Game 015「其れは現実と幻想の物語」



 ──そして、勝負の趨勢は決した。

 現実は何処までも非情だった。


 ベルーガの見ている前で、最初に倒されたのはレイゴン・オルドビス。


 狂える英雄ローエングリンとの戦闘で、すでに相当な傷を負っていた彼は、谷底に飛んで来た時点で走れるようなカラダではなかった。

 龍炎によって傷口を焼き、応急処置的に止血を行っても、そこには新たに火傷というダメージが蓄積されている。


 親友を殺そうとする裏切り者。


 ルキウス・アルベリッヒへの激しい怒りから、アドレナリンが大量に分泌され、驚嘆に値する奮闘を演じて見せたものの、所詮それは一時の泡沫。

 火事場の馬鹿力は持続しない。

 真っ先に足をもつれさせ、その背中を赤銅色の若騎士は躊躇なく斬り伏せた。


「かハッ──!」


 レイゴンは白眼を剥いて地面に倒れ、怒りに啼いたのは、天翔る黒き虹。

 短い時間であっても、ドラゴンは絆を結んだ相手を必ず思いやる。

 レイゴンを傷つけられ、純血の飛龍はルキウスへ突進した。

 二度にわたるブレスによって、もう一度火を吹くには暫しの時間を必要としていたから、イリスは自慢の爪と牙で、ルキウスを八つ裂きにしようとしたのだ。

 星の最強種、荒ぶる獣の仔。

 幼体であっても、ルキウスもまた死力を尽くさない理由は無い。


「ウオオオオオオアアアアアアアアアアアアアーーーーーッッッッ!!!!!」

「GRRrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrーーーーッッッッ!!!!」


 激突はまさに伝説の戦いだった。

 恐らく、黒飛龍が手負いでなければ、勝ったのは順当にドラゴンだっただろう。

 ローエングリンにつけられた脚の傷に、ルキウスは目敏く気が付いていて、男はそこを攻めるしか勝機が無いと知っていた。

 超人たる所以、磨き上げた国一番の剣技を以って、ルキウスはイリスの攻撃を掻い潜り、傷口へロングソードを滑り込ませたのである。

 イリスは苦鳴を上げ、レイゴンに続き地に墜ちるしかなかった。


 然れど、〈神代探訪〉の〈探検者シーカー〉とて黙ったままではない。


 頭の回るエドガーは状況の経緯から、ほとんど正確に自身の役目を悟っていた。

 第三王子ベルーガと、その友人である二名の子ども。

 エドガーとミリエルに課されたのは、救出対象を捜索し、発見した場合は保護し、生きているなら無事にウェスタルシアまで連れ帰るタスク。

 ならば、任務内容に変更は無い。

 たとえ〈王の剣〉が乱心したのだとしても、やるべきコトは変わっていない。


「もともと妙だとは思ってたんだぜ、オレはよ──!」

「先輩!」

「ミリエル! テメェはプリンスたちを守れ!」

「たぬきが……ようやく手の内を明かすか!」

「ガキ殺しを見過ごす理由が、どこにあるッッ!!」


 死と呪いに満ちた神話世界。

 ロスランカの地で日夜死線を躱す者は、命の重みを何より識っていた。

 そして、エドガーは二児の父親だった。


「──来たれ『竜鱗剣』」

「ハッ! さすがは〈探検者シーカー〉だな……!」

「神代の遺風、英雄の残香──神話の再現を食らいやがれよッ!!」

「英雄ならざる身で、どこまで模倣できる!」


 竜の鱗で鍛えられた一振りの剣。

 それはエドガーが発掘した、正真正銘本物の『ロスランカリーヴァ』レリック。

 レイゴンが魔物ヴリコラカスから逆手剣を獲得したように、〈探検者シーカー〉であるエドガーもまた神代の武器を隠し持っていた。


 竜の鱗の剣など、生半可な鋼鉄では砕かれて終わる。


 ルキウスは剣戟を可能な限り避け、最小限の交錯でエドガーを相手取った。

 警戒すべきは神代武器に特有の摩訶不思議な超常現象。

 蛇が出るか鬼が出るか。

 警戒したルキウスだったが、数合の打ち合いを経て無慈悲に悟る。

 何が出るか分からないが、これは出させる前に片付けられると。


「──敵でなければ、貴様にも勝機はあっただろうな!」

「ッッッ!!??」


 エドガーの失策は、ただひとつ。

 王国最優にして最強の騎士、ソードマスターであるルキウスに、剣で挑んでしまったコト。

 モノが良くても、腕が違えば実力差は必然の結果を導く。


「クソ、が──」


 ルキウスはただ、純粋なる剣技のみでエドガーを圧倒して、斬り伏せてのけた。

 となれば、残っているのはもはや、文字通りの女子どもだけ……


「ッ……よくも先輩をッ! “火炎フランマ”ッ!」

「沈め」

「ァ──」


 ドバッシャーン!

 魔法使いミリエルは、数秒と保たなかった。

 龍の炎さえ、掻い潜ったルキウスである。

 たかだかニンゲンの生み出す仮初の焔など、躱すのは容易かったし、上回るのも容易だった。

 加えて、聖剣が至近にある状況で、マトモな魔法が使えるはずもなく。

 愚かな女の胴体を、ルキウスは激しく蹴り飛ばして川の中へ沈めさせた。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」

「っ、この、うらぎり、もの……!」

「────」

 

 よって、ついに終着。

 ベルーガとガブリエラの前に、ルキウスは鋼のように立ち塞がるに至った。

 懸命に走り続けた第三王子とその婚約者フィアンセは、息を切らして肩を上下させている。

 裏切りの刃を留めるモノは、とうとう無くなった。


「まるで、酸欠の犬のようですね」

「っ! あなた、ベルーガ様によくそんな口が……!」

「レディ、貴方もつくづく目障りな人だ。貴婦人ならば、幼童のように好奇心で動くのではなく、慎みを持って大人しくしなさい。不用意に夜を出歩くなど、自業自得ですよ」

「なにがっ! 自業自得なものですか──!」


 怒鳴るガブリエラに、ルキウスはしかし冷徹に切っ先を向ける。


「なにが? なにがとおっしゃいましたか。

 を見ても、まだお分かりになりませんか」

「っ、やめるんだ、ルキウス……!」

「やめられませんよ、殿下。私は貴方を裏切った。さっきも言ったじゃありませんか」


 この身は裏切りの刃である。


「こうなるコトは分かっていたはずです。

 ──!」

「っっっ」


 なぜなら、


「ベルーガ・ベルセリオン。貴方は弱い。いつまで経っても小さく非力なままで、私が守らなければ、とても危なっかしくて見ていられないのですから……」


 赤銅色の若騎士は、無表情のまま眦から涙を流した。

 その落涙に、ガブリエラは思わず言葉を失ってしまい、何かを言い返そうとしても相応しい言葉を探せず、黙るしかなかった。

 ベルーガは怯みつつも、少女の前に身を挟んで、正面からルキウスと相対した。


「……だ、だったら、今までと同じように、僕を守ってよ」

「できません」

「ど、どうして? 僕はまだ、そういえば理由も聞いてないよ」

「理由など、ただこの身が卑劣な裏切り者であるという一点のみで、充分でしょう」

「……ぼ、僕はそう思わない」


 怯えながらも、たしかに返された否定に、ルキウスは意外を得た。

 ベルーガの声音に、一本の芯があるように感じたからだ。

 気弱で、臆病で、ロクに剣も振れない。

 王子のフリをしているだけの、姫でしかないはずなのに。

 ルキウスは初めて、ベルーガが剣を抜いて自分に構える姿を見た。


「ルキウスが、兄上を慕っていたのは知ってたよ」

「……」

「でも、それだけでルキウスが僕を裏切ったとは……思えないんだ」

「……殿下」

「きっと、僕は理由を分かっている気がする。だって、あそこじゃルキウスだけが、僕を守ってくれる唯一の大人だったんだから」

「────」


 言葉は、千の剣撃に勝る痛哭だった。

 ベルーガから向けられる信頼。

 ベルーガの抱くルキウスへの感謝。

 少女の純心は、裏切りの騎士の総身を万雷の刃で斬り刻む。


 自分は〝これ〟を見捨てたのだ。


 深すぎる罪に、ルキウスは奥歯を噛み砕いて唇から血を流した。

 だが、


「──だとしても、私はもう決めたのです」

「本当に、話してくれないの?」

「呪ってくれて結構。憎んでくれて結構。私はただの裏切り者。貴方に語らねばならぬ事情など、事ここに及び何一つとして無い」

「なら、僕の理由を聞いて」


 聖剣を両手で握り、真っ直ぐにルキウスを見上げる白髪の第三王子。

 言葉など聞くな。

 早いところ斬ってしまえ。

 ルキウスは心の内で、為すべき使命に警告されたが、体は情けなくも言うことを聞かなかった。


「……貴方の、理由?」

「僕は、兄上と違って王様には向いてない。なのに、聖剣なんか抜いちゃって、そのせいでこんなコトになって……正直に言うと、こっちに来て最初は、僕なんか生まれて来なきゃ良かったんだって思った」

「ベルーガ様……」

「だけど、だけどね?」


 いつの間にか、少女の震え怯えは無くなっている。


「レイゴンとガブリエラが、教えてくれたんだ」

「……何を、ですか?」

「こんな僕のなかにも、生きたいって気持ちがあるコトを。僕は王子で、今となっては王国を混乱に導いてる原因だけど」


 それでも。


「理不尽に殺されたくなんかない。殺そうとしてくる相手とは、

「!」

「もちろん、僕には戦う力なんてまだ、これっぽっちも無いから、難しい人生だとは思うよ。でもね、僕はレイゴンとガブリエラと、それでももっともっと一緒に居たいんだ……!」


 だから戦う。

 勝てなくても戦う。

 一分でも一秒でも、少しでも長く友だちと同じ場所にいるために。

 ベルーガの告白に、ルキウスは笑った。


「ハ──ハハハ、ハハハハハハハハハハハハッッ!!

 ……ならば、ご安心ください。私はすぐに、貴方とご友人を同じところに送って差し上げます」

「っ……勝負だね、ルキウス」

「ええ。勝負です、殿下」


 〝まさか、こんなにも大きく成長されていたとは〟


 友人の支えか。

 あるいは、ロスランカの地の尋常ならざる過酷さが、少女の心を急速的に鍛え上げでもしたか。

 何にせよ、とても喜ばしいのと同時に、なんて残酷な世界なんだとルキウスは神への呪いを抱く。

 この世には、心の善悪や正否だけでは埋められない、厳然とした不条理がいくらでも転がっているものだ。

 ベルーガがルキウスに挑もうとも、少女の細腕では決して大人の男の筋力膂力に敵わない。

 まして、超人であるルキウスには天の道理が捻じ曲がりでもしない限り、まかり間違っても勝利の可能性は無かった。


 共に構えは、大上段の大振り。


 腕力に劣るベルーガが、格上であるルキウスにマトモに剣を叩きつけようと思うなら、選択肢はそれしかない。

 しかし、現実は常に力ある者へ福音を告げる。

 男女の差、年齢の差、経験、気骨、覚悟の差。

 ルキウスはせめて、真正面から受け止め踏み砕こうと、同じタイミングで剣を振り下ろした。


「う、うおおおおぉぉっ!!」

「──おさらばです、殿下ッ!!」


 我が生涯、最初にして最後の不忠。

 貴方を斬ったその後は、この首必ずや晒し台に乗せて償いをします。

 ルキウスは堂々、聖剣を打ち落と──


「……………………」

「──────ッ、なる、ほど」


 せはしなかった。

 逆に、ベルーガの剣がルキウスの体を斬りおろしていた。

 裏切り者の刃は虚しく虚空を裂き、聖剣の担い手は僅かに距離をズラして若騎士の懐へ。

 何が起きたかなど疑問に思う必要もない。


 瞬間移動。


 妖精の指輪。


「……たしかに、斬ったと、そう思ったのだがな」

「ハッ、白昼夢でも、見させられてたんじゃないのか?」

「神秘の、申し子め……」


 ガクリ、膝を着いてルキウスは胸から血を流す。

 聖剣は深々と騎士の胸を抉っていた。

 大上段からの振り下ろしだったため、刃は肋を貫通し肺にまで至った。

 横から姿を現すのは、足を引きずってダラダラとこちらも血を流す、レイゴン・オルドビス。

 隠形を解いた異形の子どもは、息も絶え絶えだったがニヤリ口端を歪める。


「〈惑わし〉の効果は、アンタみたいなヤツには一瞬しか効かない。けど、その一瞬の感覚や認識をズラせば、どうだよ」

「グフッ……っ、く! 自分が斬られる瞬間に、僅かに私を……」

「そうだ。混乱させた。後はただ、いつもと同じだ」

「レイゴン……」

「すみません、殿下。正々堂々決着をつけたかったかもしれませんが、あんな話を聞いて、何もしない選択肢はありえなかった」


 裏切り者の刃が、幼馴染の命を奪う瞬間など。


「そんなはクソ喰らえだ。俺はたとえ荒唐無稽でも、美しい幻想と神秘ファンタジーが好きなんだよ」


 ゆえに頭を垂れて跪け。

 黄金瞳の妖しき少年は、幼馴染二人に抱きかかえられながら、おぞましくも言い放った。

 しかし、そうか。


「殿下の、夢見がちな戦いには、相応しい供かもしれませんね……」

「ルキウスっ!」


 ロスランカの地の暗き谷の底。

 裏切り者の騎士は、河原の石の上に頽れ目蓋を閉ざした。

 第三王子暗殺未遂事件。

 犯人であった〈王の剣〉は、その凶行に相応しい末路を経て逝った。

 

 裏切りの刃は、届かなかった。



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