第15話
「はあ〜〜。」
礼は、共通科目や副科ピアノを通じて仲良くなった面々と食堂でランチを食べながら、ため息をつく。
「なんだよ、レイ。俺の顔見るなりため息ついて失礼だぜ?」
コントラバスのギュンターが礼を不可解そうにみながら、シュニッツェルを切り分ける。
「うーん。違うのよねえ。やっぱりレイノルズ先生の言うとおりなのかなあ。」
礼は、今度はたまに伴奏を頼むピアノ科のフリードリヒを見た。フリードリヒは顔立ちが端正で背も高く、いわゆるイケメンで演奏も上手いが、自分が中本に感じたような気持ちは持てない。
演奏や知識に対する強い尊敬のせいだけではない、なんだか原因がよくわからない緊張と、それなのに会うと心が弾み、できれば毎日顔を見たいと感じること。顔を見れると、声を聞けるとやる気が出てきて頑張れる気がすること。どれも中本以外の,どんなに外見や経歴が素晴らしい男性にも感じない。
実はフリードリヒには前期試験のあと、付き合いたいと言われたのだが、礼は彼を友人としかみていないし、そもそも21にもなって男性と交際したことはおろか、恋をしたことがない。
レイノルズは遠回しに自分が中本が男性として気になるのではないかとけしかけてきたが、そうかどうかは恋をしたことがないからよくわからないものの、会うとやけに緊張するのに高揚すると言う点は、確かに恋愛に関する礼の基礎知識には合致する。経験はないが、ドラマや映画や小説では恋心はそうやって描写される。
「、、どうしたんだい?早く食べないと。休み時間終わっちゃうよ。体調悪いの?」
フリードリヒは振る舞いも紳士的で声も甘い。形の良い空色の瞳をこちらに向け、優しく問いかける。実際フリードリヒはモテていて、現在声楽家の美女が彼女だが、礼とは友人として今でも話してくれる。
フリードリヒが告白してきて礼が断ったのが学内に広まってから、礼は一時期女子学生たちから反感を持たれたりもした。彼女たちからすれは、なぜ中本がフリードリヒより良いのかと言われそうだ。演奏家としての力量や才能は中本は飛び抜けていて、礼が日本で習った教授や重鎮も認めるレベルだろうが、顔や男性らしさだけならばフリードリヒに違いない。
「もしかしてナカモトさんのこと?習ってるって言ってた。
いいなあ、レイノルズ先生にも習ってるのに、あんな凄いヴィオラ奏者からも教えてもらえたなんて。ずるいわよ。私にも紹介してよね!!」
同じヴァイオリン科で、同じくレイノルズの個人レッスンのクラスだが、オーケストラ奏者志望のマルガリータが後から来て言う。
「だっていきなりの話だったし。
レイノルズ先生が中本先生を紹介したのは私が室内楽の知識に欠けてたからだし。。マルガリータは室内楽も得意じゃない。
それに、、中本先生は帰国しちゃったもの。。もう習えない。。」
「えっ!?嘘でしょ?ナカモトさん帰国したの?日本に!?楽団のヴィオラ首席の試用期間中でしょ?いくら病気でも帰国なんて。。」
マルガリータは驚いて礼に聞き返す。
「まじかよ。、、日本からだと初めての団員で初めての首席奏者だったんだろ?残念だなあ。」
ギュンターが心底残念そうにコメントする。
「本当よ。レイノルズ先生と一緒に最後にお会いしたときに帰国されるってご本人が言ってたし。レイノルズ先生からも帰国したって聞いたし。」
礼はこれまで、中本が帰国した寂しさを堪えていたが、話しだすと会えない寂しさと体調への心配が溢れてきてしまい、気持ちが暗くなってきた。友人の前なので切り替えなければと食事に手をつけようとしたが、そのことが頭によぎると、目の前のシチューを食べる気が起きない。
「、、え〜?礼がナカモトさんのことめちゃくちゃよく話すからさ、楽団のホームページのメンバー一覧見て見たら、ヴィオラの首席で試用期間中、ってまだ載ってたよ?ほら!このメガネの小柄な人でしょ?」
「本当だ!、、でも帰国したはずよ。間違いないって。、、急だったからホームページが更新されてないんじゃない?、、ああ〜、、思い出したら寂しくなっちゃった。。先生が治らなかったらどうしよう。。会えないまま何かあったら嫌だ〜〜!!」
礼はホームページの中本がヴィオラを持って優しく微笑む写真を見て泣きそうな気分になってきて、顔を覆う。
「あらら、、大丈夫?ナカモトさんも心配だけどレイがだいぶ重症じゃないか。
、、そんなに気になるなら会いに行ってみたら?同じ国出身なんだし。」
「そうよそうよ、レイノルズ先生なら彼が今どこでどうしてるか知ってるんじゃないの?」
マルガリータは礼を励まそうと、礼の眉で切り揃えた前髪を片手でふわふわといじる。
「あっ!何するの?前髪変になる!
、、そうだね、、でもね、、先生はあたしに会いたくないだろうし。」
礼はマルガリータの手を軽く払ってから、ギュンターとフリードリヒに促されて少しずつシチューを食べる。
「会いたくない?なんでよ?
男の人なんだから若いあんたみたいな可愛い子がきたら嬉しいわよ絶対に。それを抜きにしても、教え子が訪ねてきたら普通は嬉しいと思う。」
マルガリータは早くも自分のハンバーガーを食べ終わっていて、礼を灰色がかった緑の瞳で見つめ、礼を励まそうと、自分の携帯電話についたクマのぬいぐるみのキーホルダーを礼の片手に擦り付ける。
礼とマルガリータはよく休日に外出もするのだが、これは昨年クリスマス市場で一緒に買ったもので、お揃いで礼はヴァイオリンケースにつけている。
「そうは思えない。。最後に会ったとき、、病院で寝込んでいてお見舞いに行ったんだけど、、私バカだから先生が帰るって聞いて泣いちゃって、、挙句に、先生は日本に帰るだけじゃ良くなんてならないと思うし、先生はヴィオラをドイツで弾いてほしいなんて言っちゃったの、、絶対嫌われたわ。。あたしなんかと違ってプロだし、プロの中でもあの楽団の首席に受かるような人なのに、、小娘が生意気だって思われたかも。、、あれからメールや電話しても繋がらなくて。。着信拒否にされたんだ、、多分。」
礼は、最後に中本に会った際のことを振り返りながら、食べるのをやめて涙を瞳にためて俯く。
礼としては、中本があの一方的な意見を持つ父親の元でストレスを感じながら体調が良くなるとも思えず、ヴィオラを辞めさせられたりすれば余計に良くないと思い、自分が寂しいこと以上にそれが心配で意見したが、彼にしてみれば、プロの奏者でもなくひよっこ同然の自分に意見されるのも不愉快なはずだ。
その証拠に、口では、自分のために泣く必要はない、と言っていたが、その前に「たった2ヶ月の付き合いだ」と言う枕詞があった。そして、最後には「君にはもっと良い先生がいるはず」とも言っていた。
周りからぼうっとしている、と言われる自分でも拒絶されたことくらいわかっている。
礼は鼻を啜って泣き始めてしまい、マルガリータ他3人はどうしたものか困りつつも、必死に礼に声をかけた。
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