Game 006「憧れ、尊敬と感謝」



 ベルーガ・ベルセリオンにとって、レイゴン・オルドビスは昔から憧れの男の子だった。


 作り物めいた美貌。

 薄く桃色がかった金髪。

 少しだけ赤みの強いイエローゴールドの瞳。

 ハーフエルフみたいに先が尖った耳。


 オルドビス侯爵家に生まれた、淫魔と妖精の落とし子。


 純粋なニンゲンではないと噂には聞いていた。

 だけど、本物は噂よりも遥かに想像以上で。

 人によっては、女の子とも勘違いされかねない中性的な体つきも相まって、初めて会った時には、なんでドレスを着ていないんだろう? と、男の子だと知っていたはずなのに疑問に思ってしまった。


 八歳の誕生日に、〈アリアティリス〉で開かれた祝宴。


 周りの大人は、誰もがレイゴンに酷いコトを言っていたけれど。

 ベルーガは正直、心の中でなんて綺麗な子なんだろうと見蕩れるコトしかできなかった。


 ……女なのに、男の格好をしている。


 ベルーガの本当の名前は、ベルセリア・ベルセリオンと云う。

 第一王子ベゼル、第二王子ベルモンド。

 彼らとは腹違いの兄妹で、母は先の王陛下が年老いてから迎えた二番目の妃。


 ベルセリアは自分が、王宮の権力闘争に使われる駒であるコトを、幼い時から知っていた。


 何故なら、他ならぬ母親から、母の父から、直接そう言われて育って来たからだ。


 ──かわいい、ベルセリア。

 ──いとしい、ベルセリア。

 ──みにくい、ベルセリア。

 ──にくしい、ベルセリア。


 ──オマエはどうして、女なの。

 ──オマエはどうして、母の胎を引き裂いて生まれて来たの。

 ──わたしが憎かった? わたしもオマエが憎いわ。


 ──男ならば良かった! なぜ女なのだ!

 ──産婆を殺せ! 乳母を殺せ!

 ──この子は今日から、男の子になる!

 

 ──かわいい、ベルーガ。

 ──いとしい、ベルーガ。

 ──みにくい、ベルーガ。

 ──にくしい、ベルーガ。


 ベルーガの人生は、物心ついた時からそんな言葉で囲まれていて、血の繋がった母や祖父から言われるのだから、自分はさぞかし期待はずれな子なんだなと。

 だからそのせいで、愛してももらえないんだと。

 第三王子としての役割を受け入れなければ、居場所はどこにも無いんだと知って、〝ベルーガ・ベルセリオン〟を始めるしかなかった。


 でも、苦しかった。


 男のフリをしても、本物の男にはなれず。

 筋力や体力の差から、常に自分が女であるコトを突き付けられ。


 気弱でひ弱な第三王子。

 婦女子のような臆病者。


 周囲から手間勝手に求められる〝第三王子像〟に、いつだって本当のベルセリアが悲鳴をあげてしまう。


 馴染もうと努力すればするだけ、を痛感して疎外感を味わい。

 なのに、同年代の女の子と同じように振る舞うコトは、立場が許してくれなかった。

 可愛いドレスや綺麗なリボン、花飾りのアクセサリー。

 一度だけ、密かに身につけてみたが、母と祖父は烈火のごとく怒り狂って、全部燃やされてしまった。

 それどころか、似合わない、気色が悪い、やめろ。

 心無い言葉も贈られて、


(ああ、そっか)


 自分が自分らしくあるコトは、誰にも求められていないんだ。

 ベルーガはその時から、ベルセリアを奥底にしまいこんだ。


 殺した、と言っても過言ではない。


 簡単には浮かび上がって来ないよう、何度も何度も自分の手で殴りつけて、首を絞めて殺した。

 いやそもそも、ベルセリアなんて自分の中には居なかったんだとさえ、懸命に言い聞かせた。

 たとえ心の裡が涙で崩れ落ちそうでも、そうしなければ生きてはいけない。そういう環境だった。


 きっと、だからだろう。


 ──ほう、そなたが彼のレイゴン・オルドビス。

 ──左手を見せてみよ。おお、本当に指輪が埋まっておるわ。

 ──気色が悪いのぅ。髪色も、なんとけったいな。

 ──姿を消せるというのは真実か?

 ──儂は魔法が使えると聞いたぞ。

 ──混血児だものなぁ。魔物の力が使えても不思議はあるまいて。

 ──オルドビス侯も、とんだ落とし子を授かったものだ。


 遠慮の無い言葉。

 好奇でしかない視線。

 レイゴン・オルドビスは、見世物としてベルーガの祝宴に呼び出され、心底からウンザリしているはずだった。

 なのに、彼はまったく堪えた様子もなく、むしろ、


 ──おや、皆さんは神秘を、軽んじていらっしゃるのですか?

 ──な、なに?

 ──私は淫魔の胎から産み落とされ、妖精にかどわかされた神秘の仔。世にも奇妙で珍しき異常な出生譚の主人公は、の興味を引くほど歴史に類を見ない変わり種ですよ?


 ならば、


 ──あまり軽々な物言いは、控えた方が皆様方のためかと。

 ──ど、どういう意味だ?

 ──私の傍には、常にの目があり、耳があるかもしれないというコトです。

 ──ッ!?


 それは、『ロスランカリーヴァ』という神話世界を識るウェスタルシアの貴族にとって、これ以上ない警告と脅しだった。

 異界から現れる魔物や精霊などの脅威。

 何がキッカケで門扉が開かれるか分からない恐怖。

 少年はまだベルーガと変わらない年齢のはずなのに、自身の異常性を何ら引け目に思うコトなく、あの瞬間、むしろ堂々と周囲こそを睥睨へいげいして見せたのだ。


 ……ベルーガにはそれが、とてもカッコよく見えた。


 ああなれたらと、思わず夢想してしまった。


 ひょっとしたら、レイゴン・オルドビスはベルーガ・ベルセリオンより、辛い人生を送っているかもしれないのに。


 少年は少女と違って、明らかに強く凛としている。


 見た目はそれこそ、女の子みたいに見えなくもないのに(下手したら身だしなみも令嬢並)、何が自分と彼との差なのだろうか?


 気になったベルーガは、気がつけばレイゴンと友だちになりたいと思うようになって、レイゴンもまた、それを不思議と受け入れてくれて。


 他の男の子とは違って、レイゴンは図書館で本を読むという時間の過ごし方を、苦痛には思わない性質でもあった。

 互いが読んだ本の感想を教え合ったり、オススメを紹介し合ったり、気づけばそんな時間がとても居心地よく感じられて。


 本のページに目を落とすレイゴンの横顔。

 微かに伏せられた黄金瞳の目蓋。

 長いまつ毛と、文字を追う怜悧れいりな瞳。

 紙をめくる白くて長い指の洗練された動作。

 シャツの襟元から覗く何処か艶めかしい首筋と鎖骨の輪郭。


 カッコイイのに、そのうえ知性的な魅力まで備えているなんて、ベルーガは卑怯だと思った。


 ──レイゴンはすごいなぁ。僕もレイゴンみたいになりたいよ。

 ──ええっ!? ちょ、ベルーガ様、正気ですの!?

 ──む。なんだいガブリエラ、その言い草。

 ──だって、レイゴン・オルドビスって、あの〝神秘狂い〟のコトですわよね!?


 母に宛てがわれた婚約者。

 ゴールデンハインド家のひとり娘。

 秘密を知るガブリエラには、目を剥かれるほど驚かれてしまったけれど。


 ──そりゃたしかに、レイゴンはそんなふうにも呼ばれているけどさ。

 ──頭のおかしい落とし子ですわよ!?

 ──あの『ロスランカリーヴァ』に、たったひとりで潜っちゃうんだ。僕にはそれだけで、もう充分に〝強い〟と思えちゃうよ。

 ──わたくしには、自殺志願の狂人にしか思えませんわ!

 ──だとしても、僕には無い勇気を持ってる……


 だから、憧れを抱く理由は足りていた。

 レイゴン・オルドビスの傍にいれば、自分もまた彼みたいになれるんじゃないかと。

 ずっと傍にいて欲しいし、ずっと近くで自分を支えて欲しい。


 ……密かに秘め育ててしまったベルセリアの願望は、ここ数日の事件のせいで、日に日にタガを外し大きく成長していた──それでも。


(僕は、臆病者だ……!)


 親友が命を懸けて、ベルーガを救おうとしてくれているのに、陰に隠れて無事を祈るコトしかできない。

 耳をすませば聞こえてくる戦いの音。


 レイゴンなら、と分かっていた。


 ベルーガが憧れ、こんなふうになりたいと長年想いを秘め続けた男の子なら、絶対に様子見だけで判断を留めたりはしない。

 広間ホールでは、争いの気配が大きく膨れ上がっている。


「あ、あの、ベルーガ様……」

「っ、なに? ガブリエラ」

「レイゴンなのですけど……その、わたくしたちも応援に駆けつけた方が、良いのではないでしょうか?」

「……」

「なんだか先ほどから、大きな音が……」


 ガブリエラもまた気づいていた。


 しかし、何が出来る?


 ベルーガはたしかに、第三王子としてウェスタルシア王国の正統剣術に多少の心得があるが、それは素人に比べたら基本を知っているだけ、少しマシというレベルで、ガブリエラは剣術に限らず、戦闘訓練そのものを何も積んでいない。

 そんな二人が、今まさに正念場を迎えているかもしれないレイゴンの元へ行って、足手まといになってしまったら。

 ロスランカの地を何も知らないベルーガとガブリエラのせいで、レイゴンが命でも失ってしまったら。


「……っ」


 腰に差したショートソード。

 柄を握っても、その先が無い。

 緊張と迷いから、全身の筋肉にうまく命令を与えられない。

 思わずギュッと両目を瞑り、歯を食いしばってしまう……と、ガブリエラがそこで手を握ってくれた。

 柄に添えた右の手を、少女は優しく両手で包み込む。


「申し訳ございません。ベルーガ様も、わたくしと同じですものね」

「ガブリエラ……」

「判断を仰ぐようなコトを言って、ごめんなさい。あんな風に言ったら、あなたは必要以上に頑張ろうとしてしまう。わたくしも、もう分かっていたはずなのですけど、つい頼ってしまいましたわ」

「い、いいんだ。僕は王子だから、そうするのが当然なんだから」

「……ええ。でも、ここは殿方でさえ顔を青ざめさせるロスランカの地。怯えて弱音を吐いても、それは当たり前の反応でしてよ?」


 あんなふうに命を懸けられるのは、それこそ神秘狂いのレイゴンくらいですわ、と。

 優しいガブリエラは、謝罪と一緒にベルーガの心に安心を与えてくれた。


「……ありがとう、ガブリエラ。君は本当に、僕にはもったいない婚約者フィアンセだ」

「水臭いコトをおっしゃらないで? わたくしもあなたも、親の勝手に悩まされる娘なんですもの」

「嫌になったら、いつでも言っていいんだよ? 母上やミカエル公には、僕の方から頭を下げるから」

「あら。わたくしは別に、嫌じゃないですわよ? 見ず知らずの殿方のもとに嫁がされるより、同い年のお友だちと結婚した方が、絶対楽しい夫婦生活になると思いません?」

「……ありがとう、ガブリエラ」


 同性同士の結婚なんて、少女はまったく望んでいなかったはずだ。

 同性愛者ならともかく、ガブリエラ・ゴールデンハインドは異性愛者。

 ベルーガとの結婚は少女にとって、幼い日に夢見た理想の夫婦生活を諦める決断になる。

 それでも、ガブリエラはベルーガのために、自らを犠牲に捧げる覚悟を決めていた。

 親同士の勝手な野心の火に巻き込まれただけなのに。


 ──その友情と、得がたい献身。


 報いるためにも、絶対に守り抜くとベルーガは誓っている。

 ゆえに、ようやく覚悟も完了した。


(レイゴンが僕にとって〝憧れ〟なら……)


 ガブリエラ・ゴールデンハインドは、〝尊敬と感謝〟の友だちである。

 左手で少女の手をほどきながら、


「ガブリエラ」

「はい?」

「……怖いけど、レイゴンが心配だ。状況がどうなってるか、確認しに行こう」

「! いいんですの?」

「待ってるようには言われてないし、もしかしたら、あのレイゴンでも誰かの助けを必要としているかもしれない」

「……あなたがそう決めたなら、わたくしに異存はありませんわ。あ、でもちょっとお待ちになってっ」


 ガブリエラはハッとした顔で、寝間着のポケットから石をふたつ取り出した。

 握りこぶしより一回り小さいくらいの石だった。


「昨夜の内に、拾っておいたのです。これで準備万端ですわ!」

「だから、石くらい投げられるって言ってたんだ……」

「ええ。わたくしの武器ですわね!」


 勇ましく、ふんすっ! とするガブリエラの様子に、ベルーガはつくづく思う。

 この少女はなんて気高く、そして勇敢なのだろう。

 思えば、ベルーガが襲われているかも? と思って、夜の王宮をひとりで出歩いていた少女だ。


「……僕は本当に、友人に恵まれたね」

「? それ、違うとは思いますけど、レイゴンみたいな皮肉ではないですわよね……?」

「もちろん。君ほど心強い味方はいない。心からそう思っているよ」

「そ、そうですか? フフフ、レイゴンにも聞かせてあげたいセリフですわね」

「じゃあ、行こうか」


 慎重に廊下を渡り、広間の入口で壁にカラダをくっつけながら、顔だけ斜めにして様子をうかがった。

 すると、


「「な──」」


 ベルーガとガブリエラは、揃って息を呑み込まずにはいられなかった。

 広間では、目を疑う光景が広がっていたのだ。


 赤。


 赤赤赤。


 赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤──赤!


「ヒッ」


 ガブリエラが頬を引きつらせるのも仕方がない。

 そこにあったのは、目を背けたくなるほどの真っ赤な集合体。

 否、集合体と錯覚するほど、隙間無しにワラワラ蠢く〝群れ〟の威容。

 息を吸うと、鼻の奥をツンと貫くのは鉄と臓物のひどい臭い。

 どれも怪人──オーガーやトロール、ゴブリンを模した魔力生命体に見える。


 その真ん中で、信じられない速さで交錯しているのは、オルドビス家の家紋を縫われた外套を翻すピンクブロンドの少年、黒衣のアンデッド=ゴブリン。


「あのゴブリン、レイゴンと同じ……!?」


 驚愕したガブリエラが、慌てて口元を手で抑える。

 だが、広間の闘争は少女の驚きを掻き消すハイスピードだった。

 両者は互いに、瞬間移動によるイタチごっこを演じ、アンデッド=ゴブリンが逆手剣を振るうその度に赤い魔力生命が増える。

 反面、レイゴンは


 妖精から与えられた左中指の〈取替え〉


 効果は視界内の静止した対象に限られると、ベルーガも知っている。

 これはもう、撤退を判断する局面だった。

 レイゴンもそれは分かっているだろう。

 だが、


「アイツら、渦を巻くみたいに……!」


 広間ホールの中を絶えず移動し、撤退のための〝逃げ道〟を潰している。

 パキリッ、パキッ!

 踏み鳴らされるのは、シャンデリアのガラス片か。

 〈取替え〉の選択肢が、どんどん減らされていく。


「ガブリエラッ、石を! 石をレイゴンに見せて!」

「あっ、はい! レイゴン! ここに石がありましてよ!」


 声は届かなかった。

 レイゴンはよほど集中しているのか、アンデッド=ゴブリンの奇襲を回避するのに専念していて、恐らく余裕が無い。

 逆転のための一手を模索してはいるのだろうが、時間が足りず、敵の攻撃が予想以上に早く、多勢に無勢のせいで回避以外の選択肢を取らせてもらえない様子だった。

 しかし、ベルーガとガブリエラの声で、廊下付近の魔力生命体が何体か〝渦〟の流れに綻びを生んだ。

 その瞬間を、レイゴンは直観的に見逃さなかったのだろう。


 ブォンッ!


 瞬間移動に特有の風切りを伴って、ピンクブロンドはたしかに渦の空隙を縫った。

 =


「ッ──しまっ!」

「シャルシュゥゥアァッ、シャアァァァァヴッ!!」

「「レイゴン!!」」


 呼び掛けは、ほぼ絶叫に近かった。

 アンデッド=ゴブリンの逆手剣は、完璧にレイゴンの瞬間移動先を読み切っていて、最後の最後に死角からの急所狙いではなく、真正面から獲物を狙い、その不意打ちにレイゴンは自ら喉を差し出すよう突っ込んでしまい──ショートソードを間に挟み込もうとするも、すんでのところで手が間に合わない。


 ベルーガは血の気が失せて、心臓が掻きむしられるような絶望感に襲われる。


(僕のせいだ! 僕のせいでっ、レイゴンが死んじゃう!)


 嫌だ。

 嫌だッ!


「──嫌だアァァァァァァァァァァァァァァァァァァ ァァァァァァァァァァァァァァァァァァ──ッ!!」


 手を伸ばし、現実を拒絶した。

 直後だった。


 その手に突如として聖剣が握られて、広間には白虹の『聖なる光輪グローリー・ハロー』が展開された。



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