母さんや、二面性にもほどがある

 莉奈さんってほんとに凄いなぁー。


 二人で公園で遊び始めてから今に至るまで、俺はただただそう思っていた。

 莉奈さんに出来ないことって、料理以外には無いんじゃないのかな?綺麗で頭が良くて運動神経まで良いなんて、天はこの人に何物与えれば気が済むんだよ。

 確かに逆上がりが得意とは言っていたけど、あんなに何回も連続で回れるなんて……今から体操選手にもなれるんじゃないのかな?


 ちなみに着替えが無いので当然の話だが、鉄棒から始まってシーソー、滑り台、ジャングルジムなどなど、その全てにおいて莉奈さんはスカートのままだった。


 なので、俺の心労は物凄かった。


 即座に目を逸らして顔全体を手で覆い隠す行為を、二十回以上はやったと思う。

 莉奈さんは本当に一切、俺の目を気にしていなかった。まさか見られても良いという言葉が、冗談じゃなかったなんて。

 

 はあ、それにしても、何で俺が顔を赤くして隠す側なんだろう……?俺って男として見られてないのかな……何とも言えない複雑な気分だ……。

 家族として、弟として、莉奈さんに心を許して貰えているのは嬉しいことだけどさぁ……ねぇ……?


 自分の不甲斐なさに、俺が溜め息をつくかつかないかの瀬戸際で、隣のブランコの莉奈さんが、


「子供の頃に戻ったみたいで、楽しかったねっ」


 と、屈託のない笑顔を向けてきた。それは太陽にも劣らない眩しさだった。サングラスが無かったら焼死してたかもしれない。

 俺はこくりと頷く。


「はい、とっても楽しかったですっ」


 嘘じゃない。一抹の羞恥心と複雑さはあったけど、楽しかったのは紛れもない事実なのだ。

 不意に莉奈さんがスマホを取り出して、時間の確認を始める。


「……あ、もうこんな時間なんだ。あっという間だったなぁ……」


 俺もスマホを取り出し、待機画面を見てみると、ちょうど四時になったところだった。

 確か二時前から遊び始めたはずなので、あれから二時間以上は経過しているらしい。

 …………え、嘘だろ?体感よりもずっとずっと、時の流れが早すぎる。ゲームしてる時と同じぐらい、一瞬で時間が過ぎ去ってしまったぞ。


「そろそろ帰りますか?」

「んー……もう少しだけ、いいかな?」

「もちろん、全然大丈夫です」


 莉奈さんは八時の電車で帰るので、まだ時間に余裕はある。五時までに帰れさえすれば、風呂にゆっくり浸かったとしても、夕飯の支度は余裕で間に合うはずだ。


「ありがと、青澄くん」


 莉奈さんが小さく微笑む。さっきとは種類の違う、穏やかなその笑顔に、胸がどきりとした。

 そこから少しの無言の時間。莉奈さんは遠くの山の方を眺めている。

 不意に涼風のような声が、俺の鼓膜を揺らした。


「……この辺りは静かで、落ち着くね。向こうと違って」


 田舎ですから、とは言わない。

 そんな無粋な返答は、今この場に漂っている雰囲気には決してそぐわない。

 だから、


「莉奈さんにここを気に入って貰えたなら、俺も案内した甲斐がありました」


 俺はそう返した。無難な答えだったと思う。


「あーあー、早く来年にならないかな」


 莉奈さんが不満げに唇を尖らせながら、ゆっくりとブランコを漕ぎ出した。鎖がうねって、キイキイと音が鳴る。


「分かります。俺も早く来年になって欲しいです」


 目下の悩みの種である文化祭が開催される十一月にはなって欲しくないけれど、莉奈さんが引っ越してくる一月には早くなって欲しいという、まさにジレンマ。

 人生ってままならないなぁ……。


「ねえ、青澄くん。お母さんもね、悪い人じゃないんだよ」


 全く同じ台詞を顔合わせの日に聞いたのを思い出す。

 あの時のは超のつく棒読みだったけど、今回のは感情がちゃんと籠っていた。


「急にどうかしましたか?」

「いやね、青澄くんがお母さんに悩まされてるのを見てると、凄い申し訳ない気持ちになっちゃって。だから実の娘であるこの私が、青澄くんの中にあるお母さんの汚名を少しでも返上させていかないとなぁ……と思ってね」


 ははー、なるほど。それなら是非ともお願いしたい。

 俺だって出来るのなら、母さんを尊敬したいのだ。


「お母さんはね、家では昔っからあんな感じなんだけど、実は会社とかでは全く違うんだよ」

「そうなんですか?」

「うん。もはや真逆というか、ツンドラっていう感じかな」


 つ、ツンドラ?なんだそれ?ツンデレじゃなくて?いやツンデレでもおかしいけど。


「ツンドラ知ってる?」

「はい、凄く寒いところですよね」

「うん、そうだね。つまりそういうこと」


 …………つまりどういうこと?


「お母さんは会社では、凄く恐れられてるんだよ。冷酷無情な鬼部長として」

「えっ」


 恐れられてる?冷酷無情?鬼部長?あの母さんが?

 そのワードのどれもが、これっぽっちもしっくり来ない。母さんとの同義語を選ぶ問題があったとすれば、真っ先に切り捨てる選択肢に思える。


「もう目付きからして違うんだよね。眉間にこんな深い皺が寄ってて」

「ええー、それほんとですかぁ?」


 半信半疑、というか、一信九疑。

 俺の脳裏に浮かんだ母さんの顔は、夏場のチョコレートぐらい緩んでいて、その瞳はキラキラと輝いていた。うん、これが母さんだ。


「本当だよ。写真もあるから……ほら見て?」


 莉奈さんがブランコを止めて、俺にスマホを向ける。

 どれどれと、俺はその画面を覗き込んだ。

 そこに写っていた人物は、


「……誰です、これ?」


 到底知らない人だった。

 不機嫌そうなしかめっ面だけれど、整った顔立ちをしているのが分かる、スーツ姿の大人の女性。異様に鋭い目付きのせいか、どこか日本刀を連想させる。


 うへぇ……とんでもない美人さんだ。これぞキャリアウーマンといった感じの、仕事がバリバリに出来るお方だと一目で分かる。

 いやー、めっちゃ綺麗な人だなぁ…………で、母さんの写真は?


「だから、お母さんだってば」


 嘘ぅ!?これがぁ!?あのぅ!?母さん!?嘘ぅ!?


「いやいや、全然違うじゃないですかぁっ!?」


 外では全く違うってレベルじゃないよっ!?別人でしょこれぇっ!?これが母さんと同一人物だとしたら、俺もう何も信じられないですよ!?


「ね、私も初めて知った時は驚いたよ」


 莉奈さんがしみじみと頷いている。


「顔合わせの時に言おうかなとも、考えてたんだけどね。でも私のことを一切聞かされずに、当日とってもビックリしていた青澄くんを、もっと無駄に驚かせちゃうだけだと思ってね」


 お気遣い大変ありがとうございます。莉奈さんってほんとに優しいなぁ……。

 でも、なるほどなるほど。あの時の莉奈さんの無言はこれが原因だったのか。


「……人間って、不思議な生き物ですね」


 そんな言葉が俺の口から勝手にこぼれ出た。


「どう?多少はお母さんを見る目が変わってくれたかな?」

「はい、それはもう……」


 まあ……完全に見直したわけでは無いですけど、会社でのストレスによって、家でああなってしまうのだと考えたら、もう少し優しくしてやっても良いのかもな……。


「ふふ、良かった」


 そう言いながら、莉奈さんが嬉しそうに笑った。どこか満足げな顔だ。

 母さんの株を上げることに成功したので、喜んでいるに違いない。俺も近所の方々に父さんを褒められると、つい嬉しくなるので、その気持ちは良く分かる。


「よしっ」


 何かを決めた様子で、急に立ち上がる莉奈さん。

 三歩前に進んで、俺の方にちらりと振り返る。


「そろそろ帰ろっか」


 その言葉を聞いたと同時に、俺も座っていたブランコから立ち上がった。


「はいっ」


 そして、家路を辿る。行きよりも緩やかなスピードで小道を歩く。先ほどと同じで、人通りは皆無だった。

 余裕で五時前に家に着けたので、風呂も夕飯の支度も悠々と済ませる。


 六時半を迎える頃に、出かけていた父さんと母さんが帰ってきた。

 大方の予想通り、帰宅して早々に母さんは俺へと飛びかかってくる。あんな話を聞いた手前、俺は仕方なく避けるのを諦めて、大人しく抱き締められてやった。

 そのせいで調子に乗った母さんが、一緒に風呂に入ろうと迫ってきたので、断固として拒否してやった。

 当然ながら、莉奈さんに鉄拳制裁される母さん。いつものように床に伸びる。哀れだ……。

 ノックアウト状態の母さんを抱え起こすのは、父さんの役割。この家において、これが父さんの唯一の仕事なのかもしれない。


 まあそんな紆余曲折はあったものの、四人揃って食卓についたら、手と手を合わせていただきますとなり、それからおよそ四十分後、ごちそうさまとなる。

 時刻は七時十三分。ここから駅までは車で十五分なので、莉奈さんの帰り支度を考えると、丁度いい時間だった。


 莉奈さんが帰りの準備を始めると、俺はその間に皿洗いを手短に済ませ、部屋着からラフな格好へと着替えていく。

 俺がわざわざ着替える理由は、留守番だった昨日とは違って、今日は駅まで同行するからだ。


 莉奈さんの準備が終わると、それすなわち出発の時間。玄関を出て車へ向かう。

 熾烈なジャンケン(母さんが俺の隣に座りたがるせいで)の果てに、助手席は母さんに決まった。つまりは莉奈さんが隣だ。良かった。


 そしたら車に乗って、いざ出発。エンジン音が車庫に響く。

 車が動き出すよりも先に、斜め前の母さんと目が合った。物理的な距離を考えて真後ろの席に座るのを避けたけれど、首の可動域的に、その選択は間違いだったかもしれない。


「青澄きゅん!帰りは隣に座ろうね〜っ!あと一緒に寝ようね〜っ!」


 勘弁してくれ。心の底から勘弁してくれ。

 やっぱ莉奈さん嘘ついてないか?これがあの写真の人と同一人物なわけないだろ。あってたまるか。


「お・か・あ・さ・ん……私のアシストを水の泡にしないで」

「うぎゅうっ!?」


 眉間に皺を寄せた莉奈さんが、母さんの首元へと腕を回した。真後ろから、しっかりと、ぎっちりと。


 流石は莉奈さんだ。助手席って一番死ぬ確率が高いとか聞くし、シートベルトだけじゃ危ないもんな。うんうん。


「……ぅ、…………」


 身の安全を確保された安心感からか、母さんはすぐに失神……じゃなくて、寝落ちした。


 車の中に平和が訪れる。


 腕を離した莉奈さんが、気まずそうな顔で俺を見た。


「……も、もう一回写真見せようか?」

「……大丈夫です」


 

 ──────



 トラブルの元凶に最もなり得る母さんが意識を失っているおかげで、何の問題もなく駅まで着いた。

 莉奈さんを改札まで見送るので、一人だけ車内に放置も可哀想かと思い、心底気は進まないけれども母さんを起こそうとしたところ、実の娘である莉奈さんが「別に起こさなくてもいいよ」と言ってくれたので、お言葉に甘えて存分に放置させて貰う。


 そして、改札前。

 ここでお別れとなるので、短い距離ではあるが代わりに持たせて貰っていた鞄を、莉奈さんに渡す。


「気をつけて帰ってくださいねっ!」

「うんっ。青澄くん、またね」


 莉奈さんが手をゆらゆらと揺らしながら、改札へと向かっていく。

 改札を通る寸前で、何かを思い出したかのように、莉奈さんがこちらへ振り返った。やや悪戯っぽい顔をしていた。


「あ、そうそう。次に会うのは、文化祭の時になるかな。ふふっ、楽しみにしてるよ」


 それだけ言い残すと、莉奈さんは階段の彼方へと姿を消していった。

 後に残されたのは、棒のように立ち尽くしたままの俺と、ついでに父さん(あんたいっつも蚊帳の外だな)


「父さん……」

「……頑張れ」


 何をだよ、こんちくしょう……!

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