誰なのか、そしてライムとどう言う関係なのかも分からない。ただ邪魔にならぬようじっと耐えなきゃならない。


「詩音、いいってそれは……」


 そう言うライムを手で制して詩音が言う。


「でも、できる限り早くここから出て行きます。すぐには無理だけど、できるだけ早く」


「詩音、そんな悲しいこと言うなよ。好きなだけ居ればいいだろ? な、怜奈。それでいいだろ?」


 黙って詩音の言葉を聞く怜奈。無言で椅子に座って答える。


「料理が冷めてしまうわ。早く食べましょう」


「あ、ああ……」


 頑なに返事をしない怜奈。三人はやや重い空気の中朝食を終え、怜奈が先に学校へと出て行った。






(私、最悪じゃん!!!)


 怜奈は学校へ向かう電車の中で、ひとり自己嫌悪に陥っていた。


(詩音さんは困ってる。それでも気丈に振舞ってくれてる。そんな優しい人だからライムだって……)


 怜奈は自分の子供みたいな対応を思い出し、恥ずかしさと悔しさで涙が出そうになった。それにそもそも彼女はライムの一体何なのか。彼女なのかただの友達なのか。怒ってばかりで大事なことすら聞けていない。



(でも私にどうすればいいって言うのよ!!)


 味方だと思っていた祖母の絹子までライムの側に着く。我儘な振る舞いがどんどん自分を孤立させていく。

 電車を降り学校までの通学路を歩く怜奈。ため息と共に、何をやっても上手く行かないと思った怜奈の前に黒塗りの高級車が止まった。



「怜奈様」


 車の中から黒のスーツにサングラスをかけた凛とした男が降りて来て、怜奈に声を掛けた。怜奈がつまらなそうな顔で言う。


「何しに来たの? 黒沢」


 黒沢と呼ばれた男は軽く会釈をして怜奈に言う。



「旦那様がご心配しております。自宅へ帰りましょう」


 怜奈が冷たい視線を黒沢に向けながら答える。


「お父様に伝えて。私はお父様の玩具じゃないの。私は私のやりたいようにやるの。いい? ちゃんと伝えてよね!!」


 そう大きな声で言うと怜奈はカツカツと学校へと歩き出す。困った表情を浮かべる黒沢。小さくため息をして車に乗り込むと、すぐにスマホを取り出し電話を掛けた。



「旦那様。……はい、はい。申し訳ございません」


 相手は怜奈の父親で三上グループをまとめる三上喜一郎。多忙だが、ひとり娘の怜奈に期待しその自由を奪ってまで様々な習い事などを強制して来た。黒沢がやや驚いた顔で答える。


「え、そのような強硬手段を……、はい、はい、分かりました」


 静かにスマホを置く黒沢。その表情ははっきりと困惑していた。






「あ、あの、ありがとうございます……」


 怜奈が出て行ったキッチンに残された詩音とライム。朝の支度を終えた詩音がライムに向かって小さく頭を下げて言う。


「ん? 何のこと?」


 首を傾げるライムに詩音が目線を逸らしながら言う。


「な、何って、ここに呼んでくれたことよ……」


 ライムが子供のような顔をして答える。


「いいってことよ。ずっと居てもいいんだぜ」



 ――お前を愛してる


 ライムの顔を見るたびに思い出されるあの言葉。詩音が目を合わせないように玄関で靴を履き言う。



「い、行ってきます」


「いってらっしゃ~い」


「……」


 詩音は無言で会釈し、ドアを開け外に出る。



 バタン……


 ドアを閉めふうと小さく息を吐き、やや上を見て思う。



(私、どうしてこんなに喜んでいるのかしら……)


 単純に住む場所が確保できたからではない。それ以外の何かが詩音を高揚させている。



「さ、仕事仕事!!」


 詩音は自分にそう言い聞かせながらタワマンのエレベーターへと向かった。

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