基幹世界07.Bibian & Mr Hyde

「お疲れ様でーす」


 全員の視線が、理空りくに集まっていた。スタジオのドアを開けた瞬間である。


「ゼンジー君、君の一人負けだよ」

「クソッ、あとちょっとだったのに」


 理空は小さく息を吐く。


「……ビビアンさん。まーた、私が遅刻するかどうかで賭けてたんですか?」

「龍造寺君が集合時間に間に合うかどうか、というのは賭けの対象としてはうってつけなんだよ。なんと言っても確率が絶妙だからね。成功率45.45%、今日は間に合ったから50%ちょうどか」


 スタジオの時計が、20時ちょうどを指した。

 ゼンジーこと流山ながれやま前二郎ぜんじろうは、財布から一万円札を4枚取り出して他のメンバーに渡す。


「あと少し遅かったら、俺の一人勝ちだったんだかな」

「罰ですよ罰。人のをエンターテイメントにした罰」

「じゃあなんで俺にだけ罰が降ってるんだよ」

「どうせ賭けを持ちかけたのはゼンジーさんですよね?」

「それはそれ、これはこれだろ」


 理空は、足でチューナーのスイッチを踏む。

 準備はもうほとんど終わっていた。理空の機材はチューナーとディストーションしか無い。シールドをギターとアンプに繋いで終わりだ。後はアンプの真空管が温まるまでに、チューニングをするだけだ。


 理空がこのバンド『Bibian & Mr Hyde』に所属するようになって、おおよそ1年が経っていた。

 バンドという名目であるが、実態はサークルに近い。メンバーで演奏したい曲を話し合って、1ヶ月に一度の集まりの時に演奏するというだけの活動をしている。スタジオ外で演奏する機会は、今のところ無い。

 メンバーは、理空を含めて6人。理空以外はみんな社会人で、年齢層も高い。


「龍造寺君、今日はだったんだい?」


 手持ち無沙汰なのか、ビビアンが話しかけてきた。ボーカルの彼女は、ギタリスト以上に準備が短い。

 理空は、この女性の年齢をいまだに知らない。

 20代後半のようにも見えるし、50代前半と言われても納得するような顔をしている。

 それに加えて、派手な化粧をして、胸元が大きく開いた黒いドレスを着ているのが、余計に年齢を不祥にしている。

 出会って間もない頃は、大学教授をやっていると言われてもなかなか信じられなかった。


「人口2000人の市の市長をやらされました。5年以内に10万人にしろって条件で」

「そりゃまた無茶な。どうやって解決クリアしたんだい?」

「隣の市を地盤ごとずらして人口を強奪しました」

「はははっ、翼久たすく君みたいなことするなあ」


 チューニングをする理空の手がぴたりと止まる。ビビアンは気まずそうに目線を逸らす。


「なあ、理空」


 ゼンジーが理空に顔を向ける。


「翼久はまだ見つからないのか」


 理空は黙ってかぶりを振る。誰も、それ以上何も聞かなかった。黙々と、楽器を鳴らす音だけが響く。


「あ、これ後で食べません? 異世界みやげ」


 理空はギターケースから「子猫のひとくちモンブラン」を取り出す。

 ビビアンは、箱を回しながら、様々な角度から眺める。


「へえ、製造地ねえ」

「美味そうじゃねえか、ひとつくれよ」


 ゼンジーが伸ばした手を理空が叩いた。


「何しやがる」

「人の生活をギャンブルにする人にはあげません」

「随分とお前も言うようになったじゃねえか」


 ゼンジーが声を上げて笑う。素早く手を伸ばして1個をひったくって行った。


「すみませーん、準備終わりましたー」


 キーボード担当のアオが声を上げる。彼女は42歳だが、バンド内だと理空の次に若い。

 ビビアンが椅子から腰を上げる。


「それじゃ始めますか。何からやろうか?」

「じゃあ理空の選んだやつやろうぜ」

「はーい」


 スティックが4回鳴らされる。

 理空は、ディストーションのスイッチを踏み、『Daddy, Brother, Lover, Little Boy』のリフを掻き鳴らした。

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