第7話

礼が多目的スペースのアップライトピアノの前まで明を車椅子で連れて行くと、明は自分で車椅子を降り、ピアノ椅子に座った。

明は先ほどの歌の翼の楽譜を見ながら、曲の音階をさっと練習し始める。

明は礼よりも背が低く、病弱なのもあってか男性としてはかなり華奢だが、手はそんなに小さくはなく、ドイツ人の平均身長程度のミカエルの手よりも少し小さい程度にはあるようだ。


ミカエルもフルートを出して、半音階を吹いたりなど音出しを始めた。音出しの時点で二人とも発音の時点から細部まで気を抜かずに丁寧かつ瞬発力がある音で、これが一流のプロの音なのだと礼は二人の様子に聴き入った。


二人は言わずとも息は合うようで、しばらくして明は言葉は言わず、軽いアインザッツだけで序奏を弾き出した。ミカエルは全くズレることなく後からフルートで朗々とメロディーを歌い上げて行く。明の伴奏はタッチは柔らかく、フルートよりはみ出ないようにはしているが、フルートに音楽の主導権を完全に任せているわけではなく、和声の移りやメロディーの切り替わり等に合わせて先手を打って音楽の方向を決めたりもしている。


伴奏にはあまりメロディーはなく、礼からすればこの曲のピアノ伴奏はあまり弾く楽しさが感じ取れなかったのだが、明は伴奏の譜面からも音楽の流れを的確に分析して、生き生きと弾いている。礼は、リチャードに「ヴァイオリンはソリストだけが活躍する楽器ではない」、「君は自分のパート以外から音楽を分かろうとしていない」と言われてきた。


言うだけではなく、リチャードはたまにピアノを弾いたりもして捉え方を実演はしてくれたのだが、リチャード自身が自覚するようにリチャードはソリスト経験が長く、また、リチャードはピアノは得意ではないため、彼の指導だと礼の理解にも限りがあった。

明のピアノを聴いて、リチャードが礼の音楽における主旋律以外の理解を促すために、明に礼を任せた意図が完全に分かった気がする。


二人の演奏で、小児科の子供たちが集まり始め、それに付き添う医者や看護師、子供たちの親を含め多目的室が混み出した。


曲が終わって、明が礼に何か話そうとしていると、8歳くらいに見える少年が明に寄って行く。


「ねえねえ!!ピアノのひと!!アニメのオープニング弾いてよ〜!ゾウさんがライオンと旅するの!おーぷにんぐ曲〜。」


「ああ、教育番組のZoo Abenteuerかな?でも楽譜持ってないからなあ。こんなかんじだっけな?」


明は子どもは嫌いではないらしく、微笑んで片手で言われた曲のメロディーを弾く。聴いた音を思い出して弾いているので、先ほどのようにすらすらではなかったが、しばらくしてもう片手で適切な和音を入れて弾き出す。


「それそれー!!弾いてよー!!僕歌詞覚えてるから歌えるんだよ!」


「いや、俺はちょっと聴いただけだからこ子しかわからないよ。また練習してくるね。

歌、今度聴かせてね。」


明は少年の頭を軽く撫でてなんとか満足させると、ミカエルが子どもに取り囲まれているのを犠牲にして礼に話しかけた。


「今度、怪我してない右手だけ、ピアノ聴かせてよ。俺はピアノ専門じゃないから詳しくは副科の先生に訊いてほしいけど、、客観的に聴いて悪い点良い点くらいなら多分言えるかな。」


「!!わかりました。。練習してみますね。

あと、差し出がましいとは思うのですが、、」


いつも発言が率直で素直な礼が歯切れ悪く言うので、明は礼の大きな瞳を見て安心させようと極力優しく微笑んだ。


「レッスンで他に俺にできそうなことはありそう?」


「いえ、私のことじゃなく!

先生たちが演奏して、子どもたちとても喜んでいたので、中本先生はプロなのでもちろん病院に金額は交渉ですが、、演奏したら、、病気で大変な子どもたちもその、、喜ぶかなあと、、、。ごめんなさい、図々しく、私が言えた立場じゃないですよね、本当に申し訳、」


「俺はリチャードやミカエルと違って、今は病気で第一線にいないし、、だからそんなに気を遣わないで。そうだね、あんなに子どもたちが喜んでくれたのはびっくりしたよ。

良いアイディアだと思う。

楽団でも金額は病院に請求するけど、病院や福祉施設での演奏もしなくはないよ。


、、それに、神崎さんが何か片手で弾いたり歌っても喜んでくれるかもしれない。

俺たちの本分は演奏を誰かに聴いてもらって、感じてもらうことだからね。」


明は恐る恐る提案した礼に、確かに良い提案だと考え、前向きに意見を述べる。


「、、先生、、ありがとうございます!そうですね、私もこれを機会にそういうことをやってみても良いのかも。」


(さっきのZoo Abenteuerの子、、ニット帽かぶってて髪の毛がなかったし、かなり痩せてていたな。。弾くなら早く弾いてあげなきゃいけないかな。、、俺が楽団クビになるくらいで投げやりになっていたのが情けない。

あの子はあんなに小さいうちから大変なのに、、あんなに前を向いている。

俺は少なくともこの年まで人並みに生きて、留学してヴィオラを仕事にできた。)


明は、礼の話を聞いていたのだが、先ほどの少年が今度はミカエルのフルートをいじりだし、ミカエルが頭部管を抜いて吹き方を教えるのを見ながら考える。


「、、中本先生?どうかされましたか?まさか体調が、、」


「いや、違うんだよ。さっきの話やるなら、病院の人にお願いしないとなぁと思ってね。」


明は礼に心配そうに顔を覗き込まれて慌てて返事をした。

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