2.不幸な女の子
「あの、これ落ちましたけど……」
社会人二年目の詩音。会社帰り、駅前からアパートへ帰る道で、詩音は前を歩く男性からハンカチが落ちたことに気付き声を掛けた。腰をかがめてハンカチを拾い男性に手渡す詩音。彼女は心の澄んだとても優しい女性であった。
「あ、これはどうも。ありがとうございます」
スーツ姿の男性は笑顔でそう答えて頭を下げた。
(素敵な方……)
きちんと整えられた髪。真面目そうな眼鏡。醸し出される柔らかなオーラ。詩音は彼の笑顔を見てどきっとした。男性が言う。
「あの、よろしければお礼をさせてくれませんか」
「え? お礼?」
きょとんとする詩音。そんな彼女を微笑みながら男はお礼の為に詩音を食事に誘った。
「えー、本当ですか??」
楽しかった。不幸なことばかり続いていた詩音にとって真面目な彼との食事は戸惑いながらも楽しいと思えた。その後、男と連絡先を交換し何度か食事を重ねる。
(本当に素敵な人……)
会えば会うほど彼の真面目さに惹かれ、詩音は自分が思っている以上に好意を抱いていることに気付いた。はっきり言わないが彼は詩音との結婚をほのめかし、更には将来の夢を語ってくれた。
まったく体には触れてもくれないシャイな彼だったが、何度も食事を重ね詩音はこれまでの不幸が嘘のように幸せな日々を送っていた。
そんなある日、彼から相談があると言って喫茶店に呼ばれた。
「詩音、実はお願いがあるんだ……」
男は真剣な顔をして自分の夢である『独立』を語り始めた。今務めている会社を辞めて独立したい。やれる自信がある。だがそれに伴う資本が足らないと。詩音が恐る恐る尋ねる。
「幾ら必要なんですか」
「うん、ざっとね……」
それは詩音の想像以上の金額であった。会社設立にはお金が掛かる。だけど必ず成功するからそうなったら間違いなく返せる。
詩音は悩んだ。とてもそんな金額はない。社会人になってから将来の為にコツコツ溜めた貯金が幾らかあるが、どうすればいいのか。悩む詩音に男は彼女の手を握り言った。
「会社が軌道に乗れば社長夫人になって欲しい」
この言葉で決意した。
幸せなんて望んではいけないと思っていた自分がこんな素敵な人と一緒になれる。社長夫人はどうでも良かったが、彼と一緒になれることが詩音を盲目にした。
「少ないですけど、使ってください」
後日詩音は全貯金と、消費者金融で借りたお金を添えて彼に渡した。彼は涙を流して喜び初めて抱きしめてくれた。
(将来の為に貯めたお金。だったらこれは意義ある使い方だわ……)
頼るものがない詩音。唯一の心の拠り所であった貯金がなくなった。だが手に入れたものは大きい。だから大丈夫。この時はそう思っていた。
「……電話がつながらない」
彼と連絡が取れなくなるのに時間は掛からなかった。電話は番号が使われていなくなり、聞いていた住所には建物すらなかった。
待った。彼と初めて会った駅からの帰り道で毎日彼が現れるのを待ち続けた。きっと仕事が忙しくて時間がないのだと自分に言い聞かせた。だがどれだけ時が過ぎようが彼と会うことはなかった。
(私、騙されたんだ……)
ようやくその事実に気付いた詩音は、もはや生きる気力を失っていた。会社ではミスを重ね、アパートに帰って来ても何も喉を通らない。
(ここから落ちれば楽になる……)
気付いた時は夜の歩道橋の上にいた。
靴も履いていない。どうやって来たのか覚えもない。まるで幽霊のような真っ白いワンピースを着てひとり生気のない女が立つ。
無意識に死を覚悟した彼女の前に、イケメンだがチャラそうな男が現れて言う。
「お前の守護天使になってやるぜ!!」
訳が分からない。自分の不幸もここまで来たかと思った詩音は、突然めくられたスカートを見て我に返る。男を平手打ちした後、気付いたらアパートの部屋に居た。
「あんな変質者に遭うなんてほんとついてない!!」
そう苛つきながら冷蔵庫にあった食べ物、そして棚にあるインスタント食品をガツガツ食べた。急にお腹が減って無我夢中で食べた。食べたらすっきりした。そして底なし沼に落ちるように眠りにつく。
深い夢の中。彼女の中の『死にたい』という気持ちは、いつの間にかに消えていた。
(辛いけど、仕事には行かなきゃ……)
翌日再び会社に向かった詩音。すべてを捨てるつもりでいた彼女にとってどうして再び会社に向かう気力があったのか分からないが、消費者金融の借金を返済しなければならないのでやはり這ってでも行かなければならない。
「はあ……」
電車に乗ってもため息しか出ない。何の為に生きているのか。どうして生まれて来たのか。こんなに不幸なのに生きる意味はあるのか。答えのない問答をひとりで行い、改札を出て会社へと歩く。
「お姉さ~ん。これどうぞ!」
「あ、はい」
駅前で手渡されたティッシュ。詩音が目をやるとそこには『短期間で稼げる!!』との文字。立ち止まってその文字を見つめる詩音に、ティッシュを配っていた男が声を掛ける。
「お姉さん、これ興味あるの?」
「え? あ、いやその……」
素直な性格の詩音。すぐに断ることができない。男が詩音の体をじろじろ見てから言う。
「ほんのちょ~っとの時間ですっごく稼げるんだよ。どお? 興味ある?」
じっとティッシュを見ていた詩音が尋ねる。
「どんなお仕事ですか?」
男が笑顔で答える。
「うん、そうだね~、お店に座ってお客さんと一緒にお酒を飲むの。仕事帰りの空いた時間だけでも稼ぎは凄いよ~」
「……」
正直怖い。だけどそんな短時間でたくさん稼げると言うのが本当ならば助かる。無言で悩む詩音の腕を男が掴み半ば強引に歩き出す。
「ちょっとそこで話をしようか。おいで」
「え? い、いやでも仕事が……」
「大丈夫。少し話をするだけだからね」
そう言って男は近くに止めてあった黒くて大きなミニバンに詩音を乗せる。
(え?)
車内に入った詩音はすぐにその異変を感じた。
「だ、誰なんですか……、この人達……」
車内にはサングラスをかけたガタイのいい男が数名。不敵な笑みを浮かべて詩音を見つめる。男が言う。
「ちょ~っと撮影に協力して貰えれば、これあげるよ」
そう言って持っていた茶封筒を詩音に押し付ける。詩音は後悔した。逃げたい。こんなの嫌だ。
「か、帰ります!! ドア開けてください!!」
詩音の手を男が掴んで言う。
「それ、受け取ったんでしょ? もう拒否権はないよ~。じゃあ、始めようか」
「い、嫌……」
詩音は男達に囲まれ身体が震える。恐怖に押し潰され声も出ない。涙が溢れた。助けて欲しい。誰か助けて。
コンコン……
不意に外から誰かが車のボディを叩いた。男達が顔を合わせ小さく首を傾げる。そのうちのひとりが窓を少しだけ開けて外にいた男に言う。
「何だてめえ?」
それに外に居た金髪のチャラそうな男が答える。
「いやー、俺、中の女の子に用事があって」
「消えろっ、死にてえのか!?」
ドスの利いた低い声。詩音は一瞬びくっとするが、金髪の男は怯むことなく笑顔で言う。
「俺、彼女の守護天使なんですよ~、返してもらえます??」
詩音はようやく少し開いた窓から見えた金髪の男に気付いた。
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