顔合わせの場所、大層すぎる
放課後は予定通りだった。
迎えに来てくれた父さんの車に乗ると、顔合わせの舞台だと言う、さぞ高級そうな料亭へと俺は大人しく搬送された。
俺みたいな一般市民には一生縁が無いものだと思っていた、その高級そうな料亭は、時代が時代なら悪代官が山吹色のお菓子でも差し入れされていそうな、豪奢で和風な佇まいをしていた。
その見た目通りにこの店はVIP御用達なのだろうか、停まっているのは黒い高級車が多い。それも全部が全部ご丁寧にカーテンまで張ってあって、車の中まで見えない仕様になっている。
う、これはマジの店だ……と俺が冷や汗垂らしてビビっていると、父さんがスタスタと何食わぬ顔で門の方へと向かっていくのが見えた。ああっ、こんな場所に置いてかないで!
別に隠れる必要なんて無いのだけども、俺は父さんの後ろに身を隠すように、その背中を小走りで追いかけた。
門を潜ると、そこには見事な庭園があった。
敷き詰められた砂利……砂利なんて雑に呼んでいいのかな?まあ、綺麗な真っ白の小石みたいなのが地面には敷き詰められていて、松の木とか灯篭とかもあって、もちろん錦鯉の泳いでいる池もあって、時代劇で良く見る竹のアレ(正式名称不明)もあって、カコンと小気味の良い音が聞こえてきた。
そんな立派な庭をこれでもかと見せつけられたせいで、俺は店の敷居を跨ぐ前から、ガチガチに緊張してしまった。
顔合わせなんてファミレスでいいじゃない、何てことは言わないけど、大層な場所すぎてちょっと引く。個室ではあるべきだけど、こんな箸を持つのにも逐一マナーがありそうな場所じゃあ、個室だろうと落ち着けないって。
あー、嫌だなぁ……。
敷居を跨いで開口一番「ようこそ、お越し下さいました」と腰の低い着物姿の美人な女将さん(推定、二十代後半から三十代前半)が、関西のイントネーションで惚れ惚れするほど見事な礼をかましてきたので、俺も鋭利に直角にビシッと頭を下げて「こちらこそ!ようこそお越し下さいました!」と精一杯の礼で返した。
シーンと、静寂の音がした。
やっちまった。やっちまったのRTA世界記録を更新したかもしれない。
ぶわっと全身の毛穴から噴き出す汗に、俺の動揺が加速した。
「あ、いや、今のはっ」
と、不恰好ながら弁明を始めようとしたら、女将さんが柔らかい笑みを浮かべて、そして父さんの方を見て、口元を着物の袖で隠しながら、
「うふふ、可愛らしいお嬢さんですね」
いや、お坊ちゃんですから!お嬢さんじゃないですから!立派に男の方やらせてもらってますからぁっ!
当然、声を荒げてそう反論するわけにもいかず、ミスした手前訂正するのも何だか申し訳ない気がしたので、俺は曖昧な笑みで返した。
へへっ、男ですよ、俺は。通じないか、そうですか。
「……ほんま可愛らしいわぁ」
蚊の鳴くような微かな声だったが、そんな言葉が聞こえたような気もしたけど、きっと聞き間違いだ。
獲物を狙う鷹のように、眼光が鋭くなった気もしたけど、きっと見間違えだ。
挨拶を済ませると、女将さんに案内されながら長い廊下を歩いていく。
通りすがる個室たち。耳を澄ませたら、聞かれたからにはもう君は殺すしかないかぁ、と拳銃片手に言われる程度の機密情報が聞こえてきそうな気がしたので、耳をしっかりと両手で塞いでいたら、着いてきているかの確認のために振り返ったろう女将さんからは微笑をプレゼントされた。恥ずかしかった。すぐにやめた。
やがて女将さんが、とある襖の前で立ち止まった。
「此方になります」
と、女将さんが体ごとこっちに振り向いて、深々と頭を下げる。
俺も反射的に深々と頭を下げてしまったが、さっきみたいに「こちらこそ、此方になります!」とは言わなかった。
圧倒的成長。一度した失敗は繰り返さない。卵焼きの味付けも二度と間違えない。あれは甘すぎた。
「青澄」
父さんが俺の方を見る。心の準備はいいか、とでも言いたいのだろう。
本音を言うと、あと五分……いや十分待たせて、と首を振りながら言いたいところだけれど、この場の雰囲気的にそれは難しい。
俺はグッと親指を立てた。サムズアップ。
そして、
「おうよ、どんと来いだぜ、ワクワクするぜ」
父さんにはふてぶてしく、そう言ってやった。
普段よりも若干粗暴な口調で、我ながら男らしさ全開だ。
これで女将さんも俺をお嬢さんではなく、お坊ちゃんだったんだと、自分の勘違いを自覚してくれることだろう。
「この子うちに欲しいわぁ……」
あれ、何かさっきよりも悪化してないか?
いや、聞き間違いだろうけどさ。
女将さんの真意までは分からなかったが、俺の家庭のプライバシーを尊重してくれるようで、優雅な足取りで去っていく。
注文とか聞かなくていいのかな?あ、こういう店ってボタンを押して店員さん呼ぶタイプじゃないか。予約の段階とかでコースは決めてあるのか。
そうやって自問自答をしていると、
「…………」
父さんが無言で俺をじっと見ていた。
「…………?」
俺は首を捻る。
「…………」
父さんが無言で俺を見ている。
「…………」
あ、え、もしかして俺が開けるの?
マジですか?父さんってば、そんな意地悪なこと言わないでよ。
寡黙だけど優しいのが俺の父さんじゃないか。
「……はぁ……分かったよ、もう」
俺は頬を二度叩いて、決意を固めた。
そうしたら、襖に指をかける。
さあ、開ける、開けるぞ?開けてやるぞ?ほんとに開けちゃうぞー?
控えめに、だけど多めに、チラチラって父さんの方を見ても、代わろうと言い出してはくれない。
もしかしたら卵焼きの仕返しかもしれない。その件についてはごめんなさい。弁明の余地もないです。
「……し、失礼しますぅ……」
それは自分でも情けなくなる、か細い声だった。蚊ですら出せない声だった。
ゆっくりと襖を開けていく。
「…………?」
厳かな和室の中に、人の姿は見えなかった。
誰も座っていない四つの座布団が、置いてある机を挟んで対面に二つずつ並べられている。
俺は眉をひそめながら、そんな無人?の部屋の中へと入っていった。
というか四つって、もしかして二人いるの?おい、父さん!それは話が違う!
キッと振り向いて、父さんに不平不満をぶつけようとしたら、既に誰かが俺の目の前にやって来ていた。その人影のサイズ感的に、父さんじゃない。
襖の影にでも隠れていたのか?そんなお茶目なことを父さんがするわけないから、やっぱりこれは父さんじゃない。
じゃあこれだれっ──
「やああああん!もう可愛い〜っ!!写真で見るよりずっと可愛い〜っ!!ほんとの本当に男の子なの!?あのダンディな仁さんの息子さんなの!?ねえ、本当にそうなの?!青澄きゅん!!」
もがっ?!ちょっ、なに!?何が起きた!?
苦しい!息が苦しい!水中じゃないのに溺れそうなんですけど?!
とりあえず誰か、それも女の人に、プロレス技か何かをキメられているのは分かる。香水か何かの匂いがするし、なんか顔中が柔らかいし、それと凄いこと言ってるし!
いくらジタバタしても、全然抜け出せない。
死ぬ!普通に死ぬ!まず誰なんだよこの人!?
「今日から私があなたのお母さんよ!これからよろしくね!青澄きゅん!」
お母さんかよ!?これが今日から俺のお母さんになる人なのかよ!?
「ママって呼んでね!そうだ、一緒にお風呂も入りましょう!歯も磨いてあげるわね!仕上げはお母さんがやるわ!任せなさい!」
この人は俺を何歳児だと思ってんの!?バリバリの高校生なんですけど!?
「もう、駄目でしょ。凄い困ってるよ」
ばっと、急に体が解放された。わわっと後ろに引っ張られていく。おぼつかない足取りで後退し、崩れ落ちそうになって、そのまま抱き止められた。
そこでふう、と一息つく。
どうやら誰かに助けられたらしい。新鮮な酸素が肺に行き渡って、真っ暗になりかけていた視界が鮮やかな色を取り戻していく。
この手を取ってくれたのは、紛れもない命の恩人だ。ありがたや、ありがたや。
で……誰?
聞いた感じ、女の人の声だった。爽やかな青空を連想させる、澄みきった声だった。
なのでこれまた女の人に間違いない。というか、また柔らかいもん。さっきと違って、次は後頭部らへんがだけど。
「えー、莉奈ぁ……だってぇ……!」
「お母さん、だってじゃないでしょ。まったく、もう……。ね、君、大丈夫だった……?」
ああ、娘さんでしたか。どうもどうも。
……って、連れ子いるんかいっ!いや、凄くまともそうな人だから、良いけども……!
そんな気遣いの言葉に、俺も顔を上げた。
「ああ、いえ、大丈夫で……っ?!」
途中、俺は言葉を失った。言葉を出しておける余裕が無くなった。
ビックリしたのだ。驚天動地だったのだ。心臓が飛び出していたかもしれない。
「うちのお母さんが本当にごめんね……って、今日から君のお母さんにもなるんだったね」
そう言いながら至近距離で俺に微笑む女の人は、恐ろしいくらいに綺麗な人だった。
クラスで何番目とか、学校で何番目とか、そういう段階をすっ飛ばしてしまう、圧倒的な美。
それだけでも驚きなのだが、それだけが俺の驚きの要因じゃない。
さっき、莉奈って聞こえたよな?
なんか凄い聞き覚えのある名前だけど、なんでか顔にまでも……覚えがあったのだ。
「私は莉奈、楠木莉奈。一応、女優をやってます。これからよろしくね、青澄くん」
向こうの連れ子、楠木莉奈かよぉっ!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます