晩飯と羞恥心2

 文化祭、文化祭かぁ……。そうだよなぁ、その話題があったよなぁ……。

 俺としたことがしっかり忘れてた。うん、全然うっかりじゃない。しっかり。

 ど、どうしよう……どうにかしてでも、この話は逸らさないと。莉奈さんだけならともかく(ともかくでもないけど)、母さんにまで伝わったら厳しいものがあるぜ。黒歴史を後世まで書き残す趣味は俺にはないのだ。


「え、あー……文化祭って、あの文化祭ですよね?」

「うん、そうそう」

「何百年も昔から伝統として引き継がれている、この地域一帯の文化に深く根付いた、あの」

「ううん、そうじゃなくて」


 ですよね、はい。


「青澄くんのやる出し物は何になったの?」


 はい!男女逆転メイド喫茶です!ぜひ来てくださいねっ!

 ……なんて言えるかぁっ!言えねぇよっ!口に出したくもねぇよっ!出来れば思い浮かべたくもなぁっ!


「あー、えっと、この味噌汁の出汁はオーソドックスに昆布と」

「ううん、そうでもなくて」


 ですよね、はい。二度もすいません。


「出汁の物じゃなくて、出し物の話ね」


 睨まれてるわけではないけれど、莉奈さんの目がやんわり細くなっている。簡単に言うと、不審を抱き始めてる人の目だ。

 だ、駄目だ、お終いだぁ……。莉奈さんの堪忍袋が爆散する前に、言うしかないか……。


「……飲食……系、ですね」

「なるほど飲食系かぁ、いいね楽しそう。じゃあ、カフェとか?」


 飲食というか、ただのショックというか……。

 カフェだけど、カフェじゃないというか……。


「そう、ですね。カフェです。ただの、ほんと、見る価値もないというか、なんの変哲もなくて」


 言いながら視線を逸らす。上を見る。

 嘘が下手とは良く言われるけど、その実感は今まで俺には無かった。けど、今は強く実感している。

 ああ、俺って嘘下手なんだ、と。


「青澄くん、どこ見てるの?」


 LEDって寿命が十年もあるらしいけど、俺は十年後に何をしているんだろうね。ひとまずメイド服とは縁がないといいね。というか女装とは縁がないといいね。


「おーい青澄くん?」


 俺が現実逃避をしている間に、いつの間にか莉奈さんは身を乗り出すように机に手をついていて、鼻の先が触れ合いそうになる距離まで顔を詰めてきていた。ちなみに吐息はかかってる。

 言うまでもないだろうが、


「ひゃおうっ!?」


 俺は盛大に飛び退いた。その勢いままに椅子から転げ落ちた。自分でも驚くほど素っ頓狂な声が出た。


「だ、大丈夫っ?!」


 莉奈さんが慌てながら素早く駆け寄ってくる。

 そ、そんな心配されるようなことじゃ……いや、心配されるようなことだった。だってめちゃくちゃド派手に飛んだもん。頭を打ってないのが奇跡だよ。


「す、すいません、大丈夫です。ちょっと驚いただけで」


 嘘です。超驚きました。

 日本一綺麗な可能性のある人の顔がほんの目の前にあったので、心臓飛び出るかと思いました。

 昔にネットで流行っていたらしい、ほのぼのとした映像から急に怖い顔が出てくるブラクラというやつの逆バージョンだったよ。しかも殺傷力はそれ以上の。


「ごめんね、そんなに驚かせちゃうとは思わなくて……」


 もしも莉奈さんに何か俺から小言を言うとしたら、あんまり自分の顔とかを過小評価しないでください、その一択だと思われる。

 冗談抜きで相手が俺じゃなくて政道だったら死んでたぞ。それくらいのことなんだぞ。

 莉奈さんには少し認識を改めて貰おう。莉奈さんから見る俺は単なる家族だろうけど、俺から見る莉奈さんは家族の他に人気女優も付くんだ。このままだと心臓が持たない。どこかで死ぬ。

 俺のためにも莉奈さんのためにも、言うべきことはちゃんと言おう。


「……それは驚きますよ。だって莉奈さんは、凄く綺麗ですし……」


 俺としては明るく軽めのトーンで言うつもりだったが、想像以上に重いトーンで、その言葉は出てしまった。

 まるであれだ、告白とかする時の言い方だ。もっと冗談めかしく言うつもりだったのに、莉奈さんに引かれてないといいんだけどなぁ……でも言われ慣れてるだろうし、大丈夫か……?

 恐る恐る、莉奈さんの様子をうかがう。


「……そ、そっか……」


 莉奈さんは乱れてない綺麗な黒髪に手櫛をさらさら通しながら、向こうの方を向いていた。

 表情は見えないけど、引かれてはない……と思う。

 しかし、なんだか気まずい。静寂が流れる。


「…………」

「…………」


 三十秒以上一分未満の無言、先に耐え切れなくなったのは俺の方だった。


「め、メイドカフェやるんですっ!正式名称は男女逆転メイド喫茶ってやつなんですけど!」


 場の空気を変えるためにはパワーワードを使うしかないと、追い詰められていた俺はついに言ってしまった。

 莉奈さんがぴたり動きを止めて、ゆっくりとこちらを向く。


「男女逆転メイド喫茶……?」


 作戦は成功したみたいだ。でも失敗だよ、こんなの。

 空気は変えられたけど、この空気が好きかと言われたら、自信を持って違うと言える。世界の中心でも余裕で言える。


「……そうです」

「それってつまりは、青澄くんがメイドの格好をするってこと?」

「……そう……なりますね」


 全く認めたくはないが、そうなんだよな、そうなるんだよな、そうならざるを得ないんだよな。

 …………あの時はなぜか論破されたけど、冷静に考えたらやっぱり頭おかしいよ……何だよ、男女逆転メイド喫茶って……逆転する必要とかあるのかよ……野球とかじゃあるまいし……。


「青澄くん」

「ん、どうかしましたか?」


 莉奈さんにポンと肩に手を置かれ、俺は首を傾げた。

 真っ直ぐに見てくる、莉奈さん。首を傾げたままの、俺。

 やがて莉奈さんが口を開いた。


「絶対に見に行くね」


 あの……勘弁してください。莉奈さんには母さんの血だけは目覚めさせないで頂きたいです、ほんとに。

 しかしなんというか、莉奈さんの場合は嫌悪感がまるで出てこないな。これが惚れた弱みってやつだろうか?いや違うか。


「ぜ、絶対ですか?」


 俺が尋ねてみると、莉奈さんが曇りなく頷いた。


「うん。だって面白そうだもん」


 まあ、それは分かります。否定出来ないです。

 俺だって部外者だったら、真っ先に見に行く出し物だと思うもん。内だから問題なだけで、傍から見れば絶対に面白いもん。


「……気持ち悪いとか思わないでくださいね」

「そんなこと絶対に思わないよ」

「絶対ですか?」

「うん、絶対に」


 なら……いっか。別に見られたって減るもんじゃないし。男女逆転してるから、俺以外の野郎もメイド服を着てるわけだし。赤信号、皆で渡れば怖くないし。

 俺がそうやって自分を納得させようとしていると、


「私も絶対に行くからね〜っ!青澄きゅんっ!」


 なんて、積極的には聞きたくない人の声が、後方から聞こえてきた。くそ、聞かれてたのかよ……。

 それが誰なのかは説明しない。するまでもない。振り返りたくもない。

 だから俺は今日一番の声量で言う。


「絶対に来るなぁっ!」


 と、喉が枯れんばかりに。

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