異世界04.爆速で峠のスピード王になる【腕力50000倍】女子高生

「おい、聞いてんのか!」


 聞いていなかった。

「何か喚いている人がいるな」とは思っていたが、自分に話しかけているとは思っていなかった。イヤホンから流れてくる小説に耳を傾けていた。


 龍造寺りゅうぞうじ理空りくは右耳だけイヤホンを外す。

 ちょうど予鈴が鳴った。昼休みの教室は、徐々に生徒たちが戻りつつあった。


 背の小さな女が、目の前に立っていた。見覚えはあった。名前は、知らない。


 左耳のイヤホンからは、依然として、小川洋子『人質の朗読会』が流れ続けている。手元には、ダン・シモンズ『エンディミオン』の文庫本があった。


「……オーディオブックを聴きながら小説を読むとか器用な奴だな」


 女は、呆れたような目で見ていた。

 理空は、読みかけの文庫本を一旦閉じる。


「だから、放課後、顔貸せって言ってんの」


 理空の表情は微かにも動かなかった。

 理空はある時を境に、他人と関わらないようにしようと決めていた。しかし、その態度スタンスが気に触る人間は一定数いる。難癖をつけられたことは初めてではない。


「16時。体育館裏。顔出せよ。予定とかあるのか?」


 女は、語句をひとつひとつ強調するように言った。理空は首を僅かに横に振る。


「じゃあ、待ってるから。逃げんなよ」


 そう言うと女は自分の机に戻った。やはり、同じクラスの人間のようだ。

 理空は、右耳にイヤホンを戻して、文庫本に視線を戻す。

 理空は、面倒だが呼び出しに応じることにしようと思った。ああいう人間は、一度だと思わせれば絡まれなくなる。

 理空は、再び本を開く。

 今日は、何一つ予定の無い日であった。






 掃除を終え、教室のドアを開く。

 車の運転席であった。


 理空は、座席の前後を調整し、シートベルトを締める。

 なんとなく、このタイミングで気がしていた。

 バックミラーを調整する。不意に、強い光が反射する。車が、背後からゆったりと走って来て、右側に止まった。

 車には、馬を象ったエンブレムがついていた。ランボルギーニ・ディアボロだ。

 理空は、この車の名前は知らなかった。「どこかで見たことある速そうな外車」以上の知識は無い。

 ランボルギーニのマフラーから、爆撃のような音が鳴る。まるで、出力の高さを誇示しているように聞こえた。

 対して、理空の乗る車はTOYOTAのカローラツーリングだ。一般的な国産乗用車である。


 脳内に情報が流れ込んでくる。


 このは、運転技術がステータスとなる世界のようだ。

 帰還条件は最上位の走り屋になること。

 隣でエンジンをふかしている"皇帝"と呼ばれるこの男が、界隈での"最強"らしい。

 これから、この男と峠で競争しなければならないらしい。おそらく、車の性能の差から見ても、勝てる可能性は限りなくゼロに近いだろう。いわゆる一つの「負けイベント」というやつだ。


 車の質では太刀打ち出来ない。こうなると、異世界で付与される異能チート次第だ。からだの奥から、力が湧き上がってくる。今回理空に与えられたチートは——


【腕力50000倍】


 理空は、小さくため息を吐いた。

 どうやら、自身の運転技術だけで戦わなければならないようだ。


「それじゃあ始めるぞ、俺が両手を下げたらスタートだ」


 男が、車と車の間に立っていた。

 歓声が、騒音の隙間から聞こえてくる。暗くてよく見えないが、相当の観衆がいるらしい。


「待ってくれ、質問がある」


 理空は言った。男は露骨に面倒そうな顔をする。


「ゴールの定義は、『車体の一部がゴールラインを越える』で良いか?」

「そうだよ、フツーのレースと一緒だ。もういいだろ」


 男は目を逸らして、ひらひらと右手を振った。時間を稼ぐための質問だったが、早々に切り上げられてしまった。

 男は両手を上げた。もう、競争を始めるようだ。心の準備をする時間すら、与えてはくれない。

 異世界は、いつも唐突で理不尽だ。


「スリー……ツー……」


 理空は、シフトレバーを握った。ぐにゃりと、飴細工のように曲がった。軽く握ったはずだった。

 理空は、生卵を持つような手つきでシフトレバーを持ち直し、ギアを1速に入れる。


「ワン……ゴー!」


 男が両手を振り下ろす。理空はアクセルを踏む。ギアを、慎重に上げていく。

 スタートは、ほぼ同時であった。初速だけなら負けていない。しかし、すぐさま離される。加速力は、雲泥の差だ。

 それでも、必死に喰らいついた。理空は、峠の湾曲した道を、スピードをほぼ落とさずに走り抜ける。

 理空が車を運転するのは、初めてではなかった。エンジンがついている機械はだいたい操作したことがある。車、重機、船、電車、飛行機、スペースシャトル、ロボット。もちろん、異世界での話だ。


 この峠は、鋭いカーブの多い、上級者向けのコースだった。これは、理空に有利に働いた。直線がメインのコースだったら、小細工テクニックの介在する余地は無い。

 ヘアピンカーブで、車が横並びになる。皇帝と目が合う。こちらを見て口元を緩めた。短い直線。そして、また大きなカーブが見えた。ランボルギーニは、ややスピードを緩める。理空は、そこでアクセルを踏み込む。一気に前に出る。ハンドルを右に回しつつ、サイドブレーキを引く。後輪が、横滑りする。車は、スピードを保ったまま、カーブを抜けた。

 いける。確信した。現在地からゴールまで、もう長い直線は無い。

 次のカーブが見えてきた。ここを抜けたらゴールが見える。腕に、力が入る。左にハンドルを切る。切れなかった。ハンドルが、根本から折れていた。ガードレール。衝突する。大きな衝撃と共に、フロントガラスが粉々に砕けた。


 理空は、よろよろになりながら外に出た。エアバッグのお陰で、躰にほとんどダメージは無かったが、車は自走出来ないほど大破していた。

 ランボルギーニが、横を通り過ぎた。ゴールは、すぐ先の坂道を登ったところだった。

 理空は、小さくため息を吐くと、車を両手で持ち上げ、ゴールに向かって投げた。








「逃げなかったな」


 16時ちょうどであった。

 体育館裏は、理空を呼び出した背の小さい女を含め、3人が待ち構えていた。


 一応、背の小さい女の名前は確認しておいた。クラスメイトである。


「ええと……トンマ・テイさん……」

天馬てんま といだ! 殴るぞ!」

「えっ、ああ……それは申し訳ない……」


 人の名前を覚えるのはどうにも苦手であった。理空は自分の顔が熱くなるのを感じた。

 背の小さい女子——天馬問は目を吊り上げてた。その後ろにいる女子2人は肩を震わせていた。笑いを、押し殺せていない。


「まあいいや。龍造寺理空、日がくれないうちに対決するぞ」


 天馬問は腕を組んでいた。

 理空は、左足を後ろに引き、両手を前に構えた。

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