Game 009「流刑者とドラゴン・バベル」



 麓の付近まで下山すると、俺たちの恐怖心もある程度は落ち着いて来た。


 ヤギを襲った謎の黒き影。

 茂みに消えた俊敏な捕食者。


 得体の知れない存在に、目に映るすべての木陰が脅威に映った時間からしばらく。

 最初は本気で走っていた俺たちだが、山道を急ぐのには限界がある。

 駆け降りるスピードは次第に緩くなって、足元への注意から、最終的には早足程度で麓近くまで下った。

 その間、あの黒影は沈黙を保ったまま不気味に姿を晦ましていたが、存在感のようなモノは不思議と感じられた。

 視線。

 ……いや、気のせいではあるかもしれないんだが。


「……アレ、何なんだろう?」

「リンドブルムの……幼体? とかだったのではないでしょうか?」

「一瞬目にした輪郭シルエットだと、竜蛇のようには見えなかったんですが……」

「でも、ヤギをあんなに簡単に捕まえちゃうんだ。もしかしたら、リンドブルムの赤ちゃんだったのかもしれないよ? それか、大フクロウとかの猛禽類とか……」

「ヤギを狩る猛禽ですか……」


 無いとは、微妙に言い切れない線である。

 目の前でヤギが掻っ攫われていった瞬間を目撃した者として、俺もその推測には途中から思い至っていた。


(仮に猛禽じゃなかったにしても、アレは確実に跳躍力か突進力には優れていたしな……)


 そうでなければ、あれほど簡単にヤギを茂みには攫えない。

 捕獲能力──キャッチ力にも優れていて、そんな動物が何かと考えると、環境的に思いつくのはワシやタカ、ハヤブサなどの肉食鳥類。


 猛禽類が、どうやって狩りをするのか?


 貴族の娯楽で鷹狩りに参加した経験があれば、肉食の鳥が空を羽ばたいて滑空し、地を逃げる獲物を見事に空中へ掴み上げるシーンは、簡単にイメージできる。

 ただ、今回はヤギは茂みに消えて地面を離れていかなかった。

 そのため、あの黒影がリンドブルムの幼体という線も、充分に考えられる。

 なにしろ、ここは〈翼なき蛇の地〉……


(けど、それなら何で未だに俺たちを襲わないのか、理由が分からないけどな)


 幼体だとしても、リンドブルムなら子ヤギの一頭程度、すぐに平らげられるだろう。

 ヤギと同様にを狙うのに、そう躊躇する理由は無いと思えた。

 たとえ人間を見るのが初めてだったとしても、生物としての格は竜蛇の方が上である。

 

「太陽もすっかり、沈みかけですね」

「レイゴン。いつもなら君に、斥候を任せるところだけど、今はさっきのアレが僕たちの近くにいるかもしれない」

「〈姿隠し〉の指輪って、どこまで認識阻害が働くんですの?」

「……ドラゴンに試した経験は、ありませんね」

「なら、ひとりになるのは危険ですわよ」

「分散しちゃうのはマズイと思う。とりあえず、ここは固まって動いておかない?」


 ベルーガとガブリエラの言うコトは、もっともだった。

 大いなる自然は、文明から程遠いがゆえに、獣たちの独壇場フィールドだ。

 〈姿隠し〉は所有者の気配を隠し、姿を見えなくさせ、認識をもあざむく優れた指輪だが、所有者の実体は残る。

 幽体化しているワケではないからだ。

 〈姿隠し〉を使っていても、所有者が何かに接触すれば物音は立ってしまうし、そういったところから、微かな存在感は周囲に伝わってしまう。


 人間程度であれば気取られない些細な違和感も、野生の動物──あるいは怪物には、勘づかれても不思議は無い。


 ヤツらは人間より、遥かに鋭敏な感覚を持っているからな。

 どうせバレるなら、ベルーガやガブリエラがいた方が注意も逸れるかもだ。

 つまり、砦でゴブリンを始末していた時と同じ作戦で行こう。

 ゴブリンと違って、リンドブルムには死角からの不意打ちも、あまり効果は無いかもしれないけど……作戦が無いのと有るのとじゃ気の持ちようも違う。


「そうですね。では、一緒にお願いします」

「うんっ」

「賢明な判断ですわっ」


 頷き合った俺たちは、三人ともに廃墟に向かった。

 〈竜蛇に焼かれた廃墟〉

 慎重に辺りを窺いながら、息を潜めて敷地に踏み入る。


 すると、特に大型の生物の気配は無かった。


 廃墟は村のような家々の残骸で出来ていて、石の壁や屋根だけが残されている。

 木の柱や調度品の類いは、きっとリンドブルムに燃やされて、炭化してしまったのだろう。

 風雨に晒されない屋内や地下室には、ヒトともモノとも判断つかない〝煤汚れ〟が確認できた。


「うわっ!」

「どうしました!?」

「あ、いや、ネズミが……」

「なんだ。ネズミですの」


 地下室には小型の動物が潜んでいた。

 だが、たかがネズミだからといって侮ってはいけない。


「気をつけてください。ロスランカのネズミは毒を持っていて──凶暴です」

「! シッ! シッ! あっち行きなさ──ひぃぃっ!?」


 ガブリエラがネズミを追い払おうとして、想像以上の数が奥から現れたので、慌てて地下室を出る。

 たぶんだが、めぼしい物は特に無かった。

 階段を上がって地上に戻り、引き続き廃墟の探索を続ける。

 二つ目、三つ目、四つ目と。

 ただ残骸を雨晒しにしているだけの廃墟を見て回って、ラストの五つ目。


「……この家は、他のより大きいね」

「村長の家、ってところでしょうか」

「二階までありますわよ?」


 顔を見合わせ、中に入る。

 五つ目の家は、たしかに他の家より大きかった。

 状態も比較的マシで、二階こそ悲惨だったが、一階は八畳ほどもあって煤汚れも少ない。

 なんと、ここだけ箪笥や家具類まで残っている。


(いや、というかこれは……)


 いくらなんでも、


「レイゴン、これ」


 疑念に眉間のシワを寄せた直後だった。

 ベルーガからの呼びかけに振り返り、少年の見ている物を確認する。


 そこには、卓上で湯気を上げる鍋。


 冷めかけているが、小さく揺れるスープの熱が鼻腔にも届く。

 

 ハッとした俺は、緊張感に剣を抜きかけ──数秒前から妙に静かだった少女の理由を知った。


「……ベ、ベルーガ様……レイゴン……」

「ガブリエラ!」

「おっと動くな。動けばこのお嬢ちゃんが死ぬぞッ」

「ッ、その子から手を離せ!」

「オイ、オイオイオイ! 命令できる立場か? え? この物取りのクソガキども!」


 まずは武器を床に置け!

 ガブリエラを人質にし、男は怒鳴った。

 ドワーフの男だった。

 丸太よりも太い腕と、異様に分厚い斧を持っていて、マタギみたいな格好をしている。

 髪も髭もボウボウで、顔の八割は毛で隠れていた。

 血管の浮き出た左手で、ガブリエラの髪を掴んで頭を引っ張り、喉元には右手で刃を添えている。

 ベルーガが怒りから、つい聖剣に手を伸ばしかけた。

 それを片手で制しながら、俺は前へ出てドワーフの男の目を見つめる。


 訛りがひどいが、コイツはエルノス語を使っていた。

 

「ロスランカ人じゃないですね。さては、ウェスタルシアからの流刑者ですか?」

「! ガ、ガキ……ってコトは、テメェらウェスタルシア人か!? ──まさか、〈探検者シーカー〉か! どこの門扉ゲートから来やがった!?」

「落ち着いてください。まずは落ち着いて、話をしましょう。俺たちは物取りじゃないし、〈探検者シーカー〉でもありませんが、貴方に敵意はありません。その子を離してくれれば、何もひどいコトはしないと約束します」

「ハ、ハァ!? 約束だと!? そ、そんなモンが何の保証に──」


 言っている内に、男の目はトロンとしてきて、不調に気がつき違和感を覚えたのだろう。

 斧から手を離し、ガブリエラからも手を離し、頭を抑えてふらつき始める。


「ガブリエラ!」

「ベルーガ様!」


 ともあれ、人質の解放。

 少女の無事を確認した俺は、推定流刑人のドワーフに、左手を翳して囁く。

 右に左に、波のように手のひらを揺らめかせ、


「眠れ、眠れ」

「ぅ、ぁ──ク、ソ……」


 妖精の指輪。

 左薬指の〈惑わし〉が効果のひとつ、催眠。

 神秘に敗れたドワーフは、ドサリッ、と床に膝をつくや否や、瞬く間に眠りへ落ちた。

 かと思うと、グゴー、グゴー、とイビキまでかきはじめる。


「……さて、それじゃ今の内に、ふん縛っておきますか」

「そ、そうだね。すごいね、やっぱり」

「……人間相手なら、ぶっちゃけ最強なんじゃないですの? レイゴン」

「まさか。こんなのはせいぜい、相手が普通の人間の場合に限りますよ」


 ロスランカの地では、イカれた狂人ばかりなので、どうせ役立たない指輪だと思っていたくらいである。

 精神への働きかけは、マトモな精神をしていないとほぼ無意味だからな。

 あとは魔法使いや、超人クラスの騎士にも通じない。

 効果を発揮しても、下手したら一秒くらいで復活される。

 ソースはオルドビス家の教育係の男たちだ。


「……ロープ、ありますかね?」

「テーブルクロスなら、ありましたわ」

「裂いて、腕と足を縛りましょう」

「でも、その後はどうするんですの?」


 ガブリエラの問いに、ベルーガを見る。

 婚約者の少女を傷つけた者を、少年が許さないと言うなら、処断は必要だ。


「とりあえず、貴重な情報源です。ロスランカの地に流刑され、それでも今日まで生き残っていたなら、この男は王国が知らない門扉ゲートの場所を知っているかも」

「……起きたら、情報を聞き出そう。レイゴン、任せてもいい?」

「もちろん」


 異存など、あるはずも無い。











 で、三十分後。

 〈惑わし〉の暗示と魅了を使って、きっかり二十分間。

 寝て起きたドワーフの男に尋問を行い、俺たちは無事に情報を入手できた。


 まず男の名前だが、ギンガムと云うらしい。


 ギンガムはやはり過去の流刑人で、およそ百五十年前に〝ロスランカ送り〟にされたようだ。

 罪状は強奪にペテンに殺人。

 典型的なならず者ローグで、元は盗賊団の頭をやっていたとも自白させるコトに成功した。

 だが、ただの悪人ではなかったらしい。


 ギンガムはかつて、禁忌の叡智『古龍原語ドラゴン・バベル』の書を手にしたコトがあるそうだ。


 古龍原語ドラゴン・バベル


 其れは、世界で最も最初に生まれた獣の神、龍祖たる古龍が世に示した大御言おおみことの名。

 神話『ロスランカリーヴァ』にも語られる、強き力の律を発した鳴動そのものであり、現代に復活させるコトは、ドラゴンの逆鱗に触れるとして全世界規模で禁忌に指定されている。


 なぜなら、古龍原語ドラゴン・バベルは荒ぶる獣と絆を結び得る〝ことば〟だからだ。


 軽率に発声し、音を手繰れば、ドラゴンが聞きつけ、必ずや不遜の報いを与えに舞い降りてくる。

 自分たちの神が扱っていたモノを、人間ごときが紐解き、あまつさえ対等に意思を交わそうとするのは、我慢がならない。


 ドラゴンが本当にそう考えているかはともかくとして、実際に過去『古龍原語ドラゴン・バベル』の書を発端にして、幾つもの国が滅んだのは事実と云われている。


 俺も歴史書や考古学誌、または口づてで、たくさんの逸話を見聞きした。

 ウェスタルシア王国の民ならば、神話ロスランカリーヴァと向き合うのは必然のため、ドラゴン関係の知識には自ずと遭遇しやすくなるからだ。


 〝古龍原語ドラゴン・バベルは蘇るコトを望んでいる〟


 そんな言説も、耳にしたのは一度や二度じゃない。

 しかし、まさかギンガムのような男から、その名前が出てくるのは驚きだった。

 ロスランカ送りの刑が求刑された理由。

 余罪も複数あったはずなので、同情の余地はまったく無かったが、古龍原語ドラゴン・バベルなんて禁忌に出会ってしまえば、そりゃ流刑罪は免れまい。

 下手したら国が滅びる要因であるため、ギンガムが追放されるのは仕方がない話だった。


 が、コイツは悪党として抜け目が無かった。


 なんと古龍原語ドラゴン・バベルの一部を、隠し持ってロスランカに流刑されたのだ。

 書に記された禁忌の〝ことば〟を、


 傷跡で作った出来損ないの写本。


 ドワーフの男は種族的に毛深い。

 髪の毛や髭の一部を刈り取って、その下に刃物で文字を彫れば、後はおよそ二〜三日で傷は覆い隠される。

 ギンガムは自分の右頬に──恐らくはそれが限界だったのだろうが──三文字の〝ことば〟を入れていた。

 それらは歪んでいて、文字の体裁を成しているとは言い難いモノもあったが、ギンガムはその三文字を使って、ロスランカの地を生き延びていたようである。


「つまり、この男はドラゴンを手懐けて、今日まで此処で……?」

「……手懐ける? 手懐けるだと? バカを言うんじゃねえクソガキども! ドラゴンが人間に手懐けられるワケねェだろッ! だいたいオレは、騙されたんだ! 痛ェ思いをしてまでアテにしたっつうのに、ちっともロクに言うこと聞きやがらねェ!」


 暗示と魅了が解けたギンガムは、床に倒れながら口から唾を飛ばす。

 テーブルクロスで作った即席の拘束によって、ドワーフは手首と足首を縛られているため、ずんぐりむっくりとした芋虫のような体勢のまま、俺たちを睨んでいる。

 ちょっとした刺激で、ギンガムはすぐに大声を出した。

 もしかすると、ロスランカ送りにされてかなり長いため、心の均衡がバランスを崩しているのかもしれない。

 俺たちに敵意と怒りを滲ませている、というよりかは、周囲の全てに怯えている様子だった。

 目の焦点が、あっちに行ったりこっちに行ったり、常に安定しない。

 病んだ大男の気味悪さに、ガブリエラは怯んだ顔で俺の背中に隠れた。


「──だけど、事実としてアンタはドラゴンの力を借りて、今日までこの世界で生き残って来たんだろ?」

「そのドラゴンは、いま何処にいるのかな? さっき聞いた話だと、まだ子どもだって言ってたけど」

「ひょっとして、リンドブルムの赤ちゃんなのではなくて……?」

「リンドブルム? んなワケあるか! アイツは正真正銘ッ、ホンモノのドラゴンさ! 世界最強の獣だよッ!」


 でなきゃ、どうしてオレをペットにできる?

 ギンガムが引き攣った笑みを浮かべて、涙を流した瞬間だった。


 ──外からバサリッ! と、大きく翼のはためく音がした。




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