17.「お前を愛してる」
(あ、朝だ……)
詩音は薄暗いネットカフェの個室で目を覚ました。窓のない部屋。スマホの時計だけが時刻を告げる。
(お腹減ったけど、我慢……)
詩音は無料の水を口にし、トイレで顔を洗ってから個室で仕事着に着替える。ここ数日続く一連の流れ。フロントで利用代金を清算し会社へ向かう。
「詩音さん、少し体調が悪いように見えますが、大丈夫ですか」
会社の机で仕事をしていた詩音に上司であるウラドが声を掛ける。銀色の髪に手をやりながら心配そうな顔をする。
「え? あっ、だ、大丈夫です。元気ですから!」
そう言って無理やり笑顔を作る詩音だが、明らかにやつれた顔の表情は何とも痛々しい。ウラドが思う。
(ああ、なんて美味そうなんだ……、不幸が全身から溢れ出している。早く、早くこいつを絶望のどん底まで落として、その美味たる血を啜りたい……)
ウラドにとっては詩音が不幸になればなるほどその血の美味しさは増す。特級薄幸女子の詩音。放って置いてもどんどん不幸になるのだが死ぬことだけは避けなければならない。
「何かあれば僕に相談してください。力になれるはずだから」
「はい。ありがとうございます……」
そう答えるも、まさか借金に困っているとは言えない。笑顔で去り行くウラドに、目の下にクマを作った詩音が小さく会釈して応える。周りの女子社員達の視線を感じながら詩音は再びPCに向かった。
(すごい量……、いつもより増えている……)
仕事が終わりスマホを確認した詩音。そこには不在着信と借金返済を求めるメールの山が築かれていた。
「はあ……」
詩音がスマホを鞄に片付ける。もうどこにどれだけ借りたのかも分からない状況。財布の中には小学生の小遣い程度のお金しかない。
(もうネカフェも無理か。今夜から野宿……)
ついに完全に行き場をなくした詩音。スーパーで賞味期限ぎりぎりの特売のパンを買い、そのままふらふらと夜の公園へと歩く。
繁華街から少し離れた公園。明りは多少あるがごみが散らかり雰囲気は良くない。詩音は公園のベンチに座り空を見上げる。
「雨、降りそうだな……」
真っ暗な夜空は曇天。冬でなくてまだ良かったが、雨が降ってきたら服も汚れてしまう。
――お前を愛してる
(え?)
そんな詩音の頭に突然金髪の男が言った言葉が蘇る。お姫様抱っこをされて言われた想像もしていなかった言葉。だがあの時の顔はふざけているようには見えない。
(一体どういうつもりなのよ。あんな言葉を平然と……)
ストーカーで変質者の男。冗談なのか本気なのか分からない行動。だけど数日会わない間不思議と彼のことばかり考えている。
(雨……)
詩音は手のひらの上にぽつりと落ちて来た水の雫を見て静かに俯いた。
「おい、今日の獲物、あれでいいじゃね?」
そんな公園でひとり座る詩音を少し離れた場所から見つめる三名の男。茶髪にチャラい服装。若くて綺麗な女を見つけては暴行を加える常習犯。手にはナイフにショックガン。脅して力づくで女を襲うのが彼らのやり口だ。他の男が言う。
「ほお、美人だねえ~、何か思い詰めてるんか? 失恋とか?」
「じゃあ、俺達で慰めてやろうぜ。くくくっ……」
三人の中でも一番図体の大きな男。下半身の本能だけで生きているような男。そんな彼らに後ろから声が掛けられる。
「ねえさあ~、あの子、俺の彼女なの。意味分かんないこと言わないでくれる??」
「はぁ?」
突然三名の後ろで響く軽い声。降り出した雨。振り向いた三人の目に、傘を差したチャラそうな金髪の男が映る。一番図体の大きな男が言う。
「何だ、てめえ!?」
低くドスの利いた声。女を殴り、押さえつける役割の男。金髪の男が答える。
「俺? 天使だけど」
「クソっ、舐めてんのか!!!」
振り上げられる男の拳。金髪の男は二本の指を立て、軽く空を斬りながら言う。
「……
男達は気が付くと頭に重い痛みに襲われた。
「ぎゃっ!!」
そして蘇る圧倒的な畏怖すべき存在。抗ってはいけない者に反抗しようとした後悔。雨の降る中、男達は恐怖に震えながら走り去っていった。傘をしたまま金髪の男が言う。
「ほんと詩音ちゃんは放って置くとすぐに絡まれるんだから」
そう言って公園のベンチを見つめるもすでに詩音の姿はない。雨が降って来て移動したのだろうか。金髪の男、ライムが首を傾げる。
(私、もう……)
詩音は公園のドーム状になった遊具の中で、ひとり腰を下ろしながら必死に涙を堪えていた。スマホには止まることのない着信音。傘もなく、空腹と恐怖に襲われながらひとり身を震わす。
(もう、私なんてこの世に必要ないのかな……)
耳に響く雨の音。暗く、誰もいないこの狭い空間で詩音の思考はどんどんと闇へと落ちて行く。
――お前を愛してる
再び脳裏に響く金髪の男の声。我慢していた涙が頬を流れる。
(愛してるなら、愛してるなら早く迎えに……)
「詩音」
(え?)
涙で溢れた詩音の目にドーム状の遊具の外で、腰を下ろし手を差し出す金髪の男の姿が映る。詩音が言う。
「ライム、さん……」
感情が溢れ出すのを必死に耐える詩音。ライムが言う。
「本当に詩音ちゃんは少し放って置くとすぐこんなんになっちゃうんだから」
無言の詩音。まだ既の所で感情は崩壊していない。ライムが言う。
「さ、うちに来いよ」
そう言ってライムは詩音の手を強く掴み自分の方へと引寄せる。詩音の体の力が一瞬で抜けた。
「うっ、ううっ、うわーーーん!!!」
体の中で何かが切れた。引っ張られた勢いでそのままライムに抱き着く。ライムが詩音の髪を撫でながら言う。
「俺はお前を幸せにするって言ったろ? 天使の俺が神に誓ったんだぜ」
「うっ、ううっ……」
ライムの腕の中で信じられないぐらい心地良くなっていく詩音。ストーカーで変質者。そんな彼に少しだけ甘えることを許した彼女の中に、特別な感情があることはもう疑いはない。ライムが傘を手に立ち上がりながら言う。
「立てるか?」
「はい……」
ライムに手を取られ立ち上がる詩音。その彼に抱かれるように寄り添う。ライムが苦笑いして言う。
「傘ひとつしかないけど、いい?」
「うん……」
抱き寄せるライムの手に応えるように、彼女もライムの腰に手を回す。黙って歩き出すふたり。傘に雨が当たる男だけがふたりを包む。ライムが思った。
(そうか、ようやく分かった)
ライムが
「と言う訳で怜奈。今日から一緒に暮らす詩音だ。仲良くしてくれ」
「は、はあああ!!??」
都会の一等地にあるタワマン。その最上階の部屋に連れて来られた詩音は、もうそれだけで頭がパンクしそうになっていた。
(ラ、ライムさんってお金持ちなの!?)
見上げることしかなかったタワマン。まさか彼がその住人だったとは。ホストとはそんなに儲かる仕事なのかと思っていた詩音に、さらに驚くべき事実が伝えられる。
「こいつは怜奈。訳あって一緒に暮らしてる。あまり気にしなくていいから」
「へ?」
どう見ても中学生ぐらいの女の子。一緒に暮らしているとは一体どう言うことか。怜奈が詩音を指差して尋ねる。
「ライム、い、一体誰なの!? このおばさん!!」
「お、おば……」
空腹と疲れ。目まぐるしく変わる展開にとどめの言葉。倒れそうになる詩音を抱きながらライムが言う。
「こら、怜奈。そんな言い方は失礼じゃ……」
「もお、やだぁ……」
玄関に座り込んで泣き出す怜奈。さすがのライムのこの状況にはお手上げとなった。
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