11.朋絵とその彼氏
コンコン……
詩音はアパートの階段を上がり、友人の
詩音が後ろに立つライムに目をやる。彼女にメールで呼ばれて来たのだが、この男まで連れてきてしまった良かったのだろうか。そう考えているアパートのドアが静かに開けられた。
「いらっしゃい」
「こんばんは」
挨拶をしながら朋絵の視線が詩音の後ろに立つ金髪の男に向けられる。慌てて詩音が言う。
「あ、あの、こちらちょっとした知り合いの人で、なんか付いて来ちゃって……」
我ながら何といういい加減な紹介。朋絵が目をぱちぱちさせながら挨拶する。
「あ、あの、初めまして。牧真朋絵と言います」
ライムが玄関の縁に手をつき朋絵にぐっと近付いて言う。
「ライム・ミカエルだ。よろしく、朋絵」
「は、はい……」
じっと上から見つめられた朋絵が恥ずかしくなって下を向く。
黒髪に眼鏡の朋絵。地味な性格で男慣れしていない彼女にとってライムはある意味劇薬。顔を赤くして戸惑う朋絵を見た詩音が、ライムに肘鉄を食らわして言う。
ドフッ!!
「ぎゃっ!!」
「どうしてそうやって女と見ると直ぐに色目を使うんですか!! 自重しなさい、自重っ!!」
「ち、違うって……」
色目と言うかもはや癖。女とあれば無意識に自然と体が動いてしまう。朋絵が部屋の中へと手をやって言う。
「あ、あの、入って」
「うん。ごめんね」
詩音が軽く頭を下げて部屋の中へと入る。ライムもそれに続き部屋に上がる。
小さなアパートだが六畳ほどの部屋がふたつにキッチン、トイレとバスは別々の作りとなっている。詩音が部屋の絨毯の上に座り朋絵に尋ねる。
「それで急にどうしたの?」
今日は彼女に呼ばれてここに来た。朋絵が答える。
「うん。前にさ、私がもうすぐ結婚するって話したよね」
「うん」
朋絵も床に座って話を続ける。
「その彼がさ、私が少しだけ友達と一緒に暮らすって言ったら会いたいって言いだして……」
「会いたい? 私に??」
詩音が自分を指差して尋ねる。
「うん」
「なんで?」
「分かんない」
黙る詩音。その視線は彼女の足に付いた青あざに移る。一方のライムは部屋の隅の壁にもたれながら気を集中させていた。
(いないな……、微かに残り香は感じるのだが……)
呪魔の存在が感じられない。確実にいる、いや、いた痕跡はある。朋絵が言う。
「もうすぐ来るから。ちょっと待ってて。ねえ、それより彼は一体何なの? 彼氏??」
ちらりとライムを見ながら小声で尋ねる朋絵。詩音が小さくため息をつきながら答える。
「全然違うよ。彼は変質者でストーカー。付きまとわれてるの」
「はあ?」
朋絵が首を傾げる。
「何言ってるの? じゃあ、どうしてそんな人と一緒に来るの?」
「それは……、無理矢理と言うか……」
朋絵がライムを見ながら小声で言う。
「超イケメンじゃん。あれだったらストーカーされたい女子は山ほどいるわよ」
「で、でも……」
まさかそのイケメンから『君を幸せにしたい』と言われていることなど言えない。
「女慣れしている感はあるけどビジュアルだけなら文句なしでしょ?」
「べ、別にそういう訳じゃ……」
「仕事は何してるの?」
「え? ホスト……」
朋絵が手を顔に当てて言う。
「うわ~、そのまんまじゃん。詩音って私と同じで大人しい女の子だと思っていたけど、やることはやってるんだね」
詩音が慌てて否定する。
「違うって。全然違うって!!」
「いいよ、無理しなくても」
そう答える朋絵はライムをちらりと見ながらうっとりした表情となる。
「なんか俺の話していたんか?」
ライムがポケットに手を入れながらやって来る。詩音が首を振って言う。
「してないわよ!」
朋絵が答える。
「していましたよ。ライムさんって、詩音の彼氏なんですか?」
それを聞いた詩音の目が大きく広がる。ライムが言う。
「そうだよ」
「はあ? な、何を言ってるんですか!!」
詩音が立ち上がってライムに言う。
「何って、言ったろ? 俺はお前を幸せにするって」
「うわ~、もうプロポーズじゃん……」
想定外の展開に朋絵が両手で顔を押さえて言う。同じく真っ赤になった詩音が目をきょろきょろさせながら答える。
「ち、違うって!! そんなの違うって……」
そう言いながらもなぜか足の力が抜け、その場にへなへなと座り込む詩音。ライムが言う。
「お前を幸せにするために俺はここに来た。これは神に誓って言うぜ」
「カッコいい~」
ふたりにはそう話すライムが光り輝くように見えた。心の奥まで響く心地良い声。不思議な感覚。どれだけ荒唐無稽な言葉であろうとも今の彼は全てを肯定させるだけの何かがあった。
(神に誓うか……)
天使であるライムにとってその『神』という言葉は、強い覚悟の必要な言葉であった。生半可な気持ちでは口にできない。その強い覚悟が人間のふたりには輝いて見えた。
コンコン!!!
そこへアパートのドアを強く叩く音が響く。朋絵が立ち上がって言う。
「来たわ。
朋絵は玄関へ行きドアを開ける。そこに現れたのは銀縁眼鏡の長身で、髪を七三に分けた気真面目そうな男。黒のスーツに皮の鞄。部屋の中を見てから眼鏡に手をやり朋絵に言う。
「なあ、朋絵。私はお前と住む女性を呼べと言ったんだぞ? 誰だ、あの男は?」
明らかに不満そうな顔でライムを見つめる康太。同じ長身ながらも全くタイプが異なるふたり。朋絵が慌てて言う。
「か、彼は詩音の知り合いなの。偶然今日一緒に居て……」
康太は鞄を床に置くとライムをじっと睨んで言う。
「僕は今日、朋絵と一緒に暮らす友人を見に来たんだ。どんな人なのかも分からないからね。だけどなぜ男の君がいる? どうしてこの部屋に上がっているんだ?」
「康太さん、ごめんなさい!! それは私が……」
「黙れっ!!」
(!!)
急に大声を上げる康太。その声に朋絵がびくっと体を震わす。康太が言う。
「僕はこの男に聞いてるんだ。お前は黙ってろ」
「ごめんなさい……」
一方的なやり取りに詩音の目が点になる。対するライムはずっと腕を組んだまま辺りを見つめ小さく言う。
「なるほど。そこだったか……」
「君は一体何を……」
そう尋ね返す康太の目に、小さく前に出されたライムの指が映る。
「
小さく空を斬るライムの指。
同時に彼の周りに光る波が現れ、円を掻きながらどんどん外へと広がって行く。止まる時間。静寂。仁王立ちしたライムが固まって動かない康太に向かって言う。
「出て来いよ、ザコ」
「グギッ……」
固まった康太の後ろから現れる小さな呪魔。ライムが言う。
「
人の心をコントロールする呪魔。だがその力は弱く下級以下のレベルである。
ライムは
「
(!?)
ライムに触れられた康太の時間が動き始める。
「な、なんだ、これは……!?」
静寂。自分以外の止まった時間。
動揺する康太の目に、銀色の翼を広げ輝く人物が映る。
(あ、あぁ……)
康太は自然と正座をし、頭を床に付けていた。天使の力。神の言葉を告げる天使は、一介の人間にとっては文字通り雲の上の存在。深くDNAに刻まれた畏怖が自然と康太の体を震わせる。ライムが言う。
「汝、その女に何をした?」
ライムの視線は固まって動かない朋絵。その足や脇には青あざ。最初から見抜いていた。DVがあったと。康太が頭を床に擦り付けて言う。
「も、申し訳ございません!! つい、カッとなって……」
ドオオン!!!!
「ひい!?」
何かが康太の体を通過した。
尊くて、恐ろしい何か。ライムが言う。
「猛省せよ。女性に手を上げることなど、この俺が許さん」
「はい……」
康太が震えながら答える。ライムが言う。
「生まれ変われ。よいな?」
「は、はい!」
康太は初めて顔を上げその天使の尊顔を拝む。後光ではっきり見えなかったがそれは優しく温かいものであった。康太が再び頭を床に付ける。
「
翼を収めたライムが天域を解除する。
一瞬にして動き出す時間。朋絵がなぜか床で土下座をしている康太を見て驚いた顔で言う。
「康太、さん……?」
顔を上げた康太が目に涙をためて言う。
「朋絵……」
「きゃっ!?」
泣きながら朋絵を抱きしめる康太。そして声を殺して言う。
「ごめんごめん、朋絵。お前をもっと大事にする。約束する……」
「康太さん……」
朋絵もそれに抱き返して応える。ライムが詩音に言う。
「さ、帰ろっか。邪魔しちゃ悪いよ」
「え、ええ。そうね……」
詩音も涙を流して抱き合うふたりを見てそっと立ち上がり、ライムと共に部屋を出た。
「どうしちゃったのかな急に」
暗い夜道。駅までの道をライムと歩きながら詩音が言う。
「さあね」
「う~ん、よく分からなけど、なんか幸せそうだったからいいか」
「そうだな」
そう答えるライムに詩音が言う。
「それよりライムさん、いつから私の『彼氏』になったんですか!?」
「え? ダメなの?」
詩音が顔を赤くして答える。
「ダ、ダメとかそう言う問題じゃなくて、それはちゃんとお互い認め合って……」
ライムが詩音の顔にググッと近付いて言う。
「ぐだぐた言わずに俺の女になれ、詩音」
パアアアンン!!!
詩音渾身の平手打ち。今度は激怒で顔を赤くした詩音が言う。
「いい加減にしてください!! ふざけないで!!」
そう言ってひとり駅へと歩き出す。
ライムは殴られた頬を手で押さえながら苦笑して彼女を追いかける。
詩音の引っ越し。
それが意外な出来事を巻き起こすとはまだふたりは知らなかった。
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