父さんや、連れ子が女優、聞いてない。

新戸よいち

憂鬱な昼休み

 十月の中旬にもなると、季節は完全に夏から秋へと移り変わったようで、最近はめっきりと涼しくなってきた。

 びゅおっと吹いてきた風に、ぶるりと体が震える。椅子にかけておいた上着に手を伸ばし、羽織る。シャツだけでは、そろそろ心許ないらしい。

 気分が滅入って仕方のない、夏のあのうだるような暑さが、今では少し懐かしくも感じる。

 別に全然恋しくはないけども。


 ふと窓の外へと目を向けて、少し遠くの方にそびえる山々を見渡す。

 そこにある緑の中には、赤がぽつぽつと混ざり始めていた。気温だけじゃなくて、目に見える変化も既に始まっているみたいだ。

 俺を取り巻く環境もあの山々と同じように、今日を境に色々と変わっていくんだろう。それが良いことなのか悪いことなのかは、別にして。

 日曜の夜にあの寡黙な父さんが再婚すると聞いた時は、素直におめでとうと喜べたのだが、そこから時間が経つごとに、俺の心を不安が占めていった。

 世界が何もかも変わってしまうような、そんな大きな不安が。


 そして今日が金曜日。

 ついに迎えてしまった父さんの再婚相手との、初めての顔合わせの日。

 朝からとても気が重かった。そのせいか卵焼きの砂糖の分量を完璧に間違えた。うええ、甘すぎる。


 物心ついた時には既に父さんと二人きりで、俺はそういった環境ですくすくと育ち、十六年もの長い時を生きてきた。高一の今さら家庭環境がガラッと変わることに、抵抗が生まれないわけがない。

 黙々と箸を口に運びながらも、ついつい口からは溜息がこぼれてしまう。授業には全く身が入らなかった。今日学んだ内容はこれっぽっちも覚えていない。後でちゃんと復習しておかないと。


 ……はあ、憂鬱だ。これから俺の母親になるという人は、一体どんな人なんだろうか?

 とりあえず、家のことをやりたがりなタイプで無ければいいんだけど。

 家事は俺の趣味だ。父さんが仕事で帰りが遅れることがしばしばあったので、自然と幼い頃から家のことは俺が担当するようになり、気が付けば趣味にまでなっていた。

 加えて俺にとっての家事は趣味だけではなく、心の平穏のために行うルーティンでもある。

 なのでたまに父さんに手伝われると、居ても立っても居られなくなる。違うそうじゃないとか、ついつい横から口出ししたくなる。

 それでも手伝ってくれること自体には感謝しているので文句は言えず、後でこっそりとやり直す、なんてことが多々ある。


 随分と難儀な性格をしていると、自分でも思う。

 そんな気難しい俺が見ず知らずの人と家族になんて、本当になれるのだろうか?

 そこが甚だ疑問だ。

 家に女の人がいる環境というものを一切知らないから、気を休める暇が無くなる気がする。常に気を張り詰めてないと、粗相を起こしそうで怖い。


 はあ、やっぱり気が重い。朝もろくに食べれてないのに、腹がてんで空かない。

 箸を口に運んだ回数と、弁当の中身の減った量が釣り合っていない。知らず知らずのうちに、小動物みたいにちまちまと食べてたみたいだ。

 食欲が出てくる気配がまるで無いので、そっと箸を置く。

 そして、頬杖をつく。


 さて……そろそろウザくなってきたし、こっちにも対処しておくか。

 俺は耳を澄ませる。すると、


「ふふ、ふふふ……ふひひひ……っ!」


 前方から聞こえてくるのは、気色の悪い笑い声。正直に言うと、実はこれはずっと聞こえていた。単に俺が無視していただけだ。


「なあ、政道まさみち。お前さっきからずっと気色悪いぞ」


 せっかく購買で買ってきたパンにも手をつけずに、スマホを何やらニヤニヤと見つめている小学校時代からの友人──佐々木ささき政道に対して、俺は軽蔑の眼差しを向けながら、何の遠慮もなくそう言ってやった。

 政道はゆっくりとスマホから目を離して、俺の方を真っ直ぐと真面目な顔で見る。

 こいつのこんな顔を見るのは初めてかもしれない。

 ごくり、俺の喉が音を立てた。


青澄あすみ、お前女神を見たことがあるか?」


 こら、俺の緊張感を返せ。

 なんだそのふざけた質問は。


「いや、ないけど」

「俺はある。つい昨日見た」

「へえ、どこで?」

「このスマホでだ」


 スマホで見れるだなんて、随分とお手軽な女神様もいたもんだな。

 女神様って森の中にある湖とか、夢の中で見るものだとばかり思ってたよ。


「なあ、青澄。お前は楠木くすのき莉奈りなを知ってるか?」


 楠木莉奈?

 どこかで聞いたことがあるような、ないような……?


「その様子を見る限り、名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないみたいだな。ふ、良いさ。無知なお前に啓蒙してやろう」

「いや別にわざわざ教えて貰わなくても、俺は大丈夫なんですけど」

「そんなに遠慮するなよ」


 ……う、面倒なことになりそうだ。

 政道がけたたましい指遣いで、スマホを猛操作し始めている。液晶画面を叩く音がコツコツじゃなくてズダダダダッて聞こえてくる。

 目を閉じればそこはもう戦場だ。


「これが楠木莉奈だ。どうだ、見たことあるだろ?」


 政道が向けてきたスマホの画面には、黒髪ロングが良く似合う、これぞ大和撫子と言った風貌の女の子が写っていた。

 一般人じゃないと、一目で分かる。女優か何かに違いないし、そういえば、確かにテレビで見たことがあるような気がする。

 というか、確実に見たことがあった。

 印象に残った出来事と共に、その記憶を呼び起こす。


 確か、あれは一ヶ月ぐらい前のことだった──


 やるべきことを全て済ませた俺はリビングのソファに座り、ここで普段ならswi◯chでパ◯プロをやったりするんだけど、その日は何気なくテレビを見ることに決めた。

 ニュースには興味が無いので、ピッピッピッとチャンネルを変えて、俺は適当なバラエティ番組を選んだ。超衝撃映像100連発、とかそういった内容のやつだ。

 ネットで見たことのある映像ばかりだったが、見応え自体はあった。

 たまに見たことのないやつも混じっていて、大自然の生み出した神秘的な映像には思わず、うおー地球すげぇー!と心をおどらせた。


 キリの良い数の映像を流した後、番組はスタジオでのトークへと切り替わる。

 その日のゲストは三人いて、全員が九月の終わり頃から始まるらしい新ドラマの出演者であり、その番宣が目的で来ているようだった。

 俺でも知っている有名な女優と俳優に挟まれた真ん中に、見たことのない女優がいた。

 その女優は黒髪ロングが良く似合う女の子で……そう、名前は楠木莉奈だった。

 うわーすっげぇ可愛い子だな、とは思ったが、俺のその子に対する興味はそれまでだった。

 それよりも、早く衝撃映像の方を見たかった。


 このエピソードがここで終わるんなら、とっくに俺の記憶から消えていることだろう。

 本題はここからだ。

 面白いのか面白くないのかも分からないトークをぼんやりと聞いていた俺の隣に、珍しく父さんが座った。

 そして、


「……青澄、今の子をどう思う」


 と、俺に聞いてきた。

 一瞬、何を聞かれているのかが分からなかった。だって父さんはテレビなんて全く見ないし、そういったものに興味を示すタイプでは無い。

 ましてや俳優だの女優だのとは、月とスッポンの人間だ。

 今の表現は日本語としては間違っていると思うが、俺が伝えたい意味で伝えられたと思う。


「今の子って、どの人のこと?」


 俺は首を傾げ、テレビを指差しながら、父さんにそう尋ね返した。

 父さんはいつも通り、簡潔に答えた。


「長い黒髪の子だ」


 なるほど、その子か。

 俺は改めてテレビ画面を眺め、父さんの言った長い黒髪の子、つまりは楠木莉奈さんに注目を向けた。


「んーーー……」


 数秒の間まじまじと眺めた後に、俺は父さんの方を再度見た。


「凄く良い人そうな気がする」


 俺がそう答えると、父さんは立ち上がり、


「……そうか」


 とだけ言って、部屋へと戻っていく。


「…………?」


 俺はクエスチョンマークを頭のてっぺんに浮かべながら、そんな父さんの背中を眺め、扉が閉まるまでしっかりと見届けた。


 ──うん。やっぱり今思い返してみても、あれは随分と不可解な出来事だったと思う。

 あれから別に父さんがテレビを見出したわけでもないし、楠木莉奈さんとやらの出演している番組をかじりついて見ていたわけでもないし、あの質問をされた意味は本当に何も無かった。

 不可解極まりない。疑問です。


「急に黙ってどうしたんだよ?そうか、あまりの可愛さに声も出ないか?その気持ちは分かる、分かるぞ」


 あ、思い出すのに夢中になりすぎて、すっかりこいつのことを忘れていた。

 政道はしきりに頷いており、うざったるい得意げな顔で俺を見ていた。シンパシーを抱かれても困る。

 とりあえず、話を進めることにした。


「で……実際どんな人なんだよ?啓蒙してくれるんだろ?」


 俺の質問に、政道は意気揚々と口を開く。


「楠木莉奈はな、新進気鋭の実力派若手女優だ。無名ながら現在放送中の秋ドラマ『がっこい』の主演に抜擢されると、まだ放送三話目にしてその高い演技力と端正な美貌により瞬く間に人気を集めた。

 それはもう飛ぶ鳥を落とす勢いで!今まさにスター街道を駆け上がっている!超ッ新星ッ!これからの女優界を担う一人に間違いない!覚えておいて損はないぞ!」


 身振り手振りを交えながら後半に行くにつれて、燃えたぎるような炎を幻視してしまう程度に強い熱量で語る、政道。

 俺は真逆の熱量で、むしろ冷量で、


「へー」


 とこれ見よがしに、心底興味なさそうに、いい加減に、そんな相槌を返した。


「それにしても、お前もドラマとか見るんだな。そういう世間一般の人たちをターゲットにしたような作品は、見ない主義だと思ってたけど」

「ああ、俺もその主義のままでいる予定だった。けど、姉ちゃんにこれは絶対に見ろと強いられたんだ。で、いざ見てみたらこうだ。すっかりとハマったよ。一気に三話全部見た」


 へえ、そんなに面白いのか?

 父さんも実は隠れて見てたりするのかな?


「原作は小説らしくてさ。放課後、書店にでも買いに行こうと思ってるんだけど」

「俺はパス。外せない大切な用がある」


 俺がそう言った途端に、政道は目を丸くする。

 そして、


「なんだ、ついに彼氏が出来たのか?」


 事もなげに、そんなふざけたことを言ってきた。


「おい、そこは彼女だろうが」


 この一週間は父さんの再婚のことに気力を費やしていたせいか、普段のように怒鳴る気力も俺には残っておらず、睨みながら指摘するのみにとどめた。


「というか、言わなかったっけ?父さんが再婚するから、金曜に顔合わせがあるんだよって……はぁ……」


 自分でそう説明して、溜息がまた俺の口からこぼれ落ちる。


「ああ、そう言えばそんなこと言ってたな」


 憂鬱になった甲斐あって、政道もちゃんと思い出してくれたようだ。


「父親の再婚、ね。向こうにも子供はいるのか?」

「…………さあ?」


 父さんからは再婚するということ以外、本当に何にも聞かされていない。相手の家族構成も何も知らない。

 だから多分一人だと思う。相手側にも連れ子がいるなら、流石の父さんだって俺に言うはずだ。

 さもなかったら、それは口下手だからって許されない暴挙だし。


「もしも相手にも連れ子がいて、しかもそれが可愛い同年代の女子とかだったら……青澄、紹介してくれよな」

「ないない、そんな夢みたいな展開。アニメじゃあるまいし」


 政道の図々しい世迷言は、ゲシッと即座に一蹴しておいた。

 夢を見るにもほどがある。

 仮にそんな展開があったとしたら、逆に怖くないか?

 そこで幸運を使い果たして、帰りに交通事故にでも遭って死にかねない。


 ピロン、不意に机の上でスマホが音を上げた。LI◯Eの通知が来たみたいだ。相手は父さんに違いない。

 手を伸ばしてスマホを取る。案の定、父さんからのメッセージだった。

 今日は学校まで迎えに来るらしい。

 着替えなくていいのか、とも思ったけど、学生の正装は制服ということをすぐに思い出した。

 まだ五限も六限もあるというのに、思わず姿勢を正して、制服のシワを直してしまう。

 頭髪の乱れは大丈夫かと髪に指を通すと、無駄にサラサラで滑らかだった。

 はあ……これも、嫌になる。


 暗くなったスマホの画面が、手鏡の代わりに俺の顔を映す。

 10人中8人が「お前は女だ!!」と逆ギレ気味に断定してくる、俺の顔を。

 ちなみに残りの2人を説明すると「うんうん、そうだね。君は男だよね。うんうん」と菩薩のような顔になるやつと「むしろ男だから良い!男で良い!男が良い!お得!」と血走った目で言ってくるやつとなる。

 最後のやつは本当に勘弁して欲しい。何がお得なんだ、何が。


 見ず知らずの母さんは北欧の何処ぞの国の血を引いていたらしく、息子の俺にもそれがくっきりと遺伝した。

 当たり前のように髪は銀色だし、瞳はライトブルーだし、肌は雪のように白いし、線は細いし、身長はギリ160あるかないかだし……最後らへんのは俺にも責任がありそうだけども。

 父さんはデカいんだし、身長だけでもそっちを受け継いで欲しかった、本当に。

 これじゃあ駄目だ。俺が俺を初めて見たとしても、俺ですら俺を男だとは思わないと思う。


 これ髪型も悪いな、髪型も。肩にはかからないまでも、ちょっとばかし長い気がする。

 これはもう小5の時みたいに、髪をバッサリと切るしかないか。セルフカットだ、セルフカット。

 けどあの後、いつも通ってる美容院のおばさんに、死ぬほど怒られたんだよなぁ……。ハサミを持ったままだったから、首狩り族かと思った。怖くてわんわん泣いた。

 こんなに綺麗な髪をしてるのに勿体ないでしょって、何が勿体ないんだよ。

 俺の髪なのに俺に主導権がないなんて、改めて考えても酷すぎる。

 基本的人権に反してる。


 現実逃避とばかりにスマホの電源ボタンを押したら、明るくなった画面に俺の顔の代わりにデカデカと現れる時計。

 時刻は昼休みがもう終わる頃だった。


「……あ、もうこんな時間か。おい、あと少しで五限が始まるぞ」

「えっ、俺まだ何も食べてな」


 俺は中身がまだ半分近く残っている弁当箱の蓋を閉じて、机の上を片付けていく。

 もうあと二時間半もすれば学校は終わって、父さんの再婚相手との顔合わせの時間だ。

 机の中から教科書を取り出しながら、俺はまた一つ溜息をこぼした。


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