第2話

   

 数ヶ月後。

 ニューヨーク支社へ転勤して以来、つまり単身赴任の海外生活を始めて以来、初めての長期休暇がやってきた。

 当然この機会に、妻や娘と会うために、久しぶりに帰国する。


 空港から電車を乗り継いで、マイホームがある最寄駅へ。

 スーツケースのキャスターをゴロゴロさせながら、駅前の大通りを東へ歩き、公園横の十字路を曲がって住宅街に入ると……。

 チョコレート色の壁に赤い屋根。懐かしの我が家が見えてきた。

 まあ「我が家」といっても、もう合鍵などは所持していない。だから妻の里美に開けてもらうつもりで、まるで来客みたいに、ドア横のインターホンを鳴らす。

 ピンポーンという音に続いて、中からの声が聞こえてきた。

『はい。どちら様でしょう?』

 インターホン越しだからだろうか。本来の里美の声よりも、くぐもった低い声に聞こえる。

 微妙に違和感を覚えながらも、私は落ち着いて答えた。

「僕だよ、僕。君の夫の茂文しげふみ古木ふるき茂文だ」


『……はあ?』

 インターホンという機械を通してさえも、その声色こわいろに含まれる不信感が伝わってきた。まるで釣られるように、私まで困惑するほどだ。

「一体どうした? ほら、早く開けて……」

『失礼ですが……』

 相手の声が、私の言葉を冷たく遮る。

『……家をお間違えではないでしょうか? うちは古木ではありません。こちらは安城あんじょうの家です。もう何年も前から』


 慌ててドアから離れて、ガバッと体を捻じ曲げながら、表札の方へと視線を向ける。

 郵便受けの近くに掲げられた白いプレートには、確かに「古木」ではなく「安城」と記されていた。

 しかし……。


「そんなはずはない!」

 思わず大声で叫んでしまう。

 家の形状にしろ、壁や屋根の色にしろ、どう見ても私の家だ。この辺りの宅地は建売住宅ではないのだから、隣近所の家と外観がそっくりだとか、だから一つ隣と間違えたとか、そんな可能性は起こり得ないのだ。

 いや、そもそも隣近所に「安城」なんて名前の家はなかった。私も妻も、普通に近所付き合いをしてきたので、その点は確実だ。

 ならば、この安城さんは、いつからここに住んでいる? 私がアメリカに単身赴任している間に、ここへ引っ越してきたのか?

 だとしたら、里美が勝手に、私に一切連絡もせずに、私たちの家をこの安城さんに売ってしまったのか?

 いやいや、でもこの安城さんは「もう何年も前から住んでいる」というむねを口にしたのだから、その想像とも矛盾するし……。


 混乱する私は、自分に対して考えを整理する意味も込めて、こうした推論を全て口に出していた。

 一応は独り言のつもりだったけれど、インターホンの通話は繋がったまま。だから、中の住人である安城さんにも筒抜けだった。

 それは「わけのわからない言葉を一方的にがなり立てている」と聞こえたらしい。

 家の前に居座って騒ぐ不審者として、私は警察に通報されてしまった。

   

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