第10話

ミカエルは、明が倒れてから5ヶ月後の4月に、東京へ渡航をすることになった。

明は、昨年11月ごろから体調が悪化し、12月に入ってコンサートで演奏中に心臓発作を起こして病院に運ばれ、その後3ヶ月の入院と休団となっていた。入院2ヶ月目の時点では、礼やカールとの関わりによって精神的に立ち直り、体調もそれに呼応するように驚くほど回復していた。しかし、そんな矢先のカールの死で、明の心境はおそらく地に堕ちてしまったのだろう。体調は再び、発作を起こしたときに匹敵するくらい悪化してしまい、明は自ら退団を申し出た。


楽団の事務局は、明のヴィオラ首席としての力量は認めているため、もう少し療養してから解雇とするかは検討したいと本人に伝えたようだが、明の意志は頑なだった。


本人の意向を受け、体調を考慮して、退団手続きは病室で行ったらしく、明はついに倒れてから一度も楽団に姿を現さず、ミカエルやリチャードにすら何も言わずに姿を消した。


さすがにベルリンにはいるだろうと、入院していた病院や、明の住んでいたアパルトメントにミカエルは出向いたが、なんと退団手続きからわずか四日間で、体調も悪いまま日本に帰国してしまったらしい。


ミカエルは、明とは大学からの付き合いだ。無言でいつのまにか去る別れ方に納得できるはずがない。

でも、明の心が折れた理由を考えると、会って何を話したら良いのかはわからない。


さすがに彼が、たった数ヶ月の付き合いの小児科に入院していたカールの死にのみ傷ついてドイツを去ることにしたわけではないのはわかっている。今回彼がドイツを去ったのは、自分の持病の悪化によって複数の出来事に気持ちを折られたためだろう。


まず、11月に体調が悪化した際に、明は当時同棲して、婚約までしていた日本人のチェンバリストの彩華と破局している。


彩華は気丈で情にも厚く、明が体調が悪いから彼女が見捨てたわけではない。逆で、明が彼女から身を引いたのだ。ミカエルがその際に明に問い詰めた内容によれば、明は彼女が大事な演奏会をキャンセルしてまで自分を看病しようとしたり、彼女の演奏への集中を見出してしまったことが不甲斐なかったのだという。

あまり長生きは望めない自分のために、彼女が自分のキャリアを捨てるべきではないとも言っていた。


そんなことがあっても、6月から開始されていたヴィオラ首席の試用期間を、明は最高のパフォーマンスでこなしていたが、更に明の体調は悪くなっていき、試用期間を中断して休団となってしまった。その二つだけでもショックはあるはずだが、それでも努力して心身を奮い立たせていたところで、カールの死があり、それがきっかけでまた体調は悪化した。


これだけあれば、全てが嫌になってしまっても誰も彼を責めることはできない。自分が努力家である自負はあるミカエルから見ても、明は重い病を抱えながらも演奏してきただけあり、我慢強く努力家だ。そんな彼が挫けるだけの出来事は、この半年間に起きてきた。その原因は、努力ではどうにもできない持病のせいなのだ。


ベルリンから東京の飛行時間は長い。長い飛行時間中、ミカエルは譜読みをしたり、音楽を聴いたり、機内のエンターテイメント画面で映画を見たり、日本の観光について雑誌を読んだりしていた。それでも、長い飛行時間にはやることがつきててくる。なので、眠ろうとしていたが、自分が東京に行き、そんな明に一体何ができるのか分からずに、その答えが出せないことが不安で、目が冴えてきてしまう。


でも、リチャードや他の団員、楽団の事務局や指揮者にまで明と付き合いが長いミカエルが一旦引き止めてくれないかと頼まれた手前、何もせずに帰ることはできない。

冴えてしまった目で、夜なので機内が消灯され、他は寝静まる中、ミカエルは暗闇を見つめた。

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