文化祭準備期間、俺の仕事はビラ配り

 昼下がりの校内は、すこぶる浮き足立っていた。校舎の隅々まで非日常的な雰囲気が漂っている。

 すれ違う生徒全員の表情は皆一様に明るく、あちらこちらの教室から、楽しそうな声がひっきりなしに聞こえてくる。


 今日は皆が大嫌いな月曜のはずなのに、こんなに笑顔が絶えないなんて、おかしな話だ。やれやれ、信じられないぜ。

 まあ実は全然これっぽっちも、不思議じゃないんですけども。


 なんたって、今日から十月最後の週に入ったのだ。

 こうなるのは予想していたし、むしろ確信までしていた。

 唯一予想外だったことは、俺に任された役割だけ。


 邪魔にならない廊下の隅で、休憩がてらに足を止める。

 そして、両手で抱えている紙の束へと目を落とした。

 雲みたいにフワフワとしたデザインとフォントで構成されているピンク色のビラ、その紙面にざっと目を通す。


『!一年二組プレゼンツ☆男女逆転メイド喫茶!

 癒しのひとときを共に過ごしませんか?♡後悔なんて絶対させませんっ!♡

 ご主人さま♡お嬢さま♡あなたのお帰りを待っています♡』


 深い溜め息が出た。

 頭が痛くなった。

 帰りたくなった。


 週末土曜に差し迫った、文化祭。

 今日から始まる五日間の、文化祭準備期間。

 その間に俺に任された仕事は、ビラ配り。


 恥を配るのも同然な仕事内容に、数百枚もあるうちのまだ一枚のビラも配っていない段階で、俺は既に満身創痍になっていた。



 ────



 うちの高校の文化祭は、三日間に渡って開催される。曜日で言うと、土日月の三日間だ。初日は校内のみで開かれ、二日目以降は一般公開という、良くある形で行われる。

 五日間ある準備期間のうち二日間は半日授業で、残りの三日間は全日準備になる。


 でも、それは名目上だ。十一月の初めに開催するという日程のため、十一月三日にある文化の日と必然的にスケジュールが被ってしまうのだが、その場合はそれが何曜日であろうとも、その休みは火曜にスライドされる。

 しかし、火曜が休みになったとしても、本当に休みになったわけじゃない。自分でも矛盾したことを言っているのは分かっているけど、これぞ校則には書かれていない、暗黙の了解ってやつだ。

 火曜に学校に来ない生徒はいない。真矢さんがそう言ってた。


 そんなわけで実質四日間、朝から晩まで存分に、今週は準備だけに励むことが出来る。

 そういう背景も相まってか、今週ある唯一の授業をこなし終えた開放感によって、現在の校内の空気はとても弛緩していた。


 多分、俺だけだ。こんなに暗い顔をしているのは。

 この紙の束を今すぐに窓の外へ放り投げたい。もしくは今すぐに帰りたい。

 俺はもう限界だ。こんな恥ずかしいものを抱えている羞恥心と、こんな重たいものを抱えている疲労感で、精神的にも体力的にも限界がきている。


 そもそも何でまだ準備期間の段階で、フライング気味にビラを配らないといけないのか、疑問でしかない。

 こういうのは文化祭が始まってからの、和気藹々わきあいあいとした雰囲気の中で配るものなんじゃないのか?いや、今も和気藹々とはしてるけども。

 でも、準備中だよ?手が空いてない人の方が多いよ?忙しい時にこんな馬鹿みたいな紙切れを渡されたら、俺なら絶対に怒るぞ。ブチ切れるぞ。


 はあもー……何で俺だけ、こんな損な役を与えられたんだよぉ……。

 俺だって内装の仕事をしたかったのに、教室の飾り付けとかやりたかったのに……。


 それなのに壇ノ浦さんと吉野ヶ里さんが、


『あ〜、こっちはダイジョブダイジョブ〜!こういう力を使う仕事はアッスンはしなくていいよ〜!怪我したら大変だからね〜!

 このクラスはアッスンが頼りなんだからさ〜!当日は八面六臂はちめんろっぴの活躍を期待してっからね〜!

 まっ、そういうことだからっ!アッスンはこれでものんびり配ってて〜!文化祭中にアッスンが宣伝に回ることって、中々出来ないと思うから〜!』

『……宣伝、超大事……』


 とか言って、無駄な森林破壊の象徴みたいな紙の束を無理やり押し付けてくるから、俺はこんなに苦しむことになってしまった。

 くそう、なんで俺だけ準備期間中にも恥を晒さないといけないんだよ。

 ボイコットしてやろうかな、ほんと。


 とは言ってみたものの、そんな無責任なことが出来るような度胸は、俺にはもちろん無い。

 風邪を引いて熱でも出さない限りは、俺は三日間恥を晒し続けるしかないのだ。

 そういうレールが、俺の前には敷かれているのだ。


「はああー……」


 溜め息がまた出てきた。

 嫌々、紙束に目を落とす。


 見た感じ500枚以上はあるぞ……これ。

 確かうちの全校生徒は600ちょいだから、単純に考えてみても、八割以上の生徒に配らないと捌き切れない枚数だ。

 校外からの来場者がある一般公開中ならまだしも、校内での開催すらしていない今の段階で、配り切れるような量じゃないだろ、絶対に。


 というか、配り切らなくたっていいんだろうな。壇ノ浦さん、のんびりでって言ってたし。

 なんせ俺の本番は、文化祭当日。その時を迎えたら、エースの力のみで甲子園まで勝ち抜いてきた学校みたいに、酷使されるのは分かり切っているのだ。


 すっと顔を上げて、窓を見る。外の風景ではなくて、そこに反射している自分の顔を眺める。

 数十秒の間、窓に映っている自分と、睨み合ってみる。


「そんなにかぁ……?」


 いやまあ、自分で言うのも悲しくはなるけれど、可愛いか可愛くないかで言えば、そりゃ可愛いとは思うよ。俺の主観を切り離して、客観的に考えたらね。

 でもでも、莉奈さんとかと比べたら、別にもう全然なんだぜっ?男だから胸があるわけでもないしさぁ。


 身長ギリ160(その日のコンディション次第)のちんちくりんの青目の銀髪メイド(男)に需要があるとは、これっぽっちも思えない。

 母さんみたいな特殊な人間くらいだろ、これの需要がある層って。ネットの底に沈めておくべき特殊性癖だよ、ただの。


 男子校の文化祭じゃないんだから、わざわざ逆転させる必要性が、やっぱり感じられない。

 壇ノ浦さんと吉野ヶ里さんとか、うちのクラスの女子がメイドの格好をしていた方が、男子も含めて皆喜ぶと思うんだけどなぁ。

 壇ノ浦さんは俺頼りとか言ってたけど、いざ本番当日に閑古鳥が鳴いたって知らないからな。責任なんて取らないぞ。


「青澄くん、大丈夫?」


 肩を叩かれ、ふと我に返る。

 振り返ってみると、そこには女子が立っていた。

 他クラスの人だ。四組の人だ。佐藤さんだ。

 佐藤さんが、心配そうな顔で俺を見ていた。俺がずっと無言で佇んでいるせいで、体調不良か何かと勘違いさせてしまったらしい。


「ぜ、全然大丈夫だよっ!心配かけてごめんねっ!」


 俺は即座に首を振る。

 佐藤さんは友達というより、顔見知りくらいの関係性なので、申し訳なさが凄かった。


「そう?なら良かったよー」


 佐藤さんは安心したような顔で微笑むと、俺の手元に目を向ける。


「それって何の紙なの?凄いたくさん持ってるけど」


 ぎくり、体が強張る。

 顔が引き攣る。

 冷たいものが頬を伝う。


「ええーっと……」


 一応は単なるビラなのに、万引きを見つかったみたいな、謎の緊張感。

 不特定多数に配るべきものなのに、千載一遇のチャンスなのに、言葉を濁そうとするなよ、俺の馬鹿。


「?」


 佐藤さんが不思議そうな顔で、こちらを見ている。


 ……俺は腹をくくることにした。

 羞恥心を押し殺して、役目を果たすことにした。

 それがどんな億劫な内容だろうと、与えられた仕事はこなさないと……。


「これはね、うちのクラスでやる出し物のビラなんだ。良ければ、貰ってやってください」


 紙束から一枚を抜いて、佐藤さんへ差し出す。

 ありがたいことに、佐藤さんはそれを受け取ってくれた。

 どれどれと目の前で内容を確認し始める。


「へえー、二組はメイド喫茶なんてやるんだね……って、男女逆転っ?!」


 佐藤さんの目の色が変わった。


「わたし絶対行くねっ!」

「あ、うん、ぜひ来てください……?」


 血走ったような目で見つめられ、俺は戸惑いながら頷いた。


 もしかして俺が思っているよりも、需要あるのか……これ……?

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