6.ライム、無意識に口説く。
「るんるるんるん~」
翌朝、鼻歌を歌いながらキッチンで朝食を作っていた三上怜奈は、後ろでドアの開く音に気付いて振り向いた。
「あ、ライム。おは……」
「よお、おはよ」
「ぎゃあああ!!!」
眠そうな顔をしてやって来たライム。その姿は腰に白い布を巻きつけただけのほぼ全裸。中学二年の怜奈にとっては刺激的過ぎる姿だった。怜奈が持っていたリンゴをライムに投げつける。それをひょいと手で掴んだライムが尋ねる。
「何騒いでるんだよ、朝から」
「な、な、何って、あなた、なんて格好してるのよ!! 服、着なさい!!」
「ん? ああ、悪い……」
ライムは頭をぼりぼり掻きながら部屋へと戻って行く。脱力した怜奈が小さく言う。
「な、何なのよ。もぉ……」
目にしっかりと焼き付いたライムの裸体。怜奈は真っ赤になった顔を手でぱたぱたと仰ぎながら再び朝食を作り始める。
ピンポーン
そこへ響くインターフォンの音。怜奈が手を止めてその対応をする。
「あ、おばあちゃん!!」
モニターに映った祖母絹子の顔を見て怜奈が嬉しそうな顔をする。
『おばあちゃんじゃないでしょ!! どうして勝手に居るの??』
「てへ~」
怜奈が舌を出してにっこり笑う。『鉄仮面』と呼ばれ財界に大きな影響力を持つ三上絹子も、孫娘にはめっぽう弱い。怜奈がドアの解錠ボタンを押して言う。
「さ、おばあちゃん来て」
『ああ、今から行くよ』
怜奈は昨晩、メールで絹子にライムが来たことを告げていた。早朝それを見た絹子が怜奈に朝訪れる旨の返事をし、今やって来たわけだ。
「おばあちゃん!!」
「おばあちゃんじゃないでしょ~」
勝手にタワマンを使われていた絹子。叱るつもりで来たのだが笑顔で抱き着く孫娘を見て自然とその顔も緩む。絹子が尋ねる。
「ライムも来ているんでしょ?」
「来たよ。びっくりしたんだから!!」
絹子をキッチンへ案内しながら怜奈が答える。そこへ服を着たライムが現れる。
「あれ、絹子じゃねえか。来てたんか?」
怜奈がライムの言葉を聞いて大きな声で言う。
「ちょっとあなた!! おばあちゃんに対して失礼でしょ!! おばあちゃんが誰だか知ってるの!!」
真面目に怒る怜奈にライムが答える。
「知ってるさ。お前の祖母だろ?」
「違うって!! そう言う意味じゃ……」
そこまで言った怜奈の顎を人差し指で軽く上げ、ライムが言う。
「俺の前じゃ誰だってひとりの女。怜奈、お前だって女なんだぜ」
(!!)
顔を近づけてそう囁くライムの前に思わず腰の力が抜けていく怜奈。それを見ていた絹子がくすくす笑いながら怜奈に言う。
「いいのよ、玲ちゃん。彼はこういう人なの。だから私も気に入ってるのよ」
「こ、こんなふざけた奴……」
そう言いながら顔を真っ赤にしてよろよろと立ち上がる怜奈。まだ十四歳の彼女にとって、大人の女も虜にするライムの魅力は強烈すぎる。ライムが怜奈が作っていた朝食を見て少し驚いた顔で言う。
「あれ? まさか俺の分まで作ってくれてたのか?」
怜奈が顔を少し背けながらぼそっと言う。
「そ、そうよ。文句あるの? 嫌なら無理して食べなくても……」
「めっちゃ美味そうじゃん!!」
(え?)
怜奈が焼く目玉焼きを見て、まるで子供のような顔をして喜ぶライム。先程までの大人の魅力とまるで違う無邪気な笑顔。怜奈はガラにもなくフライパンを持つ手に汗が溢れ、どきどきと変な緊張で体が強張る。
絹子がそんな怜奈とライムを見て穏やかな顔で微笑む。
(私を、ただの女として扱ってくれる男なんて
三上義武。絹子の夫で、三上グループ先代社長。すでに他界しているが女好きで、名家のお嬢さんであった絹子に対しても臆することなく真正面から口説いて来た。だが義武と結婚して死別し、ひとりになってその地位が上がるにつれ『総裁三上絹子』というフィルター越しで皆が接してくるようになった。
つまらない日々。変化のない毎日。刺激を求めてホストクラブヘ行くようになったが暇つぶしにしかならなかった。だがそこでライムに出会った。
『お前が来い、絹子。一緒に飲んでやる』
脳天を勝ち割られるような衝撃が走った。圧倒的な魅力。男としての自信。何者にも屈さない瞳。すべてが新鮮だった。まるで夫の義武の再来かと思えた。数十年ぶりに絹子はときめいてしまった。ただの女として。
「おばあちゃん。食べるよ」
「え? ああ、そうね。頂こうかしら」
テーブルに用意された三人分の朝食。ライムに怜奈、絹子が座って手を合わせ食べ始める。
「美味いぞ、怜奈!! こりゃいい!!」
そう言ってばくばく食べるライム。ふたりはそれを微笑ましく見つめる。絹子が言う。
「ところで怜ちゃん。あなたずっとここに住むつもり?」
「そうよ。ダメ?」
父親と仲が悪いことは知っている。少し考えた絹子が言う。
「ダメじゃないけど、ここはライムに貸しちゃったんで一緒に暮らすの?」
「うーん、そうだね。ほとぼり冷めたら家に帰ろうかな」
ライムとて男。ひとつ屋根の下で暮らすのはやはり抵抗がある。
「俺は構わねえぞ」
「あんたが言ってどうするんだい」
絹子が苦笑して言う。怜奈が尋ねる。
「そう言えばライムって仕事何してんの? 行かなくていいの?」
時計は既に朝の八時過ぎ。それを見たライムが答える。
「ああ、俺ホストだから」
「ああ、そうか。って言うより、もっとちゃんと働きなさいよ」
「いやいや、ちゃんと働いてるだろ」
十四歳の怜奈にはホストという職業は『ちゃんと』していないらしい。朝食を食べ終えたライムが出掛けながら言う。
「じゃあな、俺出掛けて来るから」
「あ、うん。気を付けてね」
それを見送る怜奈。たった一晩で既に妻の様になってしまった怜奈を見て絹子は思わず苦笑した。
(どうしよう、本当にどうしよう……)
マナーモードにしているが消費者金融からの電話が何度も掛かって来ている。留守電には支払いが滞っている旨の伝言。借金を借金で埋めると言う悪循環。家賃や食費を抜くと給料を全てつぎ込んでも足らない。
「家賃……」
部屋を解約すれば時間は掛かるが借金返済も可能になる。だが住む場所を失う。
(友達の家にでも行けばいいか……)
数少ない友達。そこに転がり込めばこの借金地獄から抜け出せる道が開ける。そう思った詩音がひとり立ち上がる。
「あ、痛たたたっ……」
立ち上がった詩音がすぐに屈んで、右足首を手で押さえた。昨日階段を踏み外し、転んでしまった際に痛めたものだ。ひとつ間違えば大怪我。この程度で済んで良かったと思う。再び立ち上がった詩音が言う。
「部屋の解約、しなきゃ……」
追い詰められた人間というのは冷静な判断ができない。
土曜の朝。詩音はひとり外へ出かけると、駅前の不動産屋へと向かった。
(足が痛いな……)
部屋の解約が終わり、商業ビルが立ち並ぶ駅前を歩く詩音。住む場所は失ってしまうが、借金から逃れる光明が少し見えたことで自然と足取りは軽くなっていた。
そしてそれは起こった。
「あっ、危ない!!!!」
改修工事をしていたとある商業ビル。その前に差し掛かった詩音の頭上で大きな声が響いた。
「え?」
空を見上げる詩音。気付けは自分目がけてコンクリートの塊が落ちて来ていた。
(ダメ……)
詩音は動けなかった。恐怖。一瞬の出来事。時が止まったかのように上を見上げたまま動けない。
ドン!!!
「きゃっ!!」
詩音は横から受けた強い衝撃と共に体を吹き飛ばされた。道路の隅で倒れる詩音と金髪の男。恐怖で呼吸すらできなかった詩音の頭がその状況を理解し始める。
「だ、大丈夫ですかっ!!??」
自分の横で頭から血を流して倒れる金髪の男。変質者と罵って来たライムが横たわる姿を見て詩音は悲鳴に近い声を上げた。
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