Game 010「黄金瞳の輝き」



 ドラゴン。

 世界最強の獣、ドラゴン。


 ファンタジー世界において、最強とは何か?


 議論となれば、誰もがその名を思い浮かべるだろう。

 強靭な手足。鋼鉄より硬い鱗。勇壮な大翼。炎の息。

 特徴を挙げていくのは、ドラゴンの存在が有名すぎて時間の無駄だ。

 ドラゴンはこの世界でも、星の最強種と呼ばれていて、あらゆる生物の頂点に立っている。

 いま、外にはそれがいた。


「黒の純龍……」

「ヤギさんを掻っ攫ったのは、間違いなくアレですわね……」


 黒色の光沢が、美しい飛龍だった。

 だが、外見の優美なフォルムとは裏腹に、漂ってくる〝野生〟はとても鼻にキツイ。

 廃墟の窓際。

 壁に張り付きながらそっと様子を窺ってみるが、その黒飛龍は目測で1.5メートルほどの体長をしていて、前脚と一緒になっている翼は、広げればその倍以上ありそうな魁偉である。


 まだ子どもなのは間違いない。


 しかし、よりにもよって純龍……純血種の龍となると、リンドブルムなどより遥かにヤバい。

 獣の神の眷属。

 巨いなる天蓋──飛龍の末裔となると、同じ荒ぶる獣ドラゴンでも格は物凄く上位に食い込んでくるのだ。

 王立大図書館から発行されている『図鑑 動物界天地道編』にも、そう載っている。

 黒の飛龍は、コロコロともクルクルとも聞き取れる声で喉を鳴らしながら、俺たちの方へ近づいて来ていた。

 目は爬虫類のようでもあり、鳥類のようでもあり、瞳孔は縦に裂けている。

 とても獣臭い。


「おいアンタ、あのドラゴンとは普段、どうやってコミュニケーションを取ってるんだ?」

「知らねぇよ……オレはただ、アイツに飼われてるだけだ……」

「か、飼われてるって、ドラゴンが人間をペットにするワケ無いでしょう?」

「アイツはするんだよ! オレはアイツに、エサも貰ってるんだ……へっ、へへっ……」


 ギンガムはとうとう、壊れた笑い声を零すようになった。

 いったいどれだけの年月を、ペットとして過ごしてきたのだろう?

 人間の自尊心を傷つけられ、ドワーフの男は奴隷の卑屈さまで醸し出している。

 ドラゴンが下等な獣ではなく、高度な知能を持っているコトには疑いが無い。

 でなければ、古龍原語ドラゴン・バベルを解する頭脳だって無いはずだからだ。

 しかし、それでも、まさか人間を本当にペットにするような性質なんかが……?

 上位存在なら、有り得るのだろうか?


(分からんが、どっちにしたってゴメンだな……!)


 食われるのも、ペットにされるのも。

 デッド・オア・バッドエンドなんて、誰も望んじゃいない。

 迷ったが、俺は一か八か、黒飛龍の前に身を踊らせるコトにしてみた。


「殿下、ガブリエラ様」

「なにレイゴン?」

「脱出する方法を、何か思いついたんですの?」

「いえ。ギンガムの頬に刻まれていた〝ことば〟なんですが、お二人には意味が分かりましたか?」

「え? いや、僕はぜんぜん分からなかったけど……」

「それ、いま訊くコトなんですの? わたくしも同じです。さすがに初めて見ましたもの。何て読むのか、発音さえサッパリでしたわ」

「ですよね。俺も最初はそう思いました」

「「?」」


 奇妙な言い回しに、ベルーガもガブリエラも戸惑った顔つきで目をしばたかせた。


「最初は、って、じゃあ今は読めるの?」

「……冗談ではないのですわよね?」

「すぐそこで、ドラゴンが迫ってきてるのに、大して面白くもない冗談を言うと思いますか?」

「……よく分からないんだけど、レイゴンは前に何処かで古龍原語ドラゴン・バベルを見たコトがあったってコト?」

「いいえ、まったく」


 


「音の響きも、込められた意味も、魔物の血か妖精の神秘が為せる技なのか、さっきから急に頭のなかに浮かんで来るんです」


 思えば、それは〈朽ち果てた怪人砦〉でも同じだった。

 あの時はヴリコラカスとの戦いで、意識を他に回す余裕も無かったから気づかなかったけれど、シャアとかシュウとかいう音のゴブリン語なんて、俺は一度も勉強していない。

 ロスランカの地のゴブリンなら、話していたのは神代の古語でもあっただろう。

 それなのに、


 〝呪餐の贄よ、仄暗き死を馳走するがよい〟


 あの言葉は、不思議と手に取るように理解できてしまった。

 頭のなかに、まるで翻訳アプリでもインストールされているみたいな感覚がする。

 遥か遠き神代の言の葉。

 古龍原語ドラゴン・バベルを目にしてから、無性に頭のなかが刺激を受けていて、全身の血がドクンドクン勢いを増している。


「あなた、目が……!」

「──え?」

「光ってる。金色に光ってるよ、レイゴン!?」

「そうなんですか? 自分じゃ分かりませんが……ともかく、行ってきます」

「あっ、ちょっと!」


 伸ばされた手をスルリと避けて、廃墟を出る。

 外は中よりも、さらに野生に満ちていた。

 噎せ返し、目に染みそうなほどの獣臭さ。

 姿を晒すと、黒飛龍は立ち止まって俺を見た。

 凄い。

 てっきり、ライオンやクロコダイルくらいの威圧感かと思っていたが、地面を抉る後ろ脚の鋭い蹴爪、呼吸に膨らむ胸の分厚い筋肉、肌で感じる生命の熱気。


 本物のドラゴンは、体温がとても高いようだ。


 火を吹くからかもしれない。

 漲る生命の熱動に、気を抜くと腰を抜かしそうになる。

 しかし、目を合わせた。

 ギンガムの頬に刻まれていた古龍原語ドラゴン・バベルは、たった三文字。

 けれど、その意味はいずれもきっと、極めて重要な価値を持っている。


 まずはひとつ、勇気を出して言ってみた。


「“ゼルドラード”」

「!」


 黒飛龍が瞳孔を細くし、上体を反らす。

 動きが止まり、真っ直ぐな視線が俺を貫く。

 仲間、家族、兄妹、友だち。

 今のはそんな意味を持った〝ことば〟だ。

 一回では通じなかった可能性も考え、もう一度繰り返す。


「……“ゼルドラード”」

「Cururu……」


 高く喉を鳴らされた。

 黒飛龍はジッと俺を見つめ、僅かに首を前方へ伸ばす。

 前翼腕が距離を縮め、ドラゴンの顔が、顎が、目と鼻の先にあった。

 口が開く。

 凶悪な牙と薄ピンク色の口内が覗く。

 背後で二人がハッと息を飲み込み、「あっ」と声を漏らす。

 そのせいで、黒飛龍は一瞬、そちらに気を取られそうになったが──


「“ゼルドラード”!」

「!」


 俺が再度、ハッキリ告げると視線を戻した。

 首元や襟、脇などに顔が移動していき、スンスンと匂いを嗅がれる。

 やがて、黒飛龍は自分の首を、先ほどと同じように喉を鳴らしながら、こちらの頬や肩にこすりつけ始めた。


 親愛の情。


 恐らくはそれを勝ち取った。

 ホッと安堵の息を吐きそうになった俺だが、そこで黒飛龍がドシンと胸を押して来たため、慌ててたたらを踏む。

 鼻先もペシッと叩いた。


「GRrrrr!」


 黒飛龍は当然、低い声を出して牙を剥きかけたが、俺は直観的にここが分水嶺だと察した。

 ただ親愛を訴えたところでは、同じ生き物でない以上、ドラゴンから見て人間は何処までも犬猫と変わらない。

 ダンボール箱に入れられた捨て猫や捨て犬と同じ立ち位置。

 しかし、人間はペットじゃない。

 ギンガムと同じ轍は、絶対に踏んでなんてやるものか。


「“ヴァルドラフ”!」

「! Cururunn……」

 

 語調強く、一歩も下がらず、目を真っ向から見つめて怒鳴る。

 すると、黒飛龍は見るからにたじろぎ、一、二歩下がった。

 意味は、流血、火傷、苦痛、警告。

 同じ生き物ではないのだから、力加減は覚えて貰わなければならない。

 しばらく睨み、数秒してから今度は再び告げる。


「“ゼルドラード”」

「Curu?」


 優しく、声色を柔らかにして言うと、黒飛龍は恐る恐るといった様子で歩み寄った。

 差し出される首を、両手で受け入れ撫でる。

 そして直観した。

 このドラゴンはまだ幼い。

 カラダは大型肉食獣並だが、中身はまだまだ仔どもだ。

 親や仲間の情愛に飢えていて、無垢な魂をしている。

 ギンガムはペットにされたと震えていたが、それは交流の仕方を初手で間違えたため。


(あと、たぶん発音も不完全だったんだろう)


 正しい古龍原語ドラゴン・バベルさえあれば、ヒトはドラゴンともたしかに絆を結び得る。

 その確信を得た。


「し、信じられませんわ……」

「レイゴン、君は──」

「やりました。もう出てきても大丈夫ですよ」


 唖然とする幼馴染二人に、握り拳を作って振り返りながら、俺は興奮でゾワゾワ神経が震えそうだった。

 ファンタジーの真骨頂を、味わっている実感。

 理由は不明だが、俺にはドラゴンと意思疎通するチカラがある。

 ウェスタルシアに戻らなければならない理由が、これでまた一個増えた。

 古龍原語ドラゴン・バベル、是が非でも調べたい。


「GRrrr……」

「“ゼルドラード”」


 ベルーガとガブリエラに、低い声を出した黒飛竜を宥める。


「この二人も、友だちだよ」


 首をさすり、肩を撫でる。

 ドラゴンは注意深く、俺と二人の顔を見比べたが、しばらくすると大人しく地面に横たわった。


「……Curu」

「え、えっと、お友だちって、分かってくれたのかしら……?」

「たぶん、そうだと思います」

「──はぁ。レイゴンはますます、凄くなっていくね。僕、生きた心地がしなかったよ」


 ベルーガはドサッと腰を抜かし、両手を後ろに着く。

 俺も驚いてはいるが、しかし、これは喜んで貰いたいイベントだ。


「お喜びください、殿下」

「ええ?」

「この仔がいれば、大抵の脅威は脅威じゃなくなります」

「っ、レイゴン。あなたもしかして……」

「そうです。今日からこの仔も仲間です」

「え、えー!!」

「……でも実際、ここでは物凄く頼もしいかもしれないですわね……」


 魔物には聖剣。

 怪物にはドラゴン。

 奇しくも、俺たちは強大な武器を手にしたと言える状況である。

 ガブリエラが人質に取られた時は、どうなるコトかと焦ったものだが、これはアレだな。ゲームで言うNPCイベントってヤツ。

 成功可否は命懸けのギャンブルだったが、選択肢をミスらず、無事にイベントクリアで報酬ゲット! 的なね。


「ギンガムには感謝しても、いいかもしれませんね……と?」

「あら?」

「どうしたの?」

「……いえ。ギンガムがただ、居なくなっているだけです」

「え、逃げたってコト?」

「テーブルクロスが破られているので、恐らくそうでしょう」


 廃墟にはもう、ドワーフの大男はいなかった。

 いつの間に逃げたのかは分からなかったが、あの男からしたら、黒飛龍からも逃げられる絶好のチャンスだったのかもしれない。

 冷静に考えれば、たとえペットとしてだったとしても、ドラゴンの庇護から抜け出してしまうのは、ロスランカの地では遠くない死を意味するはずだが。


「……まあ、心配する義理も道理もありません。去っっていったのなら、ギンガムのコトは捨て置きましょう」

「……そうだね。ガブリエラの髪を引っ張ったし」

「え、もうっ、ベルーガ様……!」

「あ、わわっ!」


 イチャつき始めた二人を放置し、俺は「良い寝床が手に入った」と良さげな壁に早速もたれかかる。

 激動の一日だったが、今夜は少なくとも半屋内で寝られるんだ。


 “ゼルドラード”

 “ヴァルドラフ”


 使わなかったもう一個も忘れないように心に刻んで、一足先に休憩させてもらうコトにした。

 カラダはすっかりドラゴン臭い。

 けれど、さっきまであった全身の血の巡りが、急速に落ち着いていってる。


「すみません、ちょっと先に休みます!」

「あっ、うん! 分かった!」

「ねえ、ベルーガ様? さっきのレイゴンの目って──」


 疲れていたのだろう。

 目蓋を閉じると、意識はブツリ、一瞬で断線した。





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